チェコアニメの続きをみた。これだけ見ると、チェコ語が少しわかったりして(笑)。ドイツ以東は急激にロシア語に似てきますね。ドーブラなんとかって言うしロシア語かと思う。○○シュカ、シュカってうるさいので気になっていたら、どうやら子供向けアニメになると出てきて、呼びかけるときに使うから○○ちゃんて意味かなあ。ロシア語のジェーブシュカとかを考えると。物や動物にも「ちゃん」を付けるのだろうか?
昨日と同じ方向だけど、今日のお気に入りは、「夫婦」。食卓のテーブルに座って考え事をする夫と編物をする妻。また白いキャンパスに黒線の作品。喋った文字が形になる。夫がΑと言う。妻は聞かない。もっとでかいAを渡す。妻はBという。夫のΑはごつくてどんどん巨大化していく。一方言い返す妻のBは細かく、そそのかすように柔らかく段々連発してくる。夫は科学的に計算されたΑを持ち出す。Aがでかくなると妻はその隙間からBの囁き。ついに夫は巨大なΑ、すると妻はBを丸めて、ソーセージのように口から出し、皿に置いた。夫は我慢できなくなり、ごつい顔が和らいできた。フォークで切り食べた。あたたかくなった。
というお話。細かいちょっとしたところにも多くの語り(Sprach)が会話(Gespraech)ぬきで意味されていて楽しい。しっかり話(sprechen)されているのだ。繰り返しだけど、言語による思考と理性による統一と言う近代の観念は多くの病的な精神も生んだ。精神は画一的になり硬直化して自由を失った。言語・理性を信じて、燃えていたディドロやカントの作品を読むと、彼らの強い意思のためにも、言語・理性中心主義を解体したり相対化していかないとと思う。彼らがこの時代に生きてたらそうするだろう。300年前とは正反対のことを。
昨日と同じ方向だけど、今日のお気に入りは、「夫婦」。食卓のテーブルに座って考え事をする夫と編物をする妻。また白いキャンパスに黒線の作品。喋った文字が形になる。夫がΑと言う。妻は聞かない。もっとでかいAを渡す。妻はBという。夫のΑはごつくてどんどん巨大化していく。一方言い返す妻のBは細かく、そそのかすように柔らかく段々連発してくる。夫は科学的に計算されたΑを持ち出す。Aがでかくなると妻はその隙間からBの囁き。ついに夫は巨大なΑ、すると妻はBを丸めて、ソーセージのように口から出し、皿に置いた。夫は我慢できなくなり、ごつい顔が和らいできた。フォークで切り食べた。あたたかくなった。
というお話。細かいちょっとしたところにも多くの語り(Sprach)が会話(Gespraech)ぬきで意味されていて楽しい。しっかり話(sprechen)されているのだ。繰り返しだけど、言語による思考と理性による統一と言う近代の観念は多くの病的な精神も生んだ。精神は画一的になり硬直化して自由を失った。言語・理性を信じて、燃えていたディドロやカントの作品を読むと、彼らの強い意思のためにも、言語・理性中心主義を解体したり相対化していかないとと思う。彼らがこの時代に生きてたらそうするだろう。300年前とは正反対のことを。