(自伝ですので、読みたくない方は読まないでください。二十歳目前の区切りとして書かせて頂きます。)
えーと・・・私事ですが、先日無事に高校を卒業しました
中学2年の半ば頃からいじめやら何やらで不登校、“拒食症”やら“うつ病”やらで、49kg合った体重は38kgまで歩けないほど痩せて、心身ともにボロボロだった時もありました。腕切ったり、死のうとしたり・・・生きていくことに疲れを感じてたんです。
毎週1時間以上かけて病院に行って、カウンセリングを受けて検査したり、薬もらったりしていました。
だんだん良くなってきて、保健室登校。保健室の先生がすごくいい人で、お礼を言っても足りないほどに支えられました
お母さんとか、お父さんとかとは違う面から私を見てくれて、多分、この先生がいなかったら今はないと思うほど。
その内卒業が近づいてくるとまた学校に行かなくなって、中学の自分の卒業式はお母さんと保護者席で見る・・・という貴重な体験をしました(爆)
私の名前呼ばれてんなぁ・・・見たいな(笑)
高校は体調の事も考えて、通信制に。両親に言ったら大反対されました
定時制とか、通信制は『働きながら行く学校』という先入観があったらしいです
入学しても、人間不信になってた私は友達なんか一人もいなくて、とうとう4年間ずっと一人
でも、特に困ることも無くて、逆に気楽な学校生活でした。
女の子の作るグループがあまり得意では無かったので
週一回のスクーリング、自力でやる多量のレポートに嫌になることもありました。でも、テストでは3年の時に“古典”で取った80点台以外は4年間・計8回のテスト90点以上
100点多々
思い出の無い高校生活の唯一の自慢です
そして、高校2年から始めたバイト。そこでは色んな出会いが合って、思いっきり社会を学びました
学校で人との関わりが無い私は、このバイトだけが唯一の息抜き。(ちゃんと仕事はしてましたよ
)私のトレーニングをしてくれた人がすごく話しやすくて、面白くて
自分の中で、気持ちの変化が見え始めたのがこの頃でした。この人が「辞める」と言ったときは私も辞めようかと思ったほど。
その後は、同じ時期に入った主婦の方と一緒にやってきました。私の作るアマチュアなお菓子を美味しいと言ってくれる優しい方
家族以外で一番長く一緒にいた人です
そんな思い出たっぷりのバイトも、2月28日で辞めました。できれば続けていたかったので、すごく名残惜しい気持ち
辞めた理由は・・・『進学』です。4月から“専門学生”になります
学科は“栄養士学科”。同時に“製菓衛生士”も目指します。
通信制の高校は、事情も年齢も様々で、特別に担任から『進学しろー』『就職しろー』とは言われません。自分から何かを始めないと誰も手を貸してくれないんです。まして、ウチの両親は「○○(私)の好きにしなさい。」と言うだけ。
疲れまくって、気持ちもウダウダだった私がなんで自分から進学を選んだのか、自分でも分かりません
学校見学に行って、話したことのない担任に相談してサポートして貰って、いつの間にか、書いたこともない小論文を書いて、受けたこともない面接試験を受けていました。
そして、『無事合格
進学決定
』・・・ってトントン拍子に良い方に向かって物事が進みました。あまりにも良すぎて、怖くて1週間ほとんど眠れませんでした
振り返ってみると、中学の頃はすさまじかったな~・・・って思う・・・
その頃一番大変だったのは、お父さんとお母さん。お父さんなんて、子供とほとんど会話もしない・笑わない・そんな怖い人だったからなおさら大変だったと思う。
そんなお父さんも、今では普通に話して、他愛もないことでゲラゲラ笑うくらいに変わった。その点に関しては『○○のおかげだよ
』ってお母さんから感謝されてる
お母さんはずっと私のそばにいて、ずっと支えてくれた。それは今でも同じ。お母さんが、“私のお母さん”じゃなかったら、私は今生きてなかったと思う。
前は一緒に泣いて、苦しんでくれて、今ではケンカして(汗)、一緒に笑っていてくれる。
進学が決まったときは、私も嬉しかったけど、ボロボロだった私を知ってる二人の方が嬉しかったと思う。
いくら感謝しても足りないけど、それは私が資格を取って、就職して一人前になることが私の感謝の気持ち。だからもうチョット待っててね
もう2ヶ月に1回になっていた病院のカウンセリングも2月で終了。今は何もする事が無くて、家事に明け暮れています(笑)
毎日バイトに行っていた頃は、『アレ作りたい、コレ作りたい』みたいな感じだったのに、今はなんだかポッカリしちゃって、あんまりお菓子を作っていません
こんなに余裕のある毎日なんて初めてかもしれないです
ダラダラと長たらしく書いてしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました
こんな私ですが、こブログは続けて行きたいと思いますので、どうぞ当ブログをこれからもよろしくお願い致します
えーと・・・私事ですが、先日無事に高校を卒業しました

