ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

理念も何もない 「コロナと闘う五輪」?

2021年07月10日 08時00分00秒 | 国際・政治

 東京オリンピックは、多くの国民の意思に反して開催が強行されることとなりましたが、東京都、神奈川県などの会場では「無観客」ということが決まりました。再来週に始まるということなので、直前の決定と表現してもよいでしょう。混乱は必至で、飲食業界の反発は強く、スポンサーも対応に追われているというような状況です。

 「無観客」と、敢えて鉤括弧を付けて表現していることの意味はおわかりでしょう。そう、文字通りの無観客ではないのです。これについては既に記したので繰り返しません。

 (どうでもよいことですが、こうして「 」を付けて記すことの意味がわからない人が結構います。もう20年くらい前のことですが、私が鉤括弧を付けたことに対して文句を付けてきた大学教員がいました。リテラシーが低いのか、表現方法を知らないのかのどちらかでしょう。)

 今回取り上げたいのは「コロナと闘う五輪」という表現です。朝日新聞社が2021年7月9日14時10分付で「ウイルスに打ち勝った証し→コロナと闘う五輪に 厚労相」(https://www.asahi.com/articles/ASP794G71P79UTFL002.html)として報じているところを読んだのですが、結局、2020年東京オリンピックには理念も何もない、スローガンやキャッチフレーズはただの御都合主義である、ということが如実に語られているということです。あるいは、語るに落ちるということかもしれません。私は、語るに落ちるという表現が相応しいとも考えています。

 上記記事によると、「コロナと闘う五輪」という表現は、9日に行われた閣議の後の記者会見で田村憲久厚生労働大臣が発したものです。大臣の発言そのままではないのですが、記事に書かれているところを引用すると「アスリートはコロナと闘って東京のフィールドに立ち、競技する。まさにコロナと闘ってきた五輪だ」、「多くの方は家(のテレビ)で見ることが前提だ」、「国民のみなさんはアスリートを応援しながら、感染が広がらないように行動していただき、ともにコロナと闘う五輪にしていきたい」、「感染が広がらなければ成功した五輪になる」ということです。最後の表現は、ただ開催することだけが目的となっていること、そのために滅茶苦茶になっていることを表しているようです。「感染が広がらなければ」とはどのレヴェルの話なのかと首を傾げたくなりますし、現に選手や大会関係者に感染が拡がっているようです。

 思い起こせば、東京オリンピックの開催に向けて、当初は復興五輪というような表現が使われていました。東日本大震災からの復興という意味合いです。しかし、復興どころではないことは、たとえ新聞やテレビなどが報じなくとも、少なからぬ国民が知っています。福島第一原子力発電所事故に伴う原子力緊急事態宣言はまだ解除されていません。当然といえば当然です。10年で解除される訳がありません。もし復興を遂げたのであれば、復興特別所得税が課され続けていることの意味がわからなくなりますし(根拠がなくなるからです)、地方財政対策や地方財政計画に東日本大震災関連の項目が置かれ続けていることの意味もわからなくなります。YouTubeの番組で烏賀陽弘道さんがおっしゃっていたことですが、たとえ東京五輪が成功に終わったとしても、福島第一原子力発電所の後始末がきれいさっぱりと終わる訳でも何でもないのです。

 復興五輪があまりにも欺瞞に満ちた言葉で、その後の政治と姿勢が重なるように思えた方もおられるでしょう。COVID-19の蔓延が広がると、今度は「ウイルスに打ち勝った証し」あるいは「コロナに打ち勝った証し」というスローガンが出されます。2020年3月のことで、他ならぬ時の内閣総理大臣の発言です。言葉の意味を理解しているのかどうかと疑いたくなる表現で、「打ち勝った」という表現は過去形か現在完了形ですから、感染拡大が止まらない状況では全く当てはまらないこととなります。あるいは、2020年3月の時点においては2021年7月に「コロナに打ち勝った」という願望を表明したと理解すべきかもしれませんが、そうであるとするとパンデミックの歴史などを全く理解していないことになります。実際に、日本は他の先進諸国や中進国などよりも緩くて時代遅れの対策しか行えなかったのでした。そして、ワクチン接種などが日本よりも進んでいる国々でも、変異種などのために新規感染者数が増大しています。これでは「コロナが人間に打ち勝った証しとしてのオリンピック」になりかねませんし、むしろその表現のほうがスローガンとして相応しいでしょう。

 COVID-19の感染状況からして、既に「打ち勝った」という表現がおかしいことは2020年中に明白になっていました。そこで、何処かに追いやられていた復興五輪のフレーズが復活したりしたこともあります。まさに御都合主義です。そして今年、1月に入って一週間が経過する頃に第2回緊急事態宣言、4月下旬に第3回緊急事態宣言が出されました。適用地域は一部の都道府県に限られましたが、国民生活への影響は甚大でした。しかも、第3回緊急事態宣言が沖縄県を除いて解除されてから1か月もしないうちに、とりあえずは東京都のみに第4回緊急事態宣言が出されることになっており、適用地域の拡大も容易に予想できる有様です。

 結局、「ウイルスに打ち勝った証し」あるいは「コロナに打ち勝った証し」とは言えなくなったのでした。政府、東京都、組織委員会などは、いわば追い詰められた訳です。だから「コロナと闘う五輪」という、およそ体育大会に相応しくないグロテスクなキャッチフレーズにせざるをえなかったのでしょう。私は悪い冗談なのかと思ったほどです。

 何をもってして成功というのかわかりませんが、まずはオリンピックを開会式から閉会式まで行い、次にパラリンピックをやはり開会式から閉会式まで行うということが成功なのでしょう。しかし、「無観客」、つまりチケットを購入して会場に入る一般観客がいないということでは、オリンピックやパラリンピックの意味の多くが失われるはずです。現に、無観客に疑念を抱いて辞退した選手もいます。また、経済的損失は計り知れないでしょう。Yahoo! Japan Newsのコメントにもありましたが、新国立競技場の意味などはなくなってしまいました。つまり、大金をはたいただけに大損ということです。東京五輪グッズも売れていないようですし、溝口や二子玉川の文教堂書店にグッズのコーナーがあるのですが、見た限りでは売れていないようですし、お客さんがいてグッズを選んでいるところを見たことがありません。都内で電車に乗っていてもグッズを持っている人を見たことがありません。見るのはバスなどに付けられた五輪ナンバーだけです。

 今後の感染状況によっては、開催したはよいが途中で終わる、つまり中止という事態も十分に予想されます。また、オリンピックは開催してもパラリンピックは中止するという観測もあります。仮にその通りとなるのであれば、最初から東京五輪は失敗していることになります。オリンピックとパラリンピックがセットになって、初めて開催の意味があると考えられるからです。

 これに懲りて、もう日本はオリンピックやパラリンピックの会場に立候補しないほうがよいでしょう。ただ莫大なお金をかけるだけであり、税金も人力も無駄遣いしているだけになっているからです。

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 このブログをお読みの方はおわかりかもしれませんが、私は、そもそもオリンピックとワールドカップには関心がなく、テレビ中継なども見ません。ただの馬鹿騒ぎにしか思えないという部分が見え隠れするためです。それでも今回のオリンピックについて何度も記してきたのは、古代ローマの「パンとサーカス」が現代のオリンピックやワールドカップなのであると考えるからです。そうでなければ、国民の生命や健康よりもイヴェントやお祭りを大事にする、そちらのほうに力を注ぐということがあるでしょうか。実は、2020年3月24日においてはオリンピックやパラリンピックは見世物ではない、そうであるべきではないと考えていました。本来であれば見世物ではないですし、出場する選手は真剣でしょう。しかし、商業イヴェントと化して久しく、見世物のようになってしまいました。オリンピック招致が決まってから、日本国内でオリンピックの開催に反対する意見がいくつも見受けられました。私は、そうした意見が書かれた本を何冊か買い、読んできました。今も研究室に何冊かがあります。果たして、そうした本に書かれたとおりになった、いや、もっとひどくなったという感想を持っています。

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