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ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

インターネットの広告で見たのだけれど……déjà vu

2022年03月16日 19時40分00秒 | 受験・学校

 最近、インターネットの広告で「9―3÷1/3+1=?」の正答率が低いという趣旨を見ました(「1/3」は「3分の1」のことです。以下も同様です)。

 既視感(déjà vu)に囚われていましたが、何のことはない、このブログに書いていました。2014年2月4日12時54分20秒付の「誤報か嘘であって欲しい報道」です。

 再び取り上げたのは、この数式に示されている計算の規則が理解されていなければ、税法の解釈などできる訳がないからです。実際、2022年3月4日1時16分15秒付の「メモ:『AとBとの合計額』の読み方」において記したことは、計算の規則をしっかりと身につけていることが前提でもあるのです。

 「誤報か嘘であって欲しい報道」において数式の話を取り上げた際には、小学生で学ぶはずである加減乗除の規則を知らない(または覚えていない)日本人が多いのだろうかと思っていました。念のために記しておくと、足し算・引き算と掛け算・割り算が混合している場合、括弧がなければ掛け算・割り算を先に行うのが鉄則です。上の数式の場合は「3÷1/3」を先に計算します。

 しかし、広告をたどって読んでみると、加減乗除の規則ではなく、分数の割り算がわからないという人が多いのではないかと思われました。この数式の正答は1なのですが、9という解答が多かったらしいことが書かれていたからです。最初、何処をどのように計算すれば9という答えが出るのかと思ったのですが、どうやら、3÷1/3の意味がわからないままに計算して1と計算したのでしょう。そして、9−1+1=9ということで答えを出したのでしょう。そうでなければ、9という答えは出てきません。

 分数の割り算については、私の記憶をたどった限りで記せば小学校で学んだはずです。今もそうでしょう。分数の割り算は、割る数の逆数を掛けて算出するのです。たとえば、1/2÷1/3=1/2×3/1=1/2×3=2/3、となります。ちなみに、1/2×1/3=1/6です。

 最初に示した数式の場合は、3÷1/3=3×3/1=3×3=9、となります。どうして3÷1/3の答えが1になるのかわかりませんが、掛け算と割り算を混同しているのでしょうか。

 仮に、加減乗除の規則を知らずに頭から順に計算すれば、9−3=6、6÷1/3=6×3=18、18+1=19、ということになります。但し、この19という答えを出すには、(9ー3)÷1/3+1=19という数式にしなければなりません。括弧を使わなければならない、ということです。ちなみに、分数の割り算のやり方がわからないと、加減乗除の規則を知らずに頭から順に計算した場合としても9という答えが出るかもしれませんし、5という答えが出るかもしれません。いずれにしてもおかしな答えです。

 これから、私も大学のクラス授業でこうした計算問題を就職対策として取り上げなければならないのでしょうか。計算が滅茶苦茶というのは、2021年度の法学特殊講義2Bでも散見されました。

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オンライン授業の格差

2022年02月07日 00時00分00秒 | 受験・学校

 COVID-19を受けて、日本でもようやくオンライン授業が進められました。しかし、市町村によって状況は異なるようで、同一都道府県内での格差も見られるようです。今でも在宅ワークを理解できない人がいるらしいので、或る意味で仕方のないところかもしれませんが、そうも言っていられない問題になっています。毎日新聞社のサイトに、2022年2月5日付の「結局PC使わずプリント配布 オンライン授業に格差 保護者の不満」という記事(https://mainichi.jp/articles/20220205/k00/00m/040/023000c)があり、埼玉県での事例が紹介されています。

 同県の全市町村について紹介されている訳ではないので、断片的に知るくらいしかできませんが、それでも或る程度の事情は理解できる内容です。

 大学でのオンライン授業や在宅ワークの増加で、インターネット接続が上手くいかないことが多くなりました。日本の回線状況が国際的な観点からすればどの程度なのかわかりませんが、どのような回線でも容量は限られていますので、インターネットの利用者や利用時間が増えれば限界に達することは明らかです。そのことを市町村の教育委員会などはどの程度までわかっていたのでしょうか。

