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Many Things

手作りのお菓子レシピ、料理、お店のケーキなど、たくさんの事を綴ります。
軽い気持ちで見てやって下さい。

葛飾柴又、寅さんの地へ。

2011年05月06日 20時10分43秒 | 小言
G.W.ももうおしまいですが、4日の日にお父さんとお母さんと私の3人で『葛飾柴又』に行ってきました。行き先を決めたのはお父さんです
天気も良く、気温も高い日だったので絶好の行楽日和でしたそして人も大量しかも“寅さん世代”と言うことで、年齢層高め・・・。若い人はうーんと若い(孫連れ)。若干複雑な気持ちを抱きつつ、今回は写真係に徹していました
せっかく撮ったので、紹介します(かなり長いです。)


柴又駅前には“寅さん”の銅像が。記念撮影の人でごった返してて、やっと撮れた渾身の一枚(笑)


まずは帝釈天へ。駅から行くと、両端に“草だんご屋”とか“煎餅屋”とか“漬け物屋”が浅草の仲見世のようにズラ~ッと並んでいました
でも、仲見世よりも道がすごい狭くて歩くのが精一杯写真撮りたかったなぁ

昼食後に向かった『寅さん記念館』。ココが結構面白かったです。“寅さん”は見たこと無いのでよく分かりませんが(汗)
  
寅さん自ら看板を付けているところらしいです。雪駄は父ちゃんが「撮って」と言ったので


「結構毛だらけ、猫灰だらけ、お尻のまわりは糞だらけ。」・・・すごいこと言ってんなぁ・・・(汗)


ジオラマとかリアルで面白かったです

  
 
ポスターとか、映画の一コマとかの写真もズラ~ッと。


「♪僕たち男の子~、(ゴゥゴゥ)君たち女の子~、ヘイヘイヘイ、ヘイヘイヘイ」
(↑多分合ってる・・・?これくらいならなんとな~く知ってる平成生まれなり。)
レコードなんて初めて見ましたチョット感動


可愛い寅さん。父ちゃんノリノリです

結構楽しかったです帰りは浅草に行って、『梅園』であんみつ食べて帰ってきました
なんか、東京の下町って好きです渋谷とか、新宿とか、なんか落ち着かないんですよねチョット考え方が老けてるかも・・・って思ってたんですが、今回柴又に行ってより一層下町好きになってしまいました・・・。 

じいちゃんとばあちゃん。

2011年04月08日 16時10分24秒 | 小言
特に面白い記事ではありません。お菓子記事が目当ての方は飛ばしてください・・・

バイトを辞めて3月いっぱいは何の予定もなかった私は、何気に“週1で祖父母宅に行く”という目標を掲げていました。
母方の祖父母宅は車で約1時間。近いようで遠いようなそんなところにあります
小さい頃は、幼稚園の頃から小学校6年まで、夏休みと冬休みに必ず1週間泊まりに行っていました。その頃はお父さんは怖くてよく殴られていたし、弟もワガママでうるさいし、いつもケンカしている状態お母さんは一人じゃ何も出来ない弟に付きっきり。
そんな家庭環境だったので、この泊まりにいく一週間は私にとって、もうオアシスでした(笑)
  
泊まりに行っても、怖いお父さんがバックに付いてるので、物をねだることはないし、手伝いもする。私的には当たり前の事だったけど、祖父母にとってはすごく良い子に写ったんだと思う
いつも『○○ちゃんは良い子だねぇ』って褒められてたこの頃は親以上に二人から愛情をいっぱい注いで貰ってたんだと思う。初孫だし(←関係あるのか?)

来週からもう学校が始まってしまうので、先日も遊びに行ってきました

じいちゃんは道路作ったり、そういう仕事をしてた人。もうとっくに仕事は辞めているので、ずっと家にいます。ばあちゃんはキュウリ農家で働いてて、つい最近辞めたばかり。
でも、人の良いばあちゃんは、時々頼まれて手伝いに行ってるみたい。この日もお昼頃までキュウリの手伝いをするはずだったらしいのですが、

    私:「今日いる?」
ばあちゃん:「今日はキュウリ頼まれてんのぉ。でも、○○ちゃんが来るなら10時頃帰って来ちゃうよ。」
    私:「えぇ!?いいよ、明日にする。」
ばあちゃん:「今日はキュウリ頼まれてるけど、○○ちゃんが来るなら10時頃帰って来ちゃうよ。」
    私:「(お、同じ事言ってる!)・・・じゃあ行くね

