小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

「お互いさま」=「相互主義」-「自己啓発病」社会(宮崎学:著 祥伝社:刊)を読んで その6(最終回)

2012-08-17 08:42:51 | 弱さへの思考
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著者は、「自助には2つある」と説く。

1つは「利己的自助」
これは「あんたが取れば、私は失う」というものである。例えば…麻雀?
自分で自分を守ることだけを考え、他人を押しのける行動。

もう1つは、
「自ら打開しなければ、誰も打開してくれない」ものとして認識し、
その状況の打開に自ら立ち向かっていくこと。
その場にいる全員が、同じ状況に直面して、同じ自助の構えをもっている、とするならば、
自助は他助になり、他助は自助になる関係が成立する。

これが「自助の連帯」である。


そうした関係が成立しているところでは、
「他人を助けるのは自分のため。」という思想が広がる。
そして、
他人を助けようとする者のみを、他人は助けてくれる。
つまり、自分だけを助けようとする者を、他人は助けない。助ける気持ちにならない。

「お互いさま」=「相互主義」なのだ。


昨日もお伝えしたが、
小泉政権の浸透させた「新自由主義自助論」(努力するものは報われるという幻想)を打開するためには、
スマイルズの説いた古典的自由主義「自助論」とも本質的に異なる部分を明らかにして、双方の限界を見極めることである。

つまり、スマイルズは古すぎ、かといって、そのとあるパーツのみを為政者の都合のいいように歪曲した「自立論」も現代に合っていない、ということだ。


これらを超えるためには、
「自助は他助になり、他助は自助になる関係」=「他人を助けるのは自分のため。」
を作り上げることだ。

自助が成立する社会とは利己的な社会ではない。
自助が成立する社会とは、個人個人の自助が相互に働いて、
相互扶助が成り立つ社会なのである。



一時期「コミュニティ」という言葉が流行した。
その後、なりを潜めていたが、改めてこれを考えて構築する必要がある。
それは居住地域もさることながら、ネットワークで世界中と繋がる「コミュニティ」の構築であり、
「コミュニティの再編」を持つことで、
このくだらない、為政者の「ずっとやっちょれ!バカ!」な政策と法律との微妙な距離感を保ちつつ、
自助・相互扶助を構築することなのだと思う。

お互いにできることをして、他者を助けましょう。できることでいいのです。
いつの日か、窮地に陥ったとき、必ず助けてくださいます。

…と打っていて、1つのイメージが浮かんだ。
「アーミッシュ」と呼ばれている方々のことである。
次回、機会を設けて、アーミッシュ研究?をすることとした。

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