今月8日の12時18分20秒付で「予備試験は抜け道なのか?」という記事を掲載しました。この他にも予備試験に関連する記事を載せています。
今日(2015年2月22日)の朝日新聞朝刊38面14版に「法科大学院 淘汰の波」という記事が掲載されています。デジタル版では今日の5時付で「法科大学院、淘汰の波 学費高く、人気は予備試験へ」として掲載されています。今回はこの記事に対する批判的な内容となることをお断りしておきまして、まずは、繰り返しになってしまいますが、私自身の見解を再び述べておきましょう。
第一に、予備試験は、現行の司法試験制度における例外的な位置づけを保っています。そのため、抜け道でも何でもありません。
そもそも、予備試験そのものの合格率が低いのです。合格率は1.1%(2011年)→3.0%(2012年)→3.8%(2013年)と高まってはいますが、毎年千人受けたとすると11人→30人→38人しか合格していない訳です(22日0時0分5秒付の「偶然、見かけた記事ですが(続)」を意識した表現になりました)。
2013年の予備試験短答式試験受験者数は9224人であり、最終合格者は351人です。この人たちが2014年の司法試験を受験する資格を得ており、実際に受験したのが244人で、司法試験に合格したのが163人です。
前の段落の最後の部分だけを見るから、予備試験合格者の司法試験合格率が66.8%となるのです。しかし、予備試験という厳しい前段階を課されたのですから、どの法科大学院修了者よりも高くなるのは当たり前です。仮に、予備試験合格者の司法試験合格率が10%台というように低かったら、逆に予備試験そのものの存在意義が問われます。
むしろ、2013年予備試験短答式試験受験者→2014年司法試験最終合格者と全体を見るべきなのです。9224人→163人ですから、最終合格率は約1.77%です。これだけ厳しい数字を目にすれば、予備試験が機能を発揮していることが明らかなのです。
第二に、以上のような「合格実績」を前にすれば、予備試験の受験資格を制限する必要は全くありません。
元々は経済的理由などによって法科大学院に進学できない者に対して司法試験受験の機会を与えるために、予備試験という制度が設けられました。そのため、上記朝日新聞記事の「考/論」で「予備試験の受験資格の制限がもちろん前提となる」(中央大学法科大学院大貫裕之教授)という意見が出るのも、兼担で法科大学院の講義を担当したことがある私としては理解できます。しかし、これはむしろ、法科大学院に批判的な立場からすれば「問題外の外」としか言えない態度である、とまでは言えなくとも法科大学院の存在が抱える矛盾を何ら解決するものではないでしょう。旧司法試験においても問題とされた合格者の平均年齢の高さを促進するものでしょう。
法科大学院関係者などから主張される受験資格制限がどのようなものになるのか、よくわからないのですが、法科大学院に在学している学生であるから予備試験を受けることができないとするのであれば、それは果たして合理的でしょうか。憲法違反にすらなるような話ではないでしょうか。
さて、ここで上記朝日新聞記事の内容に触れることとしましょう。
既に示したように合格率という点から厳しい難関である予備試験に人気が出るのは、時間と金の問題があるからです。司法改革で法科大学院の設置が決定された頃から、時間と金について疑問や不安が湧き出ていました。2003年か2004年の新聞記事をくまなく探せば、いくつか見つかるはずです。司法修習生に対する修習資金が給付制から貸与制に変えられたことと合わせるならば、受験生は借金の山に埋もれることになりかねませんので、進学に躊躇してもおかしくありません。
そもそも、法科大学院に入学した場合、(途中で予備試験を受けて合格し、司法試験にも合格できた場合を除けば)修了することが司法試験受験資格を得るための条件です。従って、修了してからしばらくの間は履歴書に空白ができる可能性もあります。合格できなければ再度の挑戦ということになりますが、時間も金も余計にかかります。逆に合格できたとしても、よほど経済的な余裕がなければ、借金を抱えずに済ませることは難しいでしょう。裁判官や検察官として任官される途は、司法改革を経ても拡げられず、(成績で評価されることもあって)圧倒的多数は弁護士になるしかありません。しかし、弁護士事務所に就職できれば御の字という状態が続いています(大手の事務所ほど厳しく選抜します。以前、妻が受け取った手紙にも、ここに記すことが憚られるほどに厳しい採用人事の現実が書かれていました)。かなり単純化しましたが、以上のような現実を見せつけられれば、躊躇することは当然です。
また、上記朝日新聞記事には、文部科学省の立場として「予備試験組の増加に、『医学部を修了していない医者がメスを握ることとなるのと同じ』との批判もある。『時間をかけて質の高い法律家を育てる』という理念を堅持する。」と書かれています。
しかし、私には、ここに書かれている医学部云々の喩えの意味がよくわかりません(医学部を「修了」という表現もおかしいのですが、原文の通りです)。このようなことを言うならば、あらゆる資格試験を医師国家試験のようにしなければならなくなります。旧司法試験では原則として大学の3年生以上であれば受験できたことが忘れられているのでしょうか。
医師国家試験の受験資格が原則として医学部を卒業した者に限定されているのは、業務内容の故です。手術、注射など、刑法で違法性を阻却されなければ傷害罪や傷害致死罪などに問われかねないような行為を業務として遂行する訳で、可能な限り安全に医師としての職務を果たすには、高度な専門知識と技術が要求されます。そのために、自ずと受験資格を厳しくせざるをえないのです。
〔ついでに記しておきますと、実は、医師国家試験にも予備試験が存在しています。厚生労働省のサイトにある「医師国家試験の施行について」というページには、受験資格として次のように書かれています(一部省略の上で引用します)。