 上記記事によると、さいたま市内では2021年度の2学期に小中学校のハイブリッド授業(教室での授業とオンライン授業との併用)が行われたのですが、やはり接続できない、あるいは接続はできても教材を開くことができない、などのトラブルが多かったようです。そこで、3学期が始まる前に接続テストを実施したそうです。ただ、テストは成功しても本式の運用が上手くいくかどうかはわかりません。さいたま市教育委員会も、負荷のかかり方を気にしているようです。ちなみに、2月3日において、市内の56の小学校で179の学級、17の中学校で56の学級が閉鎖となっています。

 埼玉県内でオンライン授業の環境整備が進んでいるとされているのは久喜市であるそうです。同市の全小中学校では選択登校制が取り入れられました(記事の内容からして1月31日からの週に始まったということでしょう)。大学であれば、オンライン授業の参加を確認できれば出席として扱うのが当然と言えますが、それは多くの大学で採用されているmanabaのresponという出席票発行機能があればこそとも言えますし、試行錯誤が続いている面もあります。久喜市の具体的なシステムはわかりませんが、上記記事によれば「当初は『出席停止・忌引等』として扱っていたが、感染拡大を受け、オンライン授業への参加や学習内容の定着が確認できれば市独自の措置として『出席』扱いとする」そうです。「独自」という点に引っかかりを覚えるのは私だけでしょうか。

 上記記事では市町村名が示されていませんが、オンライン授業の導入が進んでいない市町村もあるようです。県東部と書かれているにすぎない或る市町村では、2月から分散登校をはじめたようです。オンラインでの生授業も配信できるように市(の教育委員会?)が支援しているようですが、実際には2020年に各家庭のPCからWi-FIで接続しただけで、学級閉鎖になっても課題プリントの配布があっただけだったという話もあります。最近では文部科学省のギガスクール構想(2020年2月から)によって児童・生徒にノート型PCやタブレット型PCを配布することになっているはずですが、それもなかったということのようです。

 同記事を読んでいて、正直に「わからない」と思ったのが、県中央としか書かれていない市町村の話です。昨年、「第5波」の際に、その市町村の小学校でPCが配布されたそうで、「接続して、会話の時にオン、オフにする程度は練習したが、実用はほぼしてなかった。学級閉鎖になったら授業できるのか不安だ」というのです。これでは全く意味がないでしょう。実用をすることができなければ、何のためにPCを配布したのかがわかりません。オンライン授業を普及させるには機械だけでなく人の問題もありますから、一日や二日で準備が終わる訳ではないのですが、急ぐ必要はあります。

 ここまで記してきたことは、大なり小なり、他の都道府県についても妥当することでしょう。

 さて、話題を変えることとなりますが、上記記事に全く書かれていないことで非常に気になっている点があります。文部科学省のギガスクール構想です。「吉田製作所」というYouTubeのチャンネルによると、この構想で推奨されているノート型PCやタブレット型PC(いずれもMicrosoft Windows 10 ProかGoogle Chrome OS)の性能が非常に低く、使い物にならないそうです。文部科学省のサイトに、2019年12月19日付の「GIGAスクール構想の実現パッケージ〜令和の時代のスタンダードな学校へ〜」(https://www.mext.go.jp/content/20200219-mxt_jogai02-000003278_401.pdf)という文書が掲載されており、そこに「学習者用端末の標準仕様」が示されています。「5万円程度の価格帯」とされており、次のようになっています。

 ①Microsoft Windowsの場合

 OSはMicrosoft Windows 10 Pro

 CPUはIntel Celeron同等以上で2016年8月以降に製品化されたもの

 ストレージは64GB

 メモリは4GB

 画面は9インチから14インチまで

 ②Google Chirome OS

 OSはGoogle Chrome OS

 CPUはIntel Celeron同等以上で2016年8月以降に製品化されたもの

 ストレージは64GB

 メモリは4GB

 画面は9インチから14インチまで

 ③iPadOS(iOS)

 OSはiPadOS

 ストレージは32GB

 画面は10.2インチから12.9インチ

 他にも書かれていることがありますが、ここでは省略します。

 現在、私はMicrosoft WindowsやGoogle Chirome OSを使用していないのでよくわかりません。そこでiPadOSの箇所を見ます。

 iPadについてはWi-FiモデルなのかWi-Fi+Cellularモデルなのかがわからないのですが、おそらく、Wi-Fiモデルであれば十分ということなのでしょう。少なくとも学校でWi-Fi環境が整備されていればWi-Fi+Cellularモデルである必要もないので、Wi-Fiモデルとしておきます。Wi-Fi+Cellularモデルでは価格もそれなりに高くなるという理由もあります。

