東急田園都市線とJR横浜線との乗換駅であり、東急線の駅としては唯一、横浜市緑区にある長津田駅(DT22、KD01)から、こどもの国線が分かれます。12月12日12時37分41秒付の「『東急沿線の不思議と謎』(じっぴコンパクト新書)に重大な誤りがあります」でも記した、横浜高速鉄道の路線です。時々、何となく行きたくなることがあり、今年も8月7日と12月26日に行きました(他にも行った日があるかもしれませんが、SDカードのトラブルで日記が消失してしまい、わからなくなりました)。
こどもの国線は、一般的に東急の路線として扱われることが多いのですが、正式には横浜高速鉄道の路線で、同社が第三種鉄道事業者であり、車両や線路などの施設を保有しています。長津田駅、恩田駅およびこどもの国駅には、横浜高速鉄道と、第二種鉄道事業者である東京急行電鉄の両方が記された看板などが掲げられています。
この路線は、そもそも成立が特異でした。こどもの国のある場所には、陸軍の田奈弾薬庫(正式名ではないかもしれません)がありました。いつ開通したのか、手元に資料がないので不明ですが、横浜線の長津田駅から田奈弾薬庫までの引き込み線が設けられ、貨物列車が運行されます。これがこどもの国線の原型です。終点のこどもの国駅の東側に駐車場があり、それに沿う形で並木が続いているのが、弾薬庫までの線路跡です。
戦後、田奈弾薬庫はアメリカ軍に接収されます。引き込み線もいつの間にか廃止されたのですが、法的に鉄道営業法や地方鉄道法の適用を受けていなかった路線ではないかと思われるため、よくわからないことが多いようです。ちなみに、田奈は地名なのですが、遠い昔から存在する訳ではなく、長津田、恩田、奈良の各村が合併したことによって誕生したものです。
さて、終戦から14年ほどが経過した1959年、当時の皇太子、すなわち今上天皇が成婚されました。これを記念する施設が、1965年、田奈弾薬庫の跡に開設されました。そうです、こどもの国です。1965年のことで、運営は財団法人こどもの国協会が行いました。しかし、この頃にはまだ田園都市線も開通していませんし、長津田駅から3キロメートルほど離れており、バスしか交通機関がないという状態でした。そこで、かつての引き込み線を再利用する形で新たな鉄道路線が建設されました。これがこどもの国線で、開通は1967年4月28日です。前年の1966年4月1日に田園都市線の溝の口~長津田が開業しており、こどもの国線は開業当初から田園都市線に接続しています。
長らく、こどもの国線はこどもの国協会が所有しており、同協会が東急に運行などを委託していました。そのため、同線の専用とされた車両は東急のマークを外し、塗装も変えられた上でこどもの国のシンボルマークを付けていました。完全にこどもの国の利用客を前提とした路線で、始発は朝の8時台、終電は夕方の18時台、休園日(通常は月曜日でした)には非常に本数が少なくなるダイヤでした。通勤通学路線としての機能を全く持っていなかった訳です。東急各駅にはこどもの国の開園日・休園日を知らせる案内表示が改札口などに置かれていました。1981年にはこどもの国協会が社会福祉法人となります。
第三種鉄道事業者、第二種鉄道事業者という用語が登場するのは、1980年代の国鉄分割民営化、JRグループの発足と同時に施行された鉄道事業法(昭和61年12月4日法律第92号)によります。施設を保有するこどもの国協会は第三種鉄道事業者、運行などを委託されていた東急は第二種鉄道事業者となります。そして、1989年から、東急では初のワンマン運転が行われています(純粋な東急線では1998年、池上線が最初となります)。
田園都市線の利便性が向上するとともに、沿線にも住宅が増えてきました。通勤通学はバスが担当していたのですが、人口が増えればそれでは足りなくなります。利便性を求める声が増えたため、こどもの国線を通勤通学路線化することとなりました。しかし、通勤通学路線の保有となると社会福祉法人こどもの国協会の存在目的から逸脱します。そこで、同協会は、横浜高速鉄道に第三種鉄道事業免許を譲渡します。こうして2000年3月29日、こどもの国線は通勤通学路線となり、Y000系が運用されることとなります。また、同日、長津田車両工場のそばに恩田駅が開業しました。これにより、列車交換が可能となっています。
今回の2枚の写真は、長津田駅のそば、長津田検車区の入口のような場所に留置されているY000系001Fです。こちらに前面を向けている車両がクハY001で、その後に連結されているのがデハY011です。こどもの国線は写真の右側を通っており、かなりの急カーブとなっています。ここにも、田奈弾薬庫への引き込み線であったことの名残があるのでしょう。
Y000系は、東急目黒線はもとより都営三田線、東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道線でも運用される2代目3000系を基本として設計された車両で、2代目3000系と同じく1999年に登場しました。横浜高速鉄道が所有していますが、東急の長津田検車区に所属しており、運転や整備なども東急が行っています。
基本は同じとしても、Y000系はこどもの国線で使用されるため、2代目3000系とは違いがあります。まず、Y000系は20メートル3扉車であり、側面の行先表示器がありません(2代目3000系は4扉車で、側面にLED式の行先表示器が備えられています)。帯の色も異なりますし、車内には一切広告がありません。また、2代目3000系はATOやTASCの機器を備えていますが、Y000系にはありません。さらに、長津田駅を発車してすぐの急カーブ(写真の右側)を通るためか、Y000系の台車には防音車輪が取り付けられています。
さて、ここで問題です。この記事で何度も記している「長津田」ですが、何と読むのでしょうか。
「ながつだ」と読む人も少なくないのですが、駅名としては誤りです。
正解は「ながつた(Nagatsuta)」なのです。
横浜市の、都筑郡であった地域の地名には、山田と書いて「やまた(Yamata)」、高田と書いて「たかた(Takata)」と読ませる例があります。横浜市営地下鉄グリーンラインの高田駅、東山田駅、北山田駅の読み方も、それぞれ「たかた」、「ひがしやまた」、「きたやまた」です。長津田も都筑郡に属していた地域で、「ながつた」と読むのです。しかも、昔の地の人は最後の「た」を少し間延びさせたような、橘樹郡の人間でも真似をしがたいような独特の発音をするという話を聞いたことがあります。
もっとも、都筑郡であった場所ならどこでも「田」を「た」と読む訳でもないようで、勝田は「かちだ」、荏田(駅名は江田)も「えだ」と読んだりします。これもよくわからないところがあり、もしかしたら長い歴史の中で読み方が変化しているかもしれません。何せ、宮前区にある馬絹は、今では「まぎぬ」と読みますが、昔の人は「まぎの」と言っていたという話もあるくらいです。
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