「(1)学校教育法(昭和22年法律第26号)に基づく大学において、医学の正規の課程を修めて卒業した者(平成27年3月10日(火曜日)までに卒業する見込みの者を含む。)
(2)医師国家試験予備試験に合格した者で、合格した後1年以上の診療及び公衆衛生に関する実地修練を経たもの(平成27年3月10日(火曜日)までに実地修練を終える見込みの者を含む。)
(3)外国の医学校を卒業し、又は外国で医師免許を得た者であって、厚生労働大臣が(1)又は(2)に掲げる者と同等以上の学力及び技能を有し、かつ、適当と認定したもの
(4)沖縄の復帰に伴う厚生省関係法令の適用の特別措置等に関する政令(昭和47年政令第108号)第17条第1項の規定により医師法の規定による医師免許を受けたものとみなされる者であって、厚生労働大臣が認定したもの」
ここにいう予備試験は、日本の大学の医学部を卒業していない者(外国にある大学の医学部を卒業した者、または外国の医師免許を取得した者)で、日本語診察能力調査で一定の基準を満たしていない者が受験資格を認定されるというものです。さすがに、業務の内容からして、医学部を卒業していない者、そもそも医学部に入ったことのない者などには受験資格を与える訳にもいかないのでしょう。〕
法曹と医師とでは、業務の内容および性質があまりに違います。比較の対象がおかしいとしか言えません。敢えて似ている所を探すのであれば、弁護士は裁判所などにおいて訴訟業務(民事訴訟などであれば原告または被告、刑事訴訟であれば被告人を代理する業務)を独占的に行うこととなっていることでしょうか。しかし、医師国家試験のようにしたいのであれば、法科大学院をわざわざ設置する必要はなく、法学部を卒業し、さらに法学研究科の博士前期課程(修士課程)を修了するという制度、または法学部を6年間にする(コースを設けるのでもよいでしょう)という制度にすれば足りました。ドイツのように、法学部を卒業するには国家試験を受験しなければならないとする制度も選択できたはずです(これにより、司法試験受験資格を与えればよいのです。日本では教育学部が参考になります)。
むしろ、司法試験と比較すべき対象は、隣接法律職などと言われる業種でしょう。我々の業界用語(しかも俗語)でいうところの「士業(さむらいぎょう)」です。これでもおかしいと言われることは承知しています。しかし、少なくとも、医学部と法科大学院とを並べるよりも、弁護士とその他の士業とを比較するほうが妥当であるはずです。
有名なところでは、行政書士試験、司法書士試験、公認会計士試験の受験資格には、年齢や国籍などの制限が全くありません。法科大学院と比較されることもある会計大学院の場合は、修了すれば公認会計士試験の短答式試験について一部科目が免除されるにすぎないのです。また、税理士は、大学(学部)を卒業した者の他、学部の3年生以上、専修学校の専門課程を修了した者、などとなっています。
記事に戻りますと、記事の最後に「担当者は『改革は進めるが、水道管に大きな穴(予備試験)が開いていれば、蛇口から良い水をたくさん出すのは難しい』とこぼす」と書かれています。文部科学省の担当者の発言なのでしょうが「ふざけるな!」の一言で済まされるでしょう。それなら誰が予備試験という制度を設計したのでしょうか。文部科学省か法務省でしょうが、どこに責任を転嫁するつもりなのでしょう。今や「良い水」をたくさん出せるのは予備試験のほうでしょう。
もう一つ、上記朝日新聞記事の問題を記し、批判します。今回の「考/論」です。普段であれば、或る論点について異なる見解が示されるのですが、今回は二人とも法科大学院関係者です(先の大貫教授と慶応大学法科大学院の片山直也教授)。偏りがひどすぎるとしか言いようがありません。もう一人は法科大学院廃止論を唱える方(など)の意見を載せるべきです。インターネットで弁護士の方のブログを検索すると、実務界で反法科大学院の傾向が強いことがうかがわれますかし、法学部の教員でも法科大学院に批判的な見解をもつ人は少なくないのです。
大分大学時代には私も新聞社から電話などでコメントを求められたことが何度もありましたので、記事の紙面にはわずかしか反映されないことは承知しています。その上で記すならば、片山教授の意見には疑問符ばかりが浮かびます。「柔軟な法的思考ができる人材の育成という意味では、予備試験の『弊害』は大きい」というのですが、どういう弊害なのかが全くわかりません。法科大学院だから「柔軟な法的思考ができる人材を育成」できるのかということについても、証拠となりうる材料がないのです。要するに一方的な断言にすぎない訳で、「考/論」以外の部分にも弊害は書かれていません。試験の答案ならば「問題外の外」です(「問題外」のさらに外ということです)。
どうしても予備試験の受験資格制限を行いたければ、法科大学院の教育効果が厳密に(厳格に)審査され、「柔軟な法的思考ができる人材の育成」が実現していることを客観的に示す必要があります。次に、予備試験の弊害を、抽象的にではなく、具体的に示す必要があります。そのためには調査が欠かせません。頭の中であれば、いくつかの弊害を考えることはできるでしょうが、これでは説得力も何もないので、誰も真剣に聞きません。
予備試験を批判する者の多くは、おそらく当初の司法改革の理念のみに基づいて抽象的な表現をスローガンのように繰り返しているに過ぎません。1917年のロシア革命以降に登場した社会主義国家のように、プロパガンダと現実とが大きく乖離しているのでは、全く説得力を持たないのです。法科大学院と予備試験についても、現在、まさにスローガンばかりが強く主張され、不都合な現実が蓋で隠されようとしているのです。
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