 まず、非常に気になるのはiOSのヴァージョンが全く書かれていないことです(同様のことはGoogle Chrome OSにも言えるのですが、このOSについてはよく知りません)。iPadの場合は購入時点で最新ヴァージョンのOSが入っていることが多いですし(細かいヴァージョンアップは購入直後に行う必要があります)、32GBでも十分に動くからでしょう。実際、第9世代になってから64GBモデルと256GBモデルが発売されるようになりましたが、第8世代までは32GBモデルと128GBモデルが発売されていました。

 ただ、32GBモデルを使ってオンライン授業でZoomやWebexを起動し、さらにWord、Excel、PowerPoint、Pages、Numbers、Keynoteというようなアプリも使うとなるとどうでしょうか。アプリによってはかなりのギガ使用量になりますから、残り容量には十分な注意を払う必要があります。32GBモデルでは、教材の保存などを考慮すると力量不足になってしまうかもしれません。少し高額でも128GBモデルのほうが使い勝手がよいかもしれません(ちなみに、私が2018年5月12日から2022年1月28日まで使用していたiPad第6世代のストレージは128GBです)。

 現行のiOSのヴァージョンが15.3であることと関係があるかもしれませんが、現行モデルであるiPad第9世代、iPad miniおよびiPad Airのストレージは64GBか256GBで、iPad Proであれば最低でも128GBです。5万円程度の価格帯ということからすれば、小中学校で使うのはiPad第9世代の64GBということになるでしょう(4万円でお釣りが来ます)。Wi-Fi接続さえ上手くいけば上記の①(Microsoft Windows 10 Pro)など問題にならないほどに活躍してくれるでしょう。なお、iPhone12およびiPhone13のストレージは64GB、128GB、256GBの三種類となっており、iPhone11のストレージは64GBと128GBの二種類、iPhone SEのストレージは64GBです。

 先程記した「吉田製作所」の動画によると、上記の仕様ではMicrosoft Windows 10 Proなど全く使い物にならないそうです。とくにCPUがよくないようですし、メモリが4GBでは処理に時間がかかるようです。何故HomeではなくProなのかと疑問に思いますし、Windows機の場合、Macと異なって最初からあれこれのソフト(アプリ)が最初からインストールされていることが多いので、実際に使えるストレージの容量はそれほど多くないということになります。また、大規模、小規模の別を問わず、OSのヴァージョンアップをする必要がありますが、大規模なヴァージョンアップであればメモリもストレージも相当の量を使います。見極めが難しいとはいえ、最初から或る程度は大きな容量を見込んでおかないと、1年も経つか経たないかのうちにPCが使い物にならなくなります。私も大学院生時代から長らくWindowsを使っておりましたから、メモリ不足、ストレージ不足には何度も悩まされました。

 文部科学省が示した仕様はあくまでも標準で「あくまでモデルであり、各自治体が各学校での活用を想定して仕様書を作成」となっていますが、PCに詳しくない人が担当して仕様書を作成したら大変なことになると思いました。私の経験からしても、オンライン授業を上手く進めるには、Wi-Fiや光回線の使用環境という問題があるとはいえ、それなりの性能を有するPCを使わなければ話になりません。

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「である体」と「ですます体」の混用

2022年02月03日 07時00分00秒 | 受験・学校

 毎年、期末試験やレポートなどを読んでいると、必ず何通について「である体」と「ですます体」との混用が見受けられます。

 引用部分があるのであればわかるのですが(むしろ、引用は原文に忠実でなければなりませんから)、地の文章で混用が見られるのです。

 何らかの意図があるということが明らかであれば、こちらも読んでわかりますから問題視はしません。

 おそらくは意図も何もなく混用していると思われる文章が目に付くのです。例えば、このような感じです。

 「憲法第29条第3項によれば、損失補償の中身は『正当な補償』でなければならないのですが、その意味については大きく分けると二つの見解が存在する。

 第一は、相当補償説です。この考え方によると、補償は、当時の経済状態において、社会国家の理念に基づき、客観的かつ合理的に算出された相当な額であることが必要であり、かつ、それで足りるということになります。

 第二は、完全補償説である。この考え方によると、私的財産の収用(など)の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくするような補償が必要とされることになります。」

