ユングは無意識との対話を通して個がいかに成長すべきかを説いている。だが一方で「集団」的無意識を掲げ、古今東西の神話宗教の知=博学に支えられ、集団的な人だったとも思う。まず幼少期から内面のイメージという世界と交流していた生まれつきの素質があった。また仕事と私生活が安定していたことがとても大きかったろう。本人自身もそれがなければ精神病になっていたと語っているし、アクティブイマジネーションや内面探求を志す人にもまず第一に社会との結びつき、生活の自立安定を挙げている。
深層心理というと個人=内面というイメージが先行するが、人間は社会的な動物である以上、個人が孤独に心をのぞいてまたは人にのぞいてもらってどうこうする話ではない。
そこでまた少し考えたこと。
フロイト、ユング時代の患者を見ていると、まず大金があり、たいていは自立してしっかり仕事を持って、社会的に何らかの経験の積み重ねがあり、それが無意識の反動で発症という人が多いようにみえる。この点孤立した貧乏人であろうが病気を病気として治療される普通の患者とは異なる。
何が言いたいのかというと、お金と生活と社会との結びつきという基本が破綻している人は、精神の病気にかかわらずそれを建て直す、直されることが第一の「治療」だろう。日々労働に追われていれば神経症にかからないという世間の意見もここにあり。それと心理療法が胡散臭がられるということ。
それは次の2点。ひとつは病気の素地が科学的にはっきりしないこと。しかしこれは臨床心理学の学問自体の問題にかかわるのでしかたない。近年は様々な疾患に認知行動療法の効き目があると注目されているし、エビデンスと周知を広げるしかなかろう。
もうひとつは生活に必死に追われていない人が対象者として多いこと。心理臨床は金持ちか余裕ある人の問題と思われている問題。お金持ちが週4回の精神分析を受けるのとワーキングプアが深刻なうつになっているのではカテゴリーが違いすぎる。3つにクラス分けをできないだろうか。訓練された専門家による治療でも一般の精神療法、病状をしぼって安く受けられるもの、保険適用されるべき貧困層で重症な人。
深層心理というと個人=内面というイメージが先行するが、人間は社会的な動物である以上、個人が孤独に心をのぞいてまたは人にのぞいてもらってどうこうする話ではない。
そこでまた少し考えたこと。
フロイト、ユング時代の患者を見ていると、まず大金があり、たいていは自立してしっかり仕事を持って、社会的に何らかの経験の積み重ねがあり、それが無意識の反動で発症という人が多いようにみえる。この点孤立した貧乏人であろうが病気を病気として治療される普通の患者とは異なる。
何が言いたいのかというと、お金と生活と社会との結びつきという基本が破綻している人は、精神の病気にかかわらずそれを建て直す、直されることが第一の「治療」だろう。日々労働に追われていれば神経症にかからないという世間の意見もここにあり。それと心理療法が胡散臭がられるということ。
それは次の2点。ひとつは病気の素地が科学的にはっきりしないこと。しかしこれは臨床心理学の学問自体の問題にかかわるのでしかたない。近年は様々な疾患に認知行動療法の効き目があると注目されているし、エビデンスと周知を広げるしかなかろう。
もうひとつは生活に必死に追われていない人が対象者として多いこと。心理臨床は金持ちか余裕ある人の問題と思われている問題。お金持ちが週4回の精神分析を受けるのとワーキングプアが深刻なうつになっているのではカテゴリーが違いすぎる。3つにクラス分けをできないだろうか。訓練された専門家による治療でも一般の精神療法、病状をしぼって安く受けられるもの、保険適用されるべき貧困層で重症な人。