ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
当サイトはリンクフリーです。

チェコ

2006-11-30 23:29:59 | イベント
チェコアニメの続きをみた。これだけ見ると、チェコ語が少しわかったりして(笑)。ドイツ以東は急激にロシア語に似てきますね。ドーブラなんとかって言うしロシア語かと思う。○○シュカ、シュカってうるさいので気になっていたら、どうやら子供向けアニメになると出てきて、呼びかけるときに使うから○○ちゃんて意味かなあ。ロシア語のジェーブシュカとかを考えると。物や動物にも「ちゃん」を付けるのだろうか?
昨日と同じ方向だけど、今日のお気に入りは、「夫婦」。食卓のテーブルに座って考え事をする夫と編物をする妻。また白いキャンパスに黒線の作品。喋った文字が形になる。夫がΑと言う。妻は聞かない。もっとでかいAを渡す。妻はBという。夫のΑはごつくてどんどん巨大化していく。一方言い返す妻のBは細かく、そそのかすように柔らかく段々連発してくる。夫は科学的に計算されたΑを持ち出す。Aがでかくなると妻はその隙間からBの囁き。ついに夫は巨大なΑ、すると妻はBを丸めて、ソーセージのように口から出し、皿に置いた。夫は我慢できなくなり、ごつい顔が和らいできた。フォークで切り食べた。あたたかくなった。
というお話。細かいちょっとしたところにも多くの語り(Sprach)が会話(Gespraech)ぬきで意味されていて楽しい。しっかり話(sprechen)されているのだ。繰り返しだけど、言語による思考と理性による統一と言う近代の観念は多くの病的な精神も生んだ。精神は画一的になり硬直化して自由を失った。言語・理性を信じて、燃えていたディドロやカントの作品を読むと、彼らの強い意思のためにも、言語・理性中心主義を解体したり相対化していかないとと思う。彼らがこの時代に生きてたらそうするだろう。300年前とは正反対のことを。

中欧巡り

2006-11-30 01:47:51 | イベント
これぞ怒濤の中欧巡り。ついに放大の課題を提出。今頃は早大オープンの時期。受験生気分で(笑)。この課題もドイツ、フランスの文学・哲学・歴史と三科やってる。そして夜はドイツ語会話。その後に109のシネモンドで毎晩やってるチェコアニメの第2回…と今日は、欧州中部を観念旅行してました。

チェコアニメ特集はシュールリアリズムの影響がもろにあった。子供向けもあれば、明らかに大人向けもある。そういうのが8作品もごちゃまぜになっていて、オモチャ箱をひっくり返したようだった。個人的には、「男」の頭に地球儀の中からとりだした赤い物体とキッチンで調理された新聞紙をひたすら放りこんでいく「メディア」。カフェの客の会話が物体になる「言葉」。がよかった。
「履歴書」では小学校から順番に学習される概念が生き物のように動いたり変化したりする内容だった。道が続いている円周率、人を食べる硫酸、など面白い。あと法則式たちが変化し踊ったあと、E=mc2君がビルの頂点に立つと巨大な地震が起こったり、象徴がすごい。
結婚した夫婦が衰え死ぬまでを描いた「永遠」では、中盤はほとんどベットシーンで吐息とあえぎ声でした。むこうはいきなり声を出しまくるから危ないね。ただ夫婦が版画と薄い線形で構成され、本物の夢を見ているようだった。うまく作ってある。行為の最中に子供が眠れず来て寝かせまた行為、また最中に…というこの繰り返し。無意識のテーマ。フロイトの原光景を再現したかのよう。ドアがあき子供がみえるカットは白黒の木板画。夜中明るくなるときの光景では?。そして交わりのさいは太めの線で深く暗い青での木板画像。これまた人間の闇とブルーと真夜中の憂鬱さを象徴しているかのようだ。
ばかにしていた、シュールリアリズムにも興味を持った。考えをすべてさらけだしてくる。視聴者に反省を許さない。いかに我々の生活がロゴス中心の固定観念にしばられているか再認識。もう「近代」は終わるんじゃないかという時代なのにね。