 とりあえず、このブログに掲載している行政法講義ノート〔第7版〕の「第42回 損失補償法制度(その2)」を修正の上で引用しましたが、いかがでしょうか。文体を混用させると、文章のリズムを崩すので、見た目にもよくありませんし、読みにくいでしょう。声を出して読めば、調子がおかしいことに気付くはずです。

 私も、講義の際には(口頭ですから)「ですます体」を基調にしつつも「である体」を混用することがあります。大抵は私なりの意図があるからですが、その場の流れや空気で混用することもあります。ただ、これはその場に聞き手が存在するからよい訳でして、仮に録音起こしで文章化するならば、よほどのことがない限りは文体を変えるでしょう。または、段落を分けるなり「 」を付けるなりということで対応するかもしれません。

 ともあれ、可能な限り、文体は統一しましょう。

 また、期末試験の答案やレポートにおいて「ですます体」を使うことが悪い訳ではないのですが、「である体」を使用することをお薦めします。そのほうが書き易いはずですし、文章も締まります。「ですます体」で書くことが悪い訳ではないのですが、「である体」に比べると文末表現の幅が狭くなり、単調になりがちですから。

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添削指導などの限界

2021年12月31日 18時17分00秒 | 受験・学校

 先日、近所の書店で今野真二『うつりゆく日本語をよむ−言葉が壊れる前に』(岩波新書)を購入し、読んでいました。

 その本の146頁以下に、大学における初年次教育の話が出てきます。私も勤務先で初年次教育に関わりましたし、今もその延長のような科目を担当しているので、気になるとともに、「やはりこのように考えている人はいるのだろうな。少なくないかもしれない」と思っています。

 今野氏は、「初年次教育」について「社会での生活を視野に入れながら、大学での学びをなめらかに行なうことができるようなカリキュラムを大学一年生に用意するということだ。その中に日本語の運用能力が含まれていることが多い。レポートを書いてもらうと、教員に理解しにくい日本語でそれが書かれている、ということが二十年ほど前から話題になるようになった」と書かれています。

 私が大学の講師として就職したのは1997年、今から24年前のことですからこの辺りの事情はよくわかりません。ただ、同書を読み進めて、考えさせられることがありました。それが添削指導です。

 「添削されてもどってきた自分の文章をみて、添削されたかたちが、自分の書いた時点よりもよくなっていると素直に感じたとしよう。しかし、『原理面』において、添削の要点が理解できなければ、応用はきかない。今添削された文章とまったく同じ文章を今後また書くということは通常は考えにくい。そうすると添削は一回一回のものということになる。」

 今野氏はこのように記します。レポートの添削に限った話ではなく、様々な場面において同じような光景が見られることでしょう。「一回一回のもの」は、言い換えれば「その場限りのもの」ということでしょう。

 また、とくに初年度教育のためにTA(ティーチング・アシスタント)を導入する大学が多いことでしょう。しかし、実際のところ、成果はどの程度のものでしょうか。この点についても今野氏が記しています。長くなりますが引用しておきます。

 「TAは担当教員から添削のポイントを説明してもらったうえで、添削をするだろうが、結局は担当教員とTAとがまったく同じ『リテラシー』をもっているとは限らない。むしろ異なるとみるのが自然だ。となると、この授業の添削は一貫した基準、一貫した原理でなされていないことになる。添削された結果、すなわち赤が入った自分の文章をみて、どこが改善点であるか全くわからないということはないだろう。ただ、結果からわかることは、誤字脱字を初めとした明白なことのみで、より深刻な問題点については、深刻なだけに、自身では気付かないだろう。説明のない添削は、あからさまなミスの指摘以上のことを書き手に伝えられないと考える。これは、投稿した論文が査読されて、理由説明がまったくなく『掲載不可』と伝えられるのと同じで、説明がなければ、『次』にはつながらない。」

 悩ましいところです。

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大学祭の時期ですが

2021年10月29日 08時00分00秒 | 受験・学校

 日本の何処の大学でも大学祭というものがあるはずです。2019年度までは行われていたはずである、と記すほうが正しいかもしれません。

 大学によって時期が異なりますが、比較的多いのは11月上旬、とくに11月3日を日程に含む時期でしょう。

 しかし、2020年度には、おそらく予定通りに大学祭を行った所などほとんど存在しないはずです。オンラインで行った大学があるという話を聞いたことがありますが、多くの大学で中止になったのではないでしょうか。私が勤める大東文化大学がそうで、本来であれば大学祭の期間である日もオンライン講義を行っていました。私が非常勤講師として講義を担当している他の大学も同様です。