中学2年の半ば頃からいじめやら何やらで不登校、“拒食症”やら“うつ病”やらで、49kg合った体重は38kgまで歩けないほど痩せて、心身ともにボロボロだった時もありました。腕切ったり、死のうとしたり・・・生きていくことに疲れを感じてたんです。
毎週1時間以上かけて病院に行って、カウンセリングを受けて検査したり、薬もらったりしていました。
だんだん良くなってきて、保健室登校。保健室の先生がすごくいい人で、お礼を言っても足りないほどに支えられました

お母さんとか、お父さんとかとは違う面から私を見てくれて、多分、この先生がいなかったら今はないと思うほど。
その内卒業が近づいてくるとまた学校に行かなくなって、中学の自分の卒業式はお母さんと保護者席で見る・・・という貴重な体験をしました(爆)
私の名前呼ばれてんなぁ・・・見たいな(笑)
高校は体調の事も考えて、通信制に。両親に言ったら大反対されました


入学しても、人間不信になってた私は友達なんか一人もいなくて、とうとう4年間ずっと一人

女の子の作るグループがあまり得意では無かったので

週一回のスクーリング、自力でやる多量のレポートに嫌になることもありました。でも、テストでは3年の時に“古典”で取った80点台以外は4年間・計8回のテスト90点以上



そして、高校2年から始めたバイト。そこでは色んな出会いが合って、思いっきり社会を学びました

学校で人との関わりが無い私は、このバイトだけが唯一の息抜き。(ちゃんと仕事はしてましたよ


その後は、同じ時期に入った主婦の方と一緒にやってきました。私の作るアマチュアなお菓子を美味しいと言ってくれる優しい方


そんな思い出たっぷりのバイトも、2月28日で辞めました。できれば続けていたかったので、すごく名残惜しい気持ち

辞めた理由は・・・『進学』です。4月から“専門学生”になります

通信制の高校は、事情も年齢も様々で、特別に担任から『進学しろー』『就職しろー』とは言われません。自分から何かを始めないと誰も手を貸してくれないんです。まして、ウチの両親は「○○(私)の好きにしなさい。」と言うだけ。
疲れまくって、気持ちもウダウダだった私がなんで自分から進学を選んだのか、自分でも分かりません

学校見学に行って、話したことのない担任に相談してサポートして貰って、いつの間にか、書いたこともない小論文を書いて、受けたこともない面接試験を受けていました。
そして、『無事合格



振り返ってみると、中学の頃はすさまじかったな~・・・って思う・・・

そんなお父さんも、今では普通に話して、他愛もないことでゲラゲラ笑うくらいに変わった。その点に関しては『○○のおかげだよ


お母さんはずっと私のそばにいて、ずっと支えてくれた。それは今でも同じ。お母さんが、“私のお母さん”じゃなかったら、私は今生きてなかったと思う。
前は一緒に泣いて、苦しんでくれて、今ではケンカして(汗)、一緒に笑っていてくれる。
進学が決まったときは、私も嬉しかったけど、ボロボロだった私を知ってる二人の方が嬉しかったと思う。
いくら感謝しても足りないけど、それは私が資格を取って、就職して一人前になることが私の感謝の気持ち。だからもうチョット待っててね

もう2ヶ月に1回になっていた病院のカウンセリングも2月で終了。今は何もする事が無くて、家事に明け暮れています(笑)
毎日バイトに行っていた頃は、『アレ作りたい、コレ作りたい』みたいな感じだったのに、今はなんだかポッカリしちゃって、あんまりお菓子を作っていません

こんなに余裕のある毎日なんて初めてかもしれないです

ダラダラと長たらしく書いてしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました

こんな私ですが、こブログは続けて行きたいと思いますので、どうぞ当ブログをこれからもよろしくお願い致します