いつも行くときは作ったお菓子と、夜ご飯のおかずになるようなものを作って持って行きます。
写真は無いのですが、今回は“お団子”と“お麩と豆腐の卵とじ”を持って行きました。二人ともいつも『美味しい』って喜んで食べてくれるから作りがいがある
  
田舎名物の『温かい緑茶+漬け物+煎餅』が乗ったテーブルを囲んでおしゃべり。話題はほぼ地震と先日撮った成人式の前撮りの話題。
話をして、お茶飲んでお昼前に家に帰る予定だったのですが、「久しぶりに遊びに行くべ」と近所のシッピングモールまで行ってお昼ご飯を食べましたその後、

ばあちゃん:「○○ちゃん、まだ時間大丈夫だんべ?」
    私:「ん~、家に帰って洗濯物取り込まなきゃ」
ばあちゃん:「まだいいジャン、大丈夫。」
じいちゃん:「古代蓮がいいやぁ」

 ・・・という私の意見無視(笑)な話の後、古代蓮の里へ。写真は全部そこで撮ったものです。
  
古代蓮の季節は6月~8月上旬なので、咲いているわけではないのですが、夏休みに泊まりに来た頃は沢山の蓮の花が咲いていたのを思い出しました
しかも、写真が趣味のじいちゃんは朝が一番綺麗に咲く蓮の花を撮るために、私を朝8時頃から車に乗せて(早っ)ほぼ毎日のように行っていました
園内を散歩して、展望台にのぼって、ばあちゃん家に帰宅。

ばあちゃん:「疲れたべから上がってきやっせ」(疲れただろうから上がっていきなさい)
    私:「えー、もう3時過ぎたし、そろそろ洗濯物・・・犬の散歩もあるし・・・」
ばあちゃん:「大丈夫だよ、ほらほら、またしばらくこれねぇんだから。ほぉれ」
    私:「う~ん・・・」

・・・といって上がり込む私(笑)久々に長居してしまいました帰ったらもう5時近くなっていて、洗濯物~犬の散歩~布団敷く~メシの仕度~と忙しいったら
お母さんが帰って来る前までにやらなきゃダメってワケではないんですが、なんとなく意地?私はここまで完璧に出来るのよみたいな。

またしばらく行けなくなっちゃうので、寂しいですがまた暇を見つけて行こうと思います。
締まりのない記事になってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました

そろそろ・・・

2011年03月21日 20時19分36秒 | 小言
大きな地震があってから10日経ちました。でも、「もう10日も経ったんだ・・・」という気持ちです。
気持ちが落ち込むので、あまりニュースは見ていませんが、日に日に増えていく死者・行方不明者の数。そんな中でも、10日ぶりに発見された方がいましたね。
私は被災地の人間では無いので、どのように言えばいいのか分かりませんがこのお二人の発見は、救助をする人達の希望になったのではないかと思いました。

原子力発電所もだんだん復興に向かっているようですが、放射能の問題が大きく騒がれています。埼玉県の水道水にも放射能が確認されたらしいですが、人体にはさほど影響は無いそうですね。
考えてみれば、原発の近くに非難している人達や、なにより命に関わる放射能を浴びながら原発で作業している人達の事を思うと、そんな人体に影響が無いのに騒いでいるのはおかしいんじゃないかな?とも思いますね。
微量の放射能をテレビで騒いでいるんだったら、自らの命を張って原発で頑張っている人達の名前を出して、エールを送る番組があっても良いのかな~なんて思ったりもします。
そう言えば、今日久しぶりに見た官房長官と東電の人達・・・だいぶやつれていて少し気の毒でした・・・

計画停電もだいぶ慣れてきました。たった3時間の停電でも寒かったり、時間によってはご飯の仕度が出来なかったり、色々不便です。
電気が付く、レンジが使える、お風呂を沸かせる、こたつ、ヒーター、パソコン・・・・・当たり前だったことに日々感謝。
この停電がなかったら絶対に考えなかったことです。被災地の人達が苦しんでいる中、こうして電気のありがたさを学ぶのは変な感じがしますが、本当にそう思いました。
幸い、こちらでは水も、ガスも使えます。電気がつかないだけで不便なんてこの上ない贅沢なのかもしれません。

