高津区の中心である溝口と言えば、多くの方はJR南武線武蔵溝ノ口駅、東急田園都市線溝の口駅の周辺を思い浮かべることでしょう。しかし、地図を見ればすぐにわかるように、双方とも溝口の南端にあります。昭和になって鉄道が通るまでは、むしろ外れの地域でした。元々、大山街道の溝口宿として賑わっていたのは、現在の三丁目や四丁目でした。最寄り駅は田園都市線の高津駅です。
住居表示が実施される前の溝口1番地は、高津駅前、現在の四丁目1番で、マクドナルドがある場所です。高津警察署も四丁目にありますし、溝口交差点と言えば府中街道と旧大山街道が交差する地点、現代流に言えば国道409号線と神奈川県道14号鶴見溝ノ口線とが交差する地点にして県道の終点で、南側が三丁目、北側が四丁目です。
さて、今回は高津駅から溝口三丁目を歩きます。大まかに言えば、東は田園都市線、西は国道246号線、南は二ヶ領用水、北は国道409号線に囲まれた地帯ということになります。
高津駅から田園都市線の高架に沿い、溝の口駅方面に歩いて行きます。右側に見えるのが帝京大学医学部附属溝口病院で、三丁目で一番目立つ存在となっています(正面は国道409号線のほうにあります)。田園都市線の電車からもこの建物はよく見えますので、迷うことはないでしょう。
建物が古そうに見えますが、1973年7月に開院していますから、もう40年を超えています。現在、田園都市線を基準とすると反対側の二子五丁目、田園都市線の高架と住吉書房高津店跡との間で新病院を建設中で、完成次第、移転するようです。なお、二子五丁目には以前から研究棟があります。
田園都市線の高架沿いに歩くと、程なくT字路となり、ここからは迂回せざるをえなくなります。最近自転車置き場も設置されたこの場所ですが、記憶に誤りがなければ、右側の空地となっている場所やマンションの辺りに変電施設か何かがあったはずです。
T字路を右に曲がります。溝口は一丁目から六丁目まで、幅の狭い一方通行の道路が多いのですが、ここもそうです。帝京大学医学部附属溝口病院の裏側というべき場所です。周囲は昔から住宅地ですが、梨畑なども多かったことを覚えています。
帝京大学といえば、本部は板橋区にあるのですが、川崎市の高津区と宮前区には医療関係の施設が点在しています。第三京浜道路を走ると、川崎インターチェンジと都筑インターチェンジとの間に帝京大学老人保健センターの建物が見えます。所在地は高津区と宮前区の境界に近い宮前区野川となっています。最寄り駅がどこなのかがわからないような場所にあり、近くにバス路線も通っていないので、自家用車などで行くしかないでしょう。もっとも、第三京浜道路に沿う一般道の坂を下ると尻手黒川線で、路線バスも通っていますが、坂のきつさを考えるとバスで行くのは現実的でありません。
少し歩くと、程なく信号機が見えます。優先道路となっているこちら側は常に黄色の点滅、交差する道路は常に赤の点滅となっています。それにしても、いつの間にかマンションが増えたなという印象を受けました。私は小学生の頃から、高津図書館へ行くためにこの辺りをよく自転車で走っていたのですが、当時は所々に梨畑があり、一軒家が多い場所であったからです。私が大分大学に勤め始めてから、長らくこの辺りを通ることがなかったので、変化の様子を知らないだけでしょう。
この交差点から見る光景は、月日が流れたら街並みも大きく変わるという事実のよい見本です。左側にマンションが建ち並んでいますが、かつては一軒家や木造のアパート、そして田園都市線の変電所か何かの施設がありました。右側か左側かを覚えていませんが、梨畑もあったはずです。
何度も梨畑と書いていますが、高津区の溝口、二子あたりから久地、多摩区の堰、宿河原にかけては、梨畑の多い所でした。今でも久地や堰などには梨の直売所がありますが、溝口にもあったのです。ちなみに、川崎市の梨は多摩川梨とも言われており、長十郎という品種が川崎市発祥の梨です。全く季節外れであるということはわかっていますが、書いているうちに梨を食べたくなってきました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます