ドビュッシーの「ピアノのために」(Pour le piano)という小曲集がある。その2曲目、サラバンド(Sarabande)をよく聴いている。
1曲目の「前奏曲」(Prélude)と3曲目の「トッカータ」(Toccata)とに挟まれた、ゆっくりとしたテンポで、物悲しい曲調である。あまり有名ではないが、以前、テレビのCMでも使われたことがあるので、御存知の方もおられるかもしれない。
幼い頃から「月の光」(Clair de lune)や「亜麻色の髪の乙女」(La fille aux cheveux de lin)を、当時の33回転EPなどでよく聴いていた。そのため、ドビュッシーのピアノ曲には親しんできたが、当時、家庭向けの、あるいは子供向けのクラシックのレコードには「ピアノのために」が収録されていなかったので、「サラバンド」も聴いたことがなかった。この曲を知ったのは大学院生時代であり、ピアノ全曲集を聴き通しているうちに好きになったのである。
何故、派手な曲の間の暗い曲を気に入ったのかはわからない。嬰ハ短調であるからかもしれないし、最初に耳にした時の心理状態の故かもしれない。頭の中に様々なイマージュが浮かんできて、私を捕える。現実から少しばかり離れ、別の世界に浮遊したい。そのような思いが、どこかにあるのかもしれない。
ドビュッシーが「サラバンド」にどのような思いを込めたのかはわからない。しかし、作曲者が、また演奏者が、どのような感情を曲に閉じ込めようとも、聴き手は、その感情をメッセージとして受け取ろうが、全く違うものを連想しようが自由である。音楽は、それが奏でられた瞬間から、作曲者や演奏者から独立して存在する。私は私なりのイマージュを湧き立たせ、その中に入り込む(私が歌を好まないのは、言葉による束縛が強いからである)。
それでは、私が「サラバンド」を聴いていかなることを頭に浮かべるのか。個人的なことであるし、共有すべきものでもないので、記さないこととしよう。