スーパーでは計画停電の影響なのか、地震の影響なのか分かりませんが、ヨーグルトや牛乳、卵などほとんど並んでいません。
先日、豆乳を買いにスーパーを三軒ハシゴしてもなくて、四軒目、以前バイトしてたコンビニでやっと購入・・・。チャリで1時間くらい走り回って、もう足はプルプルです(汗)
トイレットペーパーも無いです。なんとか見つけて危機を脱したものの、家は“シングル”。“ダブル”では違和感があります(笑)

ガソリンもすごいですね~。お父さんなんか、今日朝6時頃から並んで入れに行きましたよ。しかも、朝8時半頃出て行って、今度はお母さんの車にガソリンを入れに行きました。
ちなみに、帰ってきたのはお昼の13時です。どんだけ並ぶんじゃい
両親が車通勤なので、最悪の事態を踏まえて私は車には乗っていません。これまた不便。今日も、近くのスーパーに雨の中歩いて水を汲みに行きました。
4Lのボトルを2つで8L(8kg)。重ッ私、生まれてから一度もチャリで傘刺し運転したこと無いので(やっちゃ行けないんですけどね)、出来ないんですよね

減ってはきたものの、まだ余震が続いています。昨日も夜に大きい地震があってドキドキしました。今朝は余震に揺られて目を覚ましました。
でも、だんだん気持ちも落ち着いてきて「お菓子を作りたい」という気持ちが沸いてきました
でも、天板も壊れてしまっていますし、注文も出来ない状態。停電もあるし、節電も・・・。なので、作れる物を少しずつ気晴らし程度に作っていこうと思っています。
地震前のお菓子もあるので、少しずつ更新して行きたいと思いますので、ゆるく見守ってやってください


地震・・・

2011年03月12日 22時18分58秒 | 小言
先日の地震・・・すごく怖かったです。私の地域では“震度5強”を観測したようです。

地震当時は、本屋さんに車で出かけていました。揺れを感じた直後、本棚が揺れて本が床に散らばりました。
外に出て、すぐお母さんに連絡を取ったら運良く繋がって無事を確認。お父さんと祖父母の家には繋がりませんでした。

犬が心配ですぐ家に帰ったのですが、車に乗っているときも車体がグラグラ揺れて怖かったです。
家に帰ると、弟が学校から帰ってきていて、そこで無事を確認。
家の中は、金魚の水槽の水が飛び散っていたり、オーブンの天板が落ちて割れてしまいました。食器も倒れていたのですが、家の食器棚は扉ではなく、引き戸のような感じなので落ちることはなく、割れている食器もありませんでした。
しばらく、犬たちと外に非難していたんですが、立っていられないくらい足がガクガクとすくんでしまって・・・。
たまたま、お母さんの仕事が早く終わる日だったのでよかった・・・。いつもは18時過ぎに帰ってくるのに、16時頃帰ってきてくれました。

夜になると、お父さんとも連絡がついて無事を確認。しかも、車通勤なのでそんなに遅くならずに帰ってきました。
仕事場は天井が落ちてきたりして大変だったみたいです。
その後、祖父母の家とも連絡が付いて、無事を確認。屋根が壊れてしまったそうです。

幸い、停電もなく、ガスも使える状態でした(もちろん使いませんでしたが。)ただ、水道管が破裂してしまったようで、濁り水が今日も出ています。

昨日の夜は余震が怖くて、一睡も出来ませんでした・・・。今日も揺れてないのにずっと揺れを感じている気がするんです。
家族はみんな「平気だよ」って言うんですが、怖くて怖くて・・・・・。
今日はお母さんと買い出しに行ったんですが、思ったよりも『通常通り』で驚きました。お店のお客さんこそいつもよりも少し少なく感じましたが、いつもの風景でした。
でも、しばらくはお菓子作りを控えたいと思います。(天板も壊れてしまいましたし・・)
更新するお菓子は、下書きしてあったお菓子達です。

東北の被災地の方々は、比べものにならないくらい大変です。テレビを付けると本当に怖い映像ばかりです。
地震によってなくなられた方々にご冥福をお祈り致します。また、被災者の方々にお見舞い申し上げます。

・・・また余震が・・・

私事ですが・・・

2011年03月09日 17時02分26秒 | 小言
(自伝ですので、読みたくない方は読まないでください。二十歳目前の区切りとして書かせて頂きます。)

えーと・・・私事ですが、先日無事に高校を卒業しました

中学2年の半ば頃からいじめやら何やらで不登校、“拒食症”やら“うつ病”やらで、49kg合った体重は38kgまで歩けないほど痩せて、心身ともにボロボロだった時もありました。腕切ったり、死のうとしたり・・・生きていくことに疲れを感じてたんです。
毎週1時間以上かけて病院に行って、カウンセリングを受けて検査したり、薬もらったりしていました。