 そして2021年度ですが、対応は分かれています。大学祭を行う所もあれば、大東文化大学のように中止となった所もあります。

 こんなことを書くのも、或る日、学生から「大学祭って何をやるのですか」と尋ねられたからです。その学生、に限らず、その学生と同じ学年の人たちは、入学してから大学祭を経験していないのです。そのため、大学祭を知りようがない訳です。

 大学祭の時期は全学休講ですから、一切登校しないという学生も少なくありません。それでも、1か月前になれば学内に大学祭関係のポスターなどが溢れますから、どのようなことが行われるかということくらいはわかります。

 しかし、2020年度および今年度に大学祭が行われないのであれば、ポスターも何もないのですから、断片的な情報も入りようがないのです(サークル活動を行っている学生は別でしょうが)。

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分数の計算ができていないのか、単に条文を読んでいないのか?

2021年10月14日 00時00分00秒 | 受験・学校

 この数年、法学特殊講義2B(相続税および贈与税)という科目を担当しています。この科目の内容を学ぶためには、まず民法第5編の規定、とくに第900条に定められる法定相続分を理解しなければならないのですが、その計算問題(勿論、比較的簡単なケース)を出したのですが、意外に「できていない」のです。

 まずは問題を御覧ください。

 

 2.次の(1)〜(3)に登場する相続人の法定相続分を答えなさい。但し、特記なき場合には相続開始時に相続人が死亡していないものとします。

 (1)A:被相続人。

    B:被相続人の配偶者。

    C、DおよびE:被相続人の子。

 (2)A:被相続人。

    B:被相続人の配偶者。

    C:被相続人の子。但し、相続開始時の2年前に死亡。

    D:被相続人の子。

    EおよびF:Cの子。

    GおよびH:Dの子。

 (3)A:被相続人。直系卑属はいない。

    B:被相続人の配偶者。

    CおよびD:被相続人の親。

 

 ここで直ちに正解を示すことはせず、タイトルに示したことについて書いておきましょう。

 まず、民法の条文を読んでいないのだろうと思いました。また、この講義については私が資料を作っており、法定相続人および法定相続分についても記しているのです。民法第900条の各号を読めば、法定相続分は理解できるでしょう。

 次に、分数の計算ができていないのではないかと思われる解答がいくつも見受けられました。各法定相続人の法定相続分を合計すると1を超えて4分の5、2分の3、2などということになるはずがないのですが、意味を理解していないのだろうと思わざるをえません。仮に1を超えてしまうと、法定相続分の合計が被相続人の遺産総額を超えるというミステリーが生じてしまう訳です。

 例えば、被相続人がA、その配偶者がB、子がCおよびDとします。民法第900条によると、配偶者の法定相続分は2分の1、子の法定相続分は子全員で2分の1で、その2分の1を子の人数で等分するのです。子が2人であれば子の法定相続分は1/2÷2=1/2×1/2=1/4、3人であれば1/2÷3=1/2×1/3=1/6ということです。従って、Bの法定相続分は2分の1、Cの法定相続分は4分の1、Dの法定相続分は4分の1です。合計すれば1になります。

 それでは、(1)〜(3)の正解を記しておきましょう。

 (1) B:2分の1   C:6分の1   D:6分の1   E:6分の1

 このケースでは配偶者Bの法定相続分が2分の1、子の相続分が3人合わせて2分の1です。C、DおよびEのそれぞれの法定相続分は、2分の1を3等分することによって得られるから、6分の1となります。

 (2) B:2分の1   C:0(相続開始時の2年前に死亡しているため)  D:4分の1  E:8分の1(Cの子であるため、代襲相続人となる)

     F:8分の1(Cの子であるため、代襲相続人となる)   G:0   H:0

 基本的には(1)と同じですが、Cが相続開始時の2年前に死亡していた点に注意してください。

 代襲相続人が存在する場合には、次の手順で考えるとよいでしょう。

 ①まず、Cが相続開始時に生存していたと仮定すると、法定相続人はB、CおよびDとなるので、法定相続分は次のようになります。

 B:2分の1  C:4分の1  D:4分の1

 ②実際にはCが相続開始時より前に死亡していたので、Cの子であるEおよびFが代襲相続人となります。EおよびFの法定相続分はCを引き継いだものとなるため、Cの法定相続分を代襲相続人の数で等分することとなります。従って、Cの4分の1を2等分して8分の1となるのです。 一方、GおよびHはDの子であり、Dは相続開始時に生存しているため、Dが相続欠格事由に該当する場合、または廃除された場合を除き、法定相続人となりえません。

