ひょんなことから知ったんですが、報道ステーションで日米合同委員会とはなんぞやという番組を12月6日に放送していた。
こちらのサイトさんがきれいにまとめてらしたのでリンクさせていただきます。
この中に、動画も入ってますのでご覧になってない方は見ても損はないと思います。
【憲法を超える存在】日米合同委員会とは?報ステが戦後から続くアメリカによる日本支配に切り込む!
http://健康法.jp/archives/24782
月に2回日本の高級官僚と在日米軍の高級軍人が会合をしている、というのがフォーマット。
で、このフォーマットの異常さに、しかしながら日本の人はどれだけ気付いているだろうというのがかなり疑問だわと私は思った。
鳩山由紀夫氏が、こっちが高級官僚ならあっちもそうでなければおかしいわけですよね、と発言していたが、それが何を意味するのかまでは言わせていない。
私の考えは、前に書いた通り。
前から日本には国防方針がないと書いているけど、要するに日本には軍がない、というのが正解なんだと思う。別の言い方をすれば、日本の軍は米軍なので、日本の国防方針とは米軍とすり合わせた方針ってことになるんだと思う。日本にある軍に似た組織はその下請け機関に過ぎない。
戦後レジームに対する「アリの一穴」となるか・日米合同委員会議事録の情報公開訴訟の持つ意味
これを呼び起こしたのは、ジャーナリストの神保さんがおっしゃった、
(ミャンマーの話から)、でもだいたいどこでも革命があったりしたときに、(重要になるのは)軍との調整ですよね。で、これってさ、軍との調整なんですよ
アメリカからのメンバーは、在日米軍の参謀長クラス全部、陸海空、だからここで軍と民、シビリアンの間で権力の行使の仕方が話し合われてる。そこ(軍)の後ろ盾がなければ、ダメですよね。ゲバルトの根幹の部分なわけでしょ。だからやっぱ、それを敵にまわしたらね、総理大臣だってダメでしょ、軍を敵にまわしたら。
そうなんですよ。日米合同委員会とは、日本の軍とシビリアンの調整なんですよ。そのつもりがあろうがなかろうが。
いろんな国で、政権が腐敗して、ぐじゃぐじゃになっても軍はしっかり組織が残って、そこがしばらく支えて、政治が出てくる、その際、軍がOKしなかったらダメ、みたいなことが多くある。
神保さんはミャンマーをあげてらしたけど、私はロシアをあげたいかも。ロシアも、エリツィンらがひょろひょろ米の傀儡政権になって、国内がぼろくそに解体されつつある時、軍は貧乏になりながらもチェチェンで戦って、つまり国境を守っていた。
これを私たちは、遠くから意味もわからず、まぁ野蛮、まぁ酷いとか言ってたわけだけど、しかし、少し考えてみればすぐわかる。あの時あそこを放置してロシアの国境を守り切れずジハードの通り道にしていたら、ロシア復活はなかっただろう。そして、軍と似た機能と能力を持った諜報機関から人が出てきても、事態はもっとずっと深刻であったことだろう。
と、国軍というのはやっぱり民族の根幹なんだと思うわけですよ。人々を守るユニットだからこそ人々が最終的にはそこに信頼を寄せる。
■ 国軍がわからない日本
で、日本の国軍の位置に米軍がいるというのは、ある種の国軍オタクの私としてはめまいがする思いなわけです。
が、しかし、これもやむを得ないのかなという気もして、さらに実は陰鬱な気持ちになる。
それはつまり、日本は国軍に守ってもらったという実感があるようなないような国だというのが問題なんだと思うんですよ。
幕末の軍備は周辺海域がごじゃごじゃしてるから守らなならん、から始まったので、これは国軍志向。守ろうとしているものはもちろん本土だから。
しかし、明治になってからの政府軍はまず、戊辰戦争などという野蛮極まる、日本史上にも類のない懲罰戦争をした。国内の、別に敵でもない人たちと地域を、あたかも下等な何かみたいにして撃ちに行くという発想は、ほとんどアヘン戦争の英軍のようだよな、という感じさえする。
その後は、周辺の国家に対してこっちから出ていく話ばっかりなわけですよ。で、その後50年ぐらいそんなことをやって、最後には、日本の陸軍本体が海を越えた大陸にあるという、信じられない状態で敗戦した。