だんだん良くなってきて、保健室登校。保健室の先生がすごくいい人で、お礼を言っても足りないほどに支えられました
お母さんとか、お父さんとかとは違う面から私を見てくれて、多分、この先生がいなかったら今はないと思うほど。

その内卒業が近づいてくるとまた学校に行かなくなって、中学の自分の卒業式はお母さんと保護者席で見る・・・という貴重な体験をしました(爆)
私の名前呼ばれてんなぁ・・・見たいな(笑)

高校は体調の事も考えて、通信制に。両親に言ったら大反対されました定時制とか、通信制は『働きながら行く学校』という先入観があったらしいです
入学しても、人間不信になってた私は友達なんか一人もいなくて、とうとう4年間ずっと一人でも、特に困ることも無くて、逆に気楽な学校生活でした。
女の子の作るグループがあまり得意では無かったので
週一回のスクーリング、自力でやる多量のレポートに嫌になることもありました。でも、テストでは3年の時に“古典”で取った80点台以外は4年間・計8回のテスト90点以上100点多々思い出の無い高校生活の唯一の自慢です

そして、高校2年から始めたバイト。そこでは色んな出会いが合って、思いっきり社会を学びました
学校で人との関わりが無い私は、このバイトだけが唯一の息抜き。(ちゃんと仕事はしてましたよ)私のトレーニングをしてくれた人がすごく話しやすくて、面白くて自分の中で、気持ちの変化が見え始めたのがこの頃でした。この人が「辞める」と言ったときは私も辞めようかと思ったほど。
その後は、同じ時期に入った主婦の方と一緒にやってきました。私の作るアマチュアなお菓子を美味しいと言ってくれる優しい方家族以外で一番長く一緒にいた人です
そんな思い出たっぷりのバイトも、2月28日で辞めました。できれば続けていたかったので、すごく名残惜しい気持ち

辞めた理由は・・・『進学』です。4月から“専門学生”になります学科は“栄養士学科”。同時に“製菓衛生士”も目指します。

通信制の高校は、事情も年齢も様々で、特別に担任から『進学しろー』『就職しろー』とは言われません。自分から何かを始めないと誰も手を貸してくれないんです。まして、ウチの両親は「○○(私)の好きにしなさい。」と言うだけ。
疲れまくって、気持ちもウダウダだった私がなんで自分から進学を選んだのか、自分でも分かりません
学校見学に行って、話したことのない担任に相談してサポートして貰って、いつの間にか、書いたこともない小論文を書いて、受けたこともない面接試験を受けていました。
そして、『無事合格進学決定』・・・ってトントン拍子に良い方に向かって物事が進みました。あまりにも良すぎて、怖くて1週間ほとんど眠れませんでした

振り返ってみると、中学の頃はすさまじかったな~・・・って思う・・・その頃一番大変だったのは、お父さんとお母さん。お父さんなんて、子供とほとんど会話もしない・笑わない・そんな怖い人だったからなおさら大変だったと思う。
そんなお父さんも、今では普通に話して、他愛もないことでゲラゲラ笑うくらいに変わった。その点に関しては『○○のおかげだよ』ってお母さんから感謝されてる
お母さんはずっと私のそばにいて、ずっと支えてくれた。それは今でも同じ。お母さんが、“私のお母さん”じゃなかったら、私は今生きてなかったと思う。
前は一緒に泣いて、苦しんでくれて、今ではケンカして(汗)、一緒に笑っていてくれる。
進学が決まったときは、私も嬉しかったけど、ボロボロだった私を知ってる二人の方が嬉しかったと思う。
いくら感謝しても足りないけど、それは私が資格を取って、就職して一人前になることが私の感謝の気持ち。だからもうチョット待っててね

もう2ヶ月に1回になっていた病院のカウンセリングも2月で終了。今は何もする事が無くて、家事に明け暮れています(笑)
毎日バイトに行っていた頃は、『アレ作りたい、コレ作りたい』みたいな感じだったのに、今はなんだかポッカリしちゃって、あんまりお菓子を作っていません
こんなに余裕のある毎日なんて初めてかもしれないです

ダラダラと長たらしく書いてしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました
こんな私ですが、こブログは続けて行きたいと思いますので、どうぞ当ブログをこれからもよろしくお願い致します