 (3) B:3分の2  C:6分の1  D:6分の1

 このケースではAに直系卑属がいないため、親、つまり直系尊属であるCおよびDが法定相続人となります。法定相続分は配偶者が3分の2、直系尊属が2人合わせて3分の1ですから、CおよびDの法定相続分は、それぞれ、3分の1を2等分して得られる6分の1です。

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またオンライン講義か

2021年09月08日 14時10分00秒 | 受験・学校

 あと一週間から二週間で後期講義期間が始まりますが、オンライン講義が増えることとなりそうです。

 オンラインでのライヴ講義であればまだよいのですが、オンデマンド型が増えそうで、非常にやりにくいという印象を抱き続いています。

 私の場合、動きながら講義をすることが多いので、じっとしているのがつらかったりします。 

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論述式試験の答案、レポートなどを採点していて気になること

2021年08月03日 22時15分00秒 | 受験・学校

 私が担当している大学のためなのか、一般的傾向であるのかはわかりませんが、採点して気になることがありましたので、ここに記しておきます。

 なお、このブログに「法律学の勉強の仕方(その4)答案練習」および「期末試験の答案 書き方など」を掲載しておりますので、併せて御覧ください。

 論述式試験やレポートを出題しているということは、「●●について論じなさい」のような一行問題であれ事例問題であれ、必ず論点(争点)があります。これが出題者の意図です。論点がなければ、2行か3行で、あるいは100字以内(でも何文字以内でもよいのですが)で説明するように指示しているはずです。

 そうなると、問題文に隠れている論点(争点)を見つけ出し、示すことが必要になります。ところが、この論点(争点)の摘示ができていない答案・レポートが非常に多いのです。論点(争点)を上手く摘示できるか否かは、その後の論旨に重大な影響を及ぼします。これは当然のことであり、誤った論点(争点)を示すと後続の部分が問題文とかけ離れた論述となり、不合格点まっしぐらになります。

 続いて、論点(争点)に関する学説や判例の概要を示す必要があります。これもできていない答案やレポートが多く、全く示していないもの(これはとくに、参照条文を付した論述試験問題において見受けられます)、あるいは、示してはいるが不十分であるか的外れなものであるかというものばかりということもあります。

 そして、このところ特に多いのは、判例の概観をした上で、直ちに「判例の趣旨が▲▲であるから、この問題についても▲▲である」という短絡的な答案やレポートです。判例や学説の検討や批判が必要であり、最終的に判例の立場に依拠するとしても、まずは判例の立場が妥当かどうかを検討しなければなりません。実務であれば「判例の趣旨が▲▲であるから、この問題についても▲▲である」という解答が求められるでしょうが、法律学という学問における試験・リポート問題なのですから、判例、学説など、複数の説(だから論点・争点が登場するのです)の妥当性を検証する必要があるのです。判例の立場を無批判に採用することは、問題の本質が見えなくなることにつながります。注意しましょう。

 もっとも、「判例の趣旨が▲▲であるから、この問題についても▲▲である」というようなものは学者の判例評釈などにも時折見受けられますが、主題や展開に左右されるとはいえ、手抜きと言ってもよい場合が多いでしょう。レポートの場合は、いくらでも体系書や論文などを参考として読み、引用してもよいのですが、論述の仕方に十分な注意を向けてください。

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改めて 法学部の学生は社会思想史か政治思想史を勉強しなさい!

