ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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一瞬

2008-06-28 10:59:24 | 日記
いつも一瞬、つい立ち止まってしまい写真とりたくなるときがあります。昨日の犀川もそうでした。夜でも夕方でもない、赤くも青くもない、そしてそれが川に映るこの微妙な美味。カクテルみたいな景色でした。みとれてしまいました。
私の美しいものにひかれる癖は治らないのだろうか、感動にとらわれたりエロスの世界にひかれる癖も治らないのだろうか。でもギリシア正教では、善は美しいものとイコールだし、神は狂おしいほど私たちを愛しているエロスだともいいます。その点では私に合っているともいえるし、情念を聖なるものへもっていかないといけないという意味では難しいともいえます。
情念を聖なるものへもっていく…。世の中に悪いモノは存在しません。それを見る人間の側に問題があるのです。だから聖なる支配のもとにあれば、美やエロスは別に悪いわけではありません。

缶詰

2008-06-26 00:36:35 | 金八・3B関係
こうなったらとことん真面目に(ふらいすぃひ)生きようと考えてる中村です。
先々週は一週間も死体のような生活で、本当に恥ずかしく悔しく、今週はずっと祈りに撤してきた。
今日は金八レターを書いた。たぶん来月は試験で忙しい。夏は予定が入るし秋になると金八を忘れる可能性がある。海援隊ライブも近いし、気合い?の意味も込めて書いた。
朝から缶詰状態だった。疲れた。総勢男女5人分。ついでにこの5人に渡したいものがあったので書いた。ついでというのは失礼だが、いつか全員にファンレター書きたいほど好きだと言ったので。なんというこのドラマ熱。今日気付いたが、結局野島作品を越えて私の人生ナンバーワンの気がする。しかし、仕事場を遊びのように楽しんで時間を持て余している私でも甘かった。中学時代の恩師の気持ちが少しだけわかった。一人一人に書くというのはとても大変だ。それぞれに素晴らしい所や特徴がある、そこに気をつかいそして切り替えてまた気をつかいというのはすごいエネルギーがいる。ファンでこれなら先生は命懸けだと思った。もう夜になると放送大学の課題を書いている気になってきた。真剣に書くと恐るべしファンレターだった。
私は桜中学女子生徒に夢中になっているわけではない。確かにドラマに夢中だったし、女子が大活躍だったし皆大好きで夢中になってるかもしれない。だけど、ロリコン趣味になったわけではない。確かにロリータは好きです。…。しかし主目的はあくまでもドラマなのでご了解を。このまま性欲を抑制し、若い子が好きみたいなことを書いていると、中村君はじき変な犯罪を侵すのではないかと思われるので、一応書いておこう。
ドラマでは一人一人が己の道を行きつつもみんな一体感があった彼ら。現実でもパラレルだ。スターもアイドルもいれば普通の中高生と変わらない子もいる。そしてみんな別々。しかも己の力量を試される(表現する)世界を行っている。でもみんなどこかつながっている。彼らからはなんか不思議な一体感が感じられるのだ。同じ釜の飯を食べた仲だからだろうが、今までのパターンと違う、なにか現代的・近未来的な一体感の匂いなんだ。私はドラマの感想でよく書いたけど、一人一人の自由があり、集団でもまとまれるそういう香りだ。
ともかく、見た目はわからないけど奥深い力がある子たちだった。そしてそういう人に成長してもらいたいものだ。なんとなく20代後半の彼らが想像できたりもする。ドラマはフィクションなのに、役の子も演じてる子も私は本当に大好きになった。

チベット

2008-06-17 19:37:25 | イベント
映画「チベットチベット」@メロメロポッチ

このお店はライブやトークを聞きながら飲食ができるお店。新宿ロフトプラスワンを柔らかくしたような店です。金沢には珍しいです。昨日は気になっていた映画を見に行きました。在日コリアンの監督が撮ったチベットのドキュメンタリー映画です。感想としては、この21世紀に現存しているとは思えない差別の光景とチベット民衆の忍耐に驚きでした。でも映画に登場する皆さんは皆陽気でした。よく苦難を堪え忍んだ人ほど、人に温厚さを示すというが、そんな感じでした。あり得ない理不尽さが続くと余計に人はそんな「場」にとらわれた生活やロゴスに住もうなどと思わなくなるからだろう。
ダライラマのお人柄が印象に残りました。寛容の精神はいつか必ず勝利するでしょう。
王、宗教、政治、民族、文化、風俗が一体となっているチベット。そこに生きてきた彼らの祖国が理不尽に蹂躙されている姿は見てて苦しい。こういった国家だからこそ尊重する義務が我々近代人にはあるはずだ。歴史はいかに強国が「独自の国」を征服する際に、周辺、異文化などの名目をつけ、自身を正当化してきたかを教えてくれる。万博がよい例だ。中国が残酷なのは当然だが、この問題は黒人差別時代なども含め、巨大な視野から、大国の挙動について考えねばならない。

