7月18日(水)
熱風が顔をめがけてやってくる
暑さが半端ではない。多治見で39度出ていたのが昨日だった。我が家のベランダは風通しの良いところでも42度はあるだろう。
ほとんど寝ずのまま桜が丘ミュージアム遊友展へ。アタシが開ける当番。ほどなくしてハラさんがやってくる。
今日は劇的な出会いがあった。スーツ姿の男性のがアタシの中学の出を尋ねる。なんとお世話になったエーオイさよ先生のご子息だった。偶然桜が丘ミュージアムの前を通りかかったということだった。母がよく口にする 田代 という名が出ていてもしやと立ち寄ってくださったのだ。先生は昭和2年92歳で車いすという環境でおられながらご健在であられた。
あまりの唐突さに息を飲む。92歳というご高齢になられながらも中学生のあたしのことをまだ口にされているということだった。
もうこれは会いに行くしかあるまい。極貧なアタシを面倒見てくださったのだ。このころのことを書けば本の一冊にもなる。
教え子など100万はいないとしても1万はいるだろう。
しかもご子息は名古屋住まいたまたま桜が丘ミュージアムの前を通りかかったということだった。車であろうが横を見なければ看板など目につかなかったはずだ。火との縁ということを考える。何を申し上げていいのやら咄嗟には考え付かなかった。
何がそうまでしてエーオイさよ先生の心のひだにアタシが棲み付いてしまったのかはわからない。修学旅行にも参加できなかったアタシにやさしく手を差し伸べて下さったのもエーオイさよ先生だった。たぶんアタシは断った覚えがある。義父に叩かれて壊れたメガネを新調してくださるという申し出も頑なに断った記憶もある。極貧の家庭環境など今でもある。おもいだしてもつらいことばかりだった。
仕事で今、疎(うと)ましく92歳の婆さんの介護をしている。ああ、どうしよう。
もっと人(認知症人)にやさしくせねば。こころを改めよう。
エーオイさよ先生にあうべきか会わざるべきか。そばで話を聞いていたハラさんは会いに行くべきと静かに答えを下した。
今日はもう一つドラマがあった。
トシを取るのもいいことだ。辛いことばかりだけれど。
昼過ぎに休憩を取るべく部屋に戻る。
厨房メモ
カトキン、サカグチくんに訊いたら現役であられたころのエーオイさよ先生のことはわかるだろうか。
なんでこのトシになって。
熱中症警報が出されていた。外に出ない歩かない、むちゃくちゃに暑いらしい。その中で自転車で走り回っていた。これは危ないと部屋に戻りシャワーを浴び着替えを済ませ桜が丘ミュージアムに出向いた午後だった。止むにやまれぬ用事があったのだ。
昨日今日逢いたい人とすれ違う。無念の極み。