2021年06月18日 23時30分00秒 | 受験・学校

 これまで、このブログに「法学部の1年生は、社会思想史を勉強しなさい!」(2012年10月10日21時40分45秒付)、「レッセ・フェール(laissez-faire)」(2012年11月06日02時11分05秒付)、「法学部の学生は、世界史(とくに社会思想史)を勉強しなさい!」(2015年04月15日00時48分26秒付)、「久しぶりに、或るドイツ語の体系書(教科書)を読んで」(2019年12月30日0時3分30秒付)を書き、法学部の学生が社会思想史を学習する必要性を繰り返し主張してきました。これは私が大東文化大学法学部で、主に2年生のクラス授業を担当してきた経験によります。憲法との関係で言えば政治思想史のほうがよいかもしれません。どちらも学習するのが一番よい訳で、私自身も学生時代から双方の教科書を何冊か買い、読んできました。

 そして今年も記します。

 先日、立憲主義憲法および日本憲法史(大袈裟ですが)について出題したのですが、出来はかなり分かれました。とくに、権力分立主義について「果たしてこの学生は世界史や政治・経済をしっかり勉強してきたのだろうか?」と不安になるような答案が多かったのです。

 権力分立論の淵源については、たしかカール・シュミットが『憲法論』か何かで興味深い議論を行っていますが、一般的にはJ.ロックが『市民政府二論』において最初に唱えたということになっています。彼の主張は立法権と執行権(法律を執行する権限のこと)とを分けるべしというものでした。ロックの著作はフランスに移入され、モンテスキューが『法の精神』において三権分立を主張します。正確ではないかもしれませんが、国家権力を立法権、行政権および司法権に分割すべしというものです。

 ロックとモンテスキューをあげるのが常道ですし、私もこの二人の名を書くことで正解としたのですが、ホッブズ、J.J.ルソー、ヘーゲル、マルクスなどと書かれた答案が少なくなかったのです。ホッブズは社会契約論を唱えた者の一人ではありますが、『リヴァイアサン』を読めばおよそ権力分立論とは無縁であることがわかります。ルソーも権力分立論とは縁遠い存在で、彼はむしろ直接民主制を唱えています。ヘーゲルは社会契約論者と言えませんし、マルクスに至っては共産主義でしょう(マルクス主義ならプロレタリアート独裁ということになります)。

 余談ですが、最近、電子書籍で荒谷大輔『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)を入手し、読みました。ロックとルソーとを対立軸の双方に置き、近代以降の社会を概観するというもので、権力分立論とは直接関係ないのですが、ロック、ルソーの思想が要領よくまとめられており、参考になります。一読をおすすめします。

 ここで本題に戻りますと、社会契約論の主張者としてまとめられる思想家の違いは、高校の世界史か政治・経済で学ぶはずですし、大学の社会思想史や政治思想史でも当然扱われます。単に歴史的な事件としてではなく、現代に至るまでロックの思想あるいはルソーの思想からの影響が社会、政治、そして経済のシステムに現出しているのです(そのことが書かれているのが、先の余談であげた荒谷氏の著作です)。当然、憲法にも現れます。権力分立論はもとより、人権についても、どの部分がロックからの影響を受けているのか、またルソーからの影響を受けているのか、などと考えてみるのも面白いでしょう。ともあれ、思想史はしっかりと学んでください。

 全く別の話になりますが、気になることをもう一つ記しておきます。日本国憲法の制定に関わることですが、GHQ(連合軍総司令部)で作成された草案はマッカーサー・ノートで示された三原則に基づくものと言われています。ここでどういう訳か日本人の名前が記されている答案がありました。何処でどういう勉強をしてきたのでしょうか?

 もう一つ別の話を。形式と解答すべき問題で「形質」と記された答案がいくつかありました。全く意味が違います。

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大学で対面授業が行われないのは義務の不履行に該当するのか

2021年06月10日 00時00分00秒 | 受験・学校

 Yahoo! Japan Newsでも取り上げられていたので御存知の方も多いことでしょう。今日(2021年6月9日)付の朝日新聞朝刊25面14版に「コロナ 大学授業オンラインのみ 学生、『義務不履行』提訴へ」という記事が掲載されていました。朝日新聞社のサイトには、今日の5時付で「学生、『義務不履行』提訴へ コロナ、大学授業オンラインのみ」(https://digital.asahi.com/articles/DA3S14933239.html)として掲載されています。

 COVID-19の蔓延拡大により、少なくとも首都圏や京阪神の大学の多くでは2020年度にオンライン授業が行われました。私も、大東文化大学(本務校)、國學院大學、中央大学、そして東洋大学大学院の授業をオンラインで行いました(筑波大学法科大学院のみ、教室での講義でしたが、学生はオンライン出席かオンデマンドでした)。いざ行ってみると、教室での授業よりも大変で、疲労が溜まることもわかりました。2021年度は大学によって様々であり、大東文化大学では原則として教室での授業ということで、私は科目に応じて対面授業のみとハイブリッド型を採りましたが、他の大学ではオンラインのライブ型とオンデマンド型とされました。

