ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2006年9月10日、西鉄小郡駅で

2017年02月22日 00時00分00秒 | 写真

 (以下は、「待合室」第212回として、2007年5月9日から同月15日まで掲載した記事の再掲です。)

 今回は、とくにこれという意味もないような感じもするのですが、西鉄小郡駅で西鉄福岡 (天神)行の電車を待っている時間を取り上げました。柳川へ行った日のことで、福岡に戻る途中、何となく歩いてみたくなり、西鉄小郡駅で降りて、駅前を歩いてみたのでした。

 小郡というと、全国的には、山口県にある、山陽新幹線・山陽本線・山口線・宇部線の小郡駅のほうが有名でしたが、2003年10月1日に「新山口」に改められました。一方、福岡県や大分県では、小郡というと福岡県の小郡市を指すことのほうが多いようです。小郡市は、佐賀県境にある所で、西鉄天神大牟田線と甘木鉄道が通っています。また、佐賀県鳥栖市にある鳥栖ジャンクションから大分自動車道に入ると、最初のインターチェンジが筑後小郡です(大分市に住んでいた時には、何度となく通っています)。

  余計なことを記しますが、山口県の小郡駅は、東海道・山陽新幹線では数少ない、郡部にある駅でした(もう一つが米原でした)。吉敷郡小郡町にあったのです。山口市などとの合併論議を先行するような形で改称された後も、所在地は小郡町のままでした。合併して新しい山口市の一部となったのは2005年10月1日のことです。

 小郡止まりの電車は、次の端間駅のほうに少し走り、そこで止まります。本線の上でしばらく止まり、時間調整などをした上で、福岡方面に折り返すのです。首都圏であれば、車庫や電留線まで回送するか、駅のホームで折り返すのが普通ですが、本線の上で止まってしまうというのには驚きました。西鉄天神大牟田線の運行本数が〔西鉄福岡(天神)~筑紫(ちくし、と読みます)を除いて〕少なくなるからこそ、こんなことができるのでしょう(小郡~宮の陣は、かなり少なくなっています)。

 今、下り線(端間方面)に止まっている電車に乗って、西鉄福岡(天神)へ戻ろうと考えています。筑紫までは普通電車、筑紫からは急行電車となります。

 それにしても、西鉄の通勤用電車の色彩といい、全面のデザインといい、他では見られないような強烈な特徴が見受けられます。最近登場した3000形はステンレス車になり、個性が薄らぎましたが、写真の5000形から6050形まではほとんど同じ、左右非対称の前面スタイルですし、7000形も全面スタイルこそ左右対称に変わりましたが色彩は同じです。こんな色の自動車が走っていたら見たいものです。

 西鉄福岡(天神)行の8000形特急電車が来ました。しかし、西鉄小郡駅には止まりません。撮影日の朝にも、西鉄福岡(天神)から大牟田まで、8000形特急電車に乗っています。2000形(運転席が中央にあるという、今の日本では珍しいもの)に代わる特急用電車として、1989年にデビューしています。

 ようやく、上り線に移り、小郡始発の電車が駅に来るところです。これに乗って、西鉄福岡(天神)駅に戻ります。そして、この日はさらに、天神→大名→赤坂→天神(親富孝通りや天神北通りの方面)まで歩きました。既に、大牟田駅周辺、そして西鉄柳川駅から中心部まで歩いていますから、一体何キロメートルくらい歩いたのでしょうか。


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