ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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情報

2007-03-27 23:40:41 | オピニオン
【輪島は燃えているか】


金沢は普通の?地震レベルの横揺れが来て、それが続いた。すこし強めにも一瞬揺れた。七尾はひどいがそれほどでもなかった。能登のガラス美術館へ確認Telしたらやっていた(笑)。問題は輪島だ。異常にひどい。阪神大震災に匹敵するという。ただあそこは、よるに電気の不安を感じ、コンビニがあるかどうか気になるような場所だ。「冬場は、輪島に居て午後2時を過ぎると、ガソリンが十分でも、生命の危険を感じる」とギャグで喋っていた人もいた。ただの過疎、田舎というか、あまり物がない場所だ。100年前と大きく変わっていないようにも見える。だから人的被害はそれほどまでではなかった。

被災地は、水道の復旧に手こずっている。北国夕刊一面によると、あらたに断水地域もでたそうだ。お年よりが多いので、特に急がれよう。トイレも医療も風呂も水さえあればと思う。

賛否両論あるボランティアだが、ついに受け付けが始まった。そこを中日は詳しく書いていた。倒壊家屋が多いため片付けが中心となるだろう、医療や救助は専門団に任せればよい。彼らやそのほかの協力者たちについて、地方紙は新潟の経験者をよく取り上げていた。彼らの活躍は重要な視点だろう。

エコノミー症候群防止もとりあえずの緊急課題らしく、地方紙意外では産経が1面でやっていた。

産経(東京新聞も)はもともとが独自路線を貫いているため、それゆえ欠点は多いが、所々は優れている点も多い。それにひきかえ、大新聞は、大物不在とITによるレベルダウンが根底にあるが、どうもいまいちだ。天下の読売はイデオロギー的な問題の追求と大衆への義務に2分していて、間の生々しい社会問題や情況への場が相変わらずもろい。王者の朝日は直線的に意味を重ねてくる書き方と、全体を構造せずに個人個人にしぼりすぎな所と、社会問題に病的に反応する所と、論を書こうとしたがらない文体で読みにくい。庶民の毎日は視点が優れているものと、あまりよくわからないものが混在しているのが惜しい。個別の日常にはトップクラスに強いが、社会全体を眺める紙面が書けない。またどうみても左よりなのに、農業や現場で起きている表現によわいなどぼろがある。

逆に、ブロック紙や地方紙は今の私の貴重な情報源。まずは、突っ込みより、浅く(笑)、広い情報が必要なんだから。

能登沖地震

2007-03-26 10:51:14 | オピニオン
【大切】

大変なことになった。

余震が続く。
だが被災地であり被災地ではない。助かった。

◇震災日記

大切なことを忘れていた気がする。

▽いま
弁当のおじさん、タクシーのおじさん、ありがとう。なぜか自然とありがとうを感じる。ニーチェに洗脳された7年前以来、これは、常に感謝の気持ちは納得できなかった。やってる人もかかる柔和な道徳の信仰でしかないと。しかし納得してしまった。

トルストイによれば愛は現在においてのみ行われる活動だという。現在において愛を表さない人は愛を持っていないともいう。というのも、aかbかどちらを愛するかを迷う地点で、その人は、どちらの愛が正しいかなんていつまでも絶対判断できない以上、自分に快い愛(つまり自愛)しか選べないからである。愛は現在、今ここで突発的に行われる。

しかし、「今概念」は確定できない、わからないから、私は、受け身でいた。「今」と身体や頭が受容する地点で動こうとしていた。しかし今日、かすかに見え始めたのは、「今」は自分で創造するものでもあることだった。この世界に持ち込むこと、積極的に確定していくことだった。

▽近さ
仕事電話中に余震が起きたとき、弁当屋さんが懸命に1日を仕上げていたとき、バスや駅でみなが普段と変わらず生活していたとき、みなが普通に仕事していて連絡が通じたとき、
何かを感じた。快なき教えを。

自分が一番遠い通信手段や昔の本や、学問や通信教育やらで、そういうほど遠いことばかり気にかけていた。のがひとつ。また、それに地震だ大変だと心が動いていた。この傾向性の2つに強い反省のメスが入ってきた。

しかし、信じよう信じないの問題ではなく、人は近くのことに目を向け、命をかけるよう作られているし、心も本来は静かで緊急時でも普段通り、仕事を引き継ぐようできているのである。
この2つのことが頭から離れない。つまり、生活に必要なモノはごく近くにあること。生活で動くべきコトはごく近くにあること。

また、緊急時でも皆が遠くを見ずに必要なモノを追い、心を騒がさず近いことに(それぞれの仕事に)励んでいたからこそ、高度資本主義社会は回転していた。
思えばそうだ。

▽義務
実は私もよく考えてしまっていた。楽な仕事を持ち、豪華に着飾る人に対し、どこかで「お前の着てる服、食べる物、生活品はどこから来たのか?」と。だが今は想像もつかない。私たちがお互いの生きる仕事をなすために、義務のための義務をなすために、「整えてくれたもの」=チャンスなのだ。RPGで必殺の一撃を打つために仲間が作ったチャンスのようなものだ。かつて王が出陣の前に部下に用意させたように、歌手が紅白にでる前のように、野球選手が決勝に出るときのように、皆が一瞬のために、命をつなぎ合うために、飯を作り、着物をつくり、生活に必要なものをつくるのだ。そして作ってくれた人は、そのエネルギーを糧に自らの仕事を背負い、それを遂行しているのである。

全員で野球をしているのに、外野はともかく、審判や補欠やボールボーイやベンチや控え部員や観客席や、と行くほど野球をしていることを忘れてしまうものだ。そして、ピッチャーや主役を羨むようになる。それでまさしく「外野」ほど、「本来は」こうすれば勝てるんだとか、野球とはこういうもので今存在しているのは本質的ではないとか、そもそも野球よりも大事なことがあるなどと、考えたり、同じ同志で言いあったりするものだ。

全員が白球でつないでいる現実と命のゲームを無駄にしてはいけない。

無駄にしてはいけないと、それしか思い浮かばない。

臨界

2007-03-23 22:44:31 | 一般記事
今週は仕事が増えて、私の頭が臨界状態になってしまいました。休日まで仕事のことが気になり終わっていました。1日8時間労働でこれでは、正社員になる日が怖い。休日は寝てコンビニに行って終わりという人も多いというから。

それより、99年の事故の際に、「僕(私?)のアソコが臨界状態」という言葉を耳にした記憶がある。なんで聞いたか忘れたが、エロネタもうまく考えるなと感動した覚えがある。今、笑いごとではなく真剣に思い出していたが思いだせない。これ以上こんなことに頭を費やしたくないので、諦めることにしました。でもこの語句は少なくともエロビデオではないだろう。風俗でもない。怪しいのはエロ本だ。だがこの時期はそれ系は読んでいない。雑誌は読んでいたから、たぶんそれだろう。アサ芸とか、大衆とかだ。おそらくなにかの「解説」で出たのだろう。こういうエロ関係のコピーやタイトルは本当にうまいと思う。話題を利用したり、有名なタイトルをもじったりとにかくうまい。いま、ビデオ系は見ている方が気持悪くなるタイトルや映像が多いが、つい最近までは本当に素晴らしいものがあった、技巧