 さて本題です。上記記事によると、明星大学経営学部の学生であるX氏が、近々、同大学を被告とする訴訟を東京地裁に提起するようです。最終的な請求は合計140万円の損害賠償で、この額には学費の返還分も含まれています。

 同大学の2020年度の態勢がよくわからないのですが、上記記事によると、2020年度の前期は全学部でオンライン授業を行い、後期から一部の科目で対面授業を行ったということですが、経営学部の場合はオンライン授業のみであったようです。そのため、X氏が2020年度に受けた授業は全てオンラインで、記事の内容からすれば主にオンデマンド型、つまり、録画を見てレポートを提出するというものでした。

 X氏は「コロナ渦を理由に対面授業をやらないのは、大学として義務を果たしていない」、「オンライン授業を安易に続ける大学に不安や疑問を感じる学生は多い。誰かが声をあげないといけない」という趣旨を語っていたそうです。2020年中に、インターネットの記事などで時々見かける意見や批判も、おおよそ同じ内容でした。他大学でも、とくに実習などがある科目では教室での授業を再開したところもありますが、科目によっては履修者が多く、感染対策の観点から大教室での授業を避ける学校が多かったのではないでしょうか。

 また、X氏は、おそらく訴状において主張するものと思われるのですが、文部科学省が2020年7月および9月に各大学に求めた「対面授業ができない理由の説明」、「授業の代わりとなる学生同士や教授らとの交流機会の設定」をあげているようです。つまり、「理由の説明」なり「交流機会の設定」なりを行っていなかったということが「施設を利用させるなど学生との契約義務を履行していないと主張する」理由となっているのでしょう。なお、2020年10月時点における文部科学省の調査によると、187の大学や高等専門学校などで「対面授業の実施割合」が「全体の半分未満」であり、「ほぼすべての学生が授業形態などを理解・納得している」と回答した大学などは18に留まったようです。

 一方、明星大学経営学部では2020年9月および2021年3月に交流会を行ったということです(同学部のサイトにはその旨が書かれていなかったのですが、記事が削除されたということでしょうか)。この部分はX氏と大学との間で食い違いがありますが、情報の伝達方法に何らかの問題があったとも考えられますし、どのような状況でもこのようなことは起こりうるとも言えます。

 そして、X氏の主張および請求は認められるのでしょうか。私は五分五分と考えています。裁判は、いかなる主張・立証を原告、被告の両者が行うかによって勝負が付くものですから、今の段階では何とも言えないのですが、2020年2月末日に全国の学校(小学校や中学校など)に対する休校要請が行われ、4月および5月には緊急事態宣言が出されて移動などの自粛が呼び掛けられたという事実は、被告に有利でしょう。問題は緊急事態宣言が解除されてからの状況で、夏以降に新規感染者数が増加し、大学でのクラスター発生が報告され、個々の教職員や学生の感染例も多く見受けられたことからすれば、被告の主張も通るものと思われます。一方、2020年の緊急事態宣言の解除後に、移動の自粛要請も緩和され、GoToキャンペーンまで行われ、文部科学省が対面授業の再開を強く促したということからすれば(但し、法的拘束力があった訳ではありません)、原告に有利と言えます。小学校や中学校などでは6月から教室での授業が再開されましたし、大学入試(一般、推薦のいずれも)が行われたことも、原告の主張に裏づけを与えるものでしょう。

 コロナ渦よりも前からオンライン授業が行われていた国もありますが、日本の大学では例外的な存在であり、オンラインの導入も感染対策も手探りの状況が続いていたということは、理解していただきたいと考えています。

 上記記事を読み、私の身の回りなどと比較すると、なかなか複雑であると感じます。2020年度、既に記したように私はほとんどの科目でオンライン授業を行いましたが、やはり教室で行いたいという気分はかなり強かったのでした。他の多くの大学教員も同じことを考えたのではなかったでしょうか。

 一方、2021年度に入り、ハイブリッド型を採用してみたら、少なくとも私の担当科目には教室での出席者よりもオンラインでの出席者のほうが多いというものもあります。東京都は緊急事態宣言の対象地域ですし(そもそも、今年に入ってから緊急事態宣言の対象でなかった日のほうが少ないでしょう)、通学しなくともよいということにメリットを感じた学生も少なくなかったということです。

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