前にも書いたけど、この状態を不思議だ、おかしい、なんだそれは、と問題視しなかった、させなかった、できてない、って時点で日本の戦後史なるもののうさん臭さと軽さがあると私は思ってます。
1945年8月10日、午前2時、昭和天皇の「聖断」
で、総じていえば、これでは国軍こそ我らが砦、みたいな考えが生まれる余地はないんだと思うんですよね。
しかも、戦後は影ではどうやら軍人または旧軍人が力を持っていたようだけど、表面からは消えてる。これでは信頼関係を作ろうにも作れない。
そもそも、人々の軍じゃなくて、皇軍とか言ってたぐらいだから、そこから国民の軍に再編成できなかった、という考え方もできますね。
(皇軍というのはジャーナリストが言う言い方で我々はそんなことを言うな、国軍だと言われたと即席ではあるにせよ士官となった山本七平氏が書いていた。)
一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫) | |
山本 七平 | |
文藝春秋 |
憲法を作っただけでは国にはならんと私は思うんです。
■ 国軍がないから外交も半端
で、国軍って別に大きな船をたくさん買いました、みたいな外側だけ作ってもダメだと思うわけですよ。
我らが砦という覚悟と信頼感がなければ。300人だって3000人だっていいから、外からの、あるいは内からの破壊的な勢力に対して抵抗する、この土地をお前の好きにはさせないという気力があって初めて成り立つわけでしょ、こういうのは。
で、外交なるものの根幹もこの覚悟の上に成り立つんじゃないでしょうか。お前らの好きにはさせないという気力あったればこその交渉ではなかろうか。
あるいは逆に、仲よくする、友好的になるというのだって同じ土俵だと思いますね。Aさんがこうで、Bさんがこうで、俺はこうなら話は収まる、と思えるのも、Aさん、Bさんとの関係における俺の立ち位置の確認あったればこそでしょう。ムダな戦いして大事な場所、国を失ったら大変だ、と思うからこそ仲よくするしかない、と発想できるようになる。
意地で中国大陸に居座ったり、何度でも北進論を唱えてた人たちにはこの発想はまったく見えません。国を守ろうという時の彼らの「国」は理念か何かのようだ。
■ 先を考えると大変な話
で、問題はこのように実に半端な形で国家を作ってきてしまって、あろうことか外国軍を自分の国軍であるかのような錯覚までしているのが私たちであるとして、この時もし外国軍が、まぁ俺は俺ですのでと多少引いて行ったらどうするのだろうか?
現在の日本というのは実にそういう状況なんじゃなかろうか?
まぁ絶望してないで、ひとつひとつ過去を洗い直していってアイデンティティを整備しなおすのが迂遠なようで正解だと考えるしかないでしょうね。明治朝日本だけが日本ではないという気概を持って。
「日米合同委員会」の研究――謎の権力構造の正体に迫る (「戦後再発見」双書5) | |
吉田 敏浩 | |
創元社 |
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか | |
矢部 宏治 | |
集英社インターナショナル |
どうも何かうれしいことを書いていただきありがとうございます。
私にしても2年ぐらい前までは別にロシアをほめたいと思っていたわけではないですが、日本の考え方の「つまづき」みたいなものは結局ロシアがらみなのだな、と思うようになって積極的にロシアの話を書こうと思うようになったんです。
「心騒ぐ青春の歌」にあるような、「私たちの願いはただ一つ、祖国で生きていきたいということ」と言えるような祖国に、日本もなってほしい。
日本語が付いているのがあるとは驚き! 面白いものをども。
その曲は去年2015年の軍のパレードで最後にアカペラで歌ってました。
https://www.youtube.com/watch?v=qn-j6mfC9vc
最後のサビの部分が今のプーチンのロシアを象徴していて良い曲だと思う。
ttps://youtu.be/-P0NCaNmt8w
いい例がサウジアラビアですよ。
ロシア並みの軍事費と米国製の最新兵器でイエメンに軍事介入。外部の批判を抑え込んでやりたい放題やっているのに、あの体たらく。
所詮は王様の軍隊だなぁと思います。