憑依

2006-11-27 22:17:37 | オピニオン
近頃、このことばが頭から離れない。もちろん放送大学課題で日中文字だけで過ぎていくなか、哲学詰めなのもある。仕事も西洋文化なのもある。それにしても仕事中も合間に書いたりとかしている。

▽ここに二つの物がある。それは――我々がその物を思念すること長くかつしばしばなるにつれて、常にいや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余すところなく充足する、すなわち我が頭上の星繁き天空と我がうちなる道徳律である。(カント『実践理性批判』)
▽Zwei Dinge erfu'llen das Gemu't mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je o'fter und anhaltender sich das Nachdenken damit bescha'ftigt: Der bestirnte Himmel u'ber mir, und das moralische Gesetz in mir.(Immanuel Kant, Kritik der praktischen Vernunft, 1788)

▽英雄は自分のできることをした人だ。凡人はできることをせずに、できもしないことを望む。(ロマン・ロラン)

到達

2006-11-19 00:20:54 | オピニオン
☆辻邦生『夏の砦』(文春文庫)
眠かった。この本は眠かった。がなんとか読んでいて、ついに読破した。忘れられかけた思い出の幼年期と現在の美的意識をめぐり場面が交錯する。最後にようやく真相の手紙が出てきて、全体的に何がいいたいのかよくわからない点が線でつながった気がした。ならばもっと早く言ってくれよと思う。何度も売りとばそうかと思った。しかし、辻邦生大先生のこと、ただでは終わらせない素晴らしい構成でした。最後に嬉しさがこみあげてきた。
やっぱり一冊の本はまず読み通さないと始まらない。全体と部分は構造主義のようにつながっているのだ。
バスの中で興奮して読んでいた。しかもいまはスポーツジムにいく暇がないので、絶対座らないことにしている。その上こういうときにメールが来たりするので、両手が塞がりただの危険人物だ。私は田舎で何をやっているのだろう。イラついてくる。さらにそのスポーツクラブから毎月一万とられイライラしている。そんな金があるなら、軟派系風俗系にと考える自分にさらにイライラしている。
しかし、放大の課題*が迫る。いつもいちばん読書したいときに限って放送大学や仕事が割り込んでくる。まあ仕方ないか。サルトルを読み、フリーター問題の研究をしたいのに。せっかくテレビに主役で(笑)出演した責任がっ…。あと金沢にいるうちにさっさと三文豪とやらの作品を片付けたい。会社とも関係あるし。

ただその「暇」はあればいいわけではない。私は人生において大事な仕事(works・Werk)はある忙しさがないと不可能だと感じている。また、「何か重要な用件を頼むには最も忙しい人を選べ。」とも聞いた。

*今回はギリシャ哲学まである。定番のプラトン・ソクラテスだ。アリストテレスさんは理系だからいいんだけど。中世神学者とその系譜を低く近代科学人とわれらにはわかりやすい。でも問題はこの2人…。
カントと比較すると、とかく胡散臭い印象のあるヘーゲルとはケタが違う。ソクラテスはもはやイエスクラスだからな。つまり宗教的だから。大変だ。

調整

2006-11-16 22:37:34 | 一般記事
昨日は、ついに久しぶりの休みでした。岩盤、散髪、歯医者、ドイツ語講座へ行きました。床屋さんでは足のデトックスまでやり、体調もばっちりです。ただ、休みの日はまだメンテナンスで終わりそうです。
たとえ正社員ほどの多忙さではなくとも、社会人になって何かを為すつもりなら、強い信念が必要だと改めて実感しました。確かに現代人は「忙しい」かもしれないが、昔の人に比べて甘いことに変わりはありません。
小学校のような文章で失礼しました。
それにしてもこの出勤事変で、読書のノルマが…、ひぇ~!全然読んでないよぉ。