西日本の中心

2008-06-15 16:02:05 | 正教会
大阪教会に行きました。西日本主教区の公会がありました。西日本の神父や信徒が勢揃いしていました。異端断罪とかで有名な伝説の全地公会を思い出します。公会と言われれば、世界史の教科書の話ではなく今も連綿と行われているのですね。
今日は聖神降臨の日。(正教会では聖神=聖霊です)使徒たちに聖神が臨み、異国の言葉で語りまくったあの出来事が記憶される。
日曜の聖体礼儀(カトリックのミサ)も慣れてきました。初め信徒になる前は、「聖体をいただくときは晩ご飯のあとから断食し、できれば水もとらず…」とあるのを見て、「えっマジかよ」と思いましたが、意外と簡単でした。信仰?が加わったのは当然ですが、人間って確実な目的があると水も自然と我慢できるものです。気付いてみたら、大事な試験のときは水を飲まず、大事な式でご馳走が出るときは断食していた、などという経験は皆さんもあるでしょう。
朝は吹田の片山公園でぶつぶつお祈りを唱えて、準備満タンで向かいました。
いつもなら喫茶店で時間をつぶす私も、水すら飲めないから入れないので公園しかなかった。
しかし、ネットカフェで夜中二時半までいて、街を歩き、駅、夜行列車、最後は公園と…いまでも出没地域が学生、フリーター、貧困組といつまでも共通しているのは一体。でも私はこれでいいのです。むしろ誇りに思います。勝ち組どもの居場所なんて、馴染みたくもない特定の役にしかたたないし。そんなのはうまく利用してやれば十分だ。
大阪教会は機会があれば皆さん一度見学に来られるといいですよ。名物はイコノスタスで改めて重みに感動しました。戦前にロシアから寄贈され戦争をのりこえたもので、日本のイコンでは重みはピカイチです。個人的には外観は函館、外見は豊橋、内部はニコライ堂、形は大阪のこのイコンが最高です。去年は記念の100年祭もあり、読売の夕刊一面にも載ったそうです。ロシアで作られたのはさらに前だったはず。正教にロシアの魂を見た文人たちと同世代だったことを思うとすごい感慨に襲われます。
以上、本日の体験記でした。

和太鼓

2008-06-06 23:32:51 | イベント
佐藤健作和太鼓公演@金沢市文化ホール

久しぶりに招待された。普通なら4300円するステージがタダで見れるとあって行った。また和太鼓の佐藤さんを調べていて、仏ワールドカップで太鼓演奏をした人だと知り興味ももった。世界中で活躍し高い評価を得ているという。
今日はいろいろな強い思いをいただいた。仕事では余命わずかのおばあさんから遺言のような電話があり、最後に感謝された声が忘れられなかった。また、会場へ向かうときのタクシーの運転手さんは、私の出している部分をいつも切り抜きして持っていると言われ嬉しかった。素直に嬉しかった。作品を作っている人が受ける喜びもこんな感じなのだろうかと思った。羨む気持ちでは決して理解できない、純粋な喜び。名誉の快楽などではない、自分が逆にしっかりしなければと思うような喜び。

会場はいっぱいだった。なのにすごいいい席で見れる、しかも招待券で別口から直接入れてもらえる。一度やってみたかった(笑)。でも案外嬉しいものでもないですね。

感想としては、まず飽きない。普通のクラシックなら20分でいやになってくる私でも飽きなかった。まず音が太鼓しかないからか、飽きようがない。あと、大小、強弱、配置、シチュエーションを変え(座っての演奏もあった)、多彩な曲を見せてくれたからだ。
いや佐藤健作(サトケン?)は明るくいい人、とても親しみのあるだった。
私としては神を目指す人間の祈りに今一番関心があるので勉強になった。彼が強く激しくたたいているときも、太鼓に対する優しさといたわりが伝わってきた。まるで親友同士が格闘しているようだった。魂が太鼓と一体化してお互いに信頼し合っているようだった。また、荒々しくたたいているときも、それに縛られることはない。情念を喜びと祈りが飲み込んでいく。太鼓の大音響がうるさくない静けさを響かせていた。一方では静かなシーンもあり、音が出ているかわからないくらいの音でたたく技術が美しかった。
あとこれは助演の方ですが、太いバチが勢いで折れたときはそのパワーにびっくりでした。でも何より驚き予想外だったのは体力と速さ。連打の速さが尋常じゃなく腕が4本に見えました。それだけで今日は見てよかったと思えたくらいです。めったに見れない世界を見せてもらいました。