続 ターボの薩摩ぶらり日記

ー俳句と写真の相乗効果をめざしてー 

タラの花

2018年09月30日 | 日記

空地のタラの木に花が咲いていた。
芽をもいで天ぷらにする地方では、お目にかかれない花だ。
画像は31日、谷山中央で写す。

底見えぬ崖に茫々楤の花(知世子)

芽をもいでしまう地方でも、手が届かない芽は諦めざるを得ないから花が咲く。
楤の字はワープロ時代は、惚の立心偏を木偏と置き代えて自分で造らなければならなかった。


カタツムリ

2018年09月30日 | 日記

雨上がりの路上をカタツムリが這っていた。
インスタ映えならぬブログ映えをねらって、つまんで葉の上に移した。
画像は28日、谷山中央で写す。

蝸牛をつまむ微かに抗ふを(みづえ)

つまむとすばやく殻に閉じこもり、葉に移しても閉じこもったままだった。
反応の違いは、男と女の指の違いだろうか。

ルコウソウ

2018年09月28日 | 日記


民家の生垣にルコウソウが咲いていた。
画像は27日、谷山中央で写す。

縷紅草垣にはづれて吹かれ居り(清子)

歳時記の例句はコスモスのように、風とのコラボが多い。
句意は開放感、疎外感のいずれだろうか。


小海老草?

2018年09月24日 | 日記

小海老草に似た花が民家の花壇に咲いていた。
調べてみると、小海老草には多くの品種があって、そのひとつに酷似していた。
「俳句の花図鑑」には載っていなかった。
画像は22日、谷山中央で写す。

ゆでてなほ海老たくましや夏に入る(真砂女)

作者は銀座の小料理屋「卯波」の女将。
首都圏に住んでいたときに入りたかったが、気後れした。

こぼれ萩

2018年09月23日 | 日記


道へあふれている萩を再訪すると、大方は散っていた。
画像は22日、谷山中央で写す。

萩芒今年は見たり來年は(子規)

俳号の子規は喀血を連想させる不如帰の別名で、死キの意味も込めてある
とどの書物だったか、読んだことがある。

                           

露草の涙

2018年09月22日 | 日記


露草に夜来の雨が残っていた。
画像は今朝、谷山中央で写す。

露草の葉に露草の涙かな (和子)


涙は露、雨粒のどっちだろうか
おそらく露であろう。季重なりを避けて暗喩を用いたと受けとった。

豊の秋

2018年09月18日 | 日記


今年も台風に直撃されなかったので、順調に稔りの秋を迎えた。
画像は16日、上福元町で写す。

    すぐそこと言はれて一里豊の秋         藍子

田舎道で「すぐそこ」とは(車で)を省略した場合が少なくない。
広辞苑によると「そこ『其処・其所』とは、話し手が『それ』と指させるような範囲の所」
したがって「すぐそこ」と言われた場合「どこに見えますか」と確かめるべきだ。

彼岸花いろいろ

2018年09月17日 | 日記





マンジュシャゲを求めてペダルを踏んだ。
画像は16日、上福元町で撮影。

なかなか死ねない彼岸花さく
山頭火

歳時記には曼殊沙華の例句は少なく、別名の彼岸花の方が圧倒的に多い。
作者は42歳のとき、路面電車の前に立って急停車させたが、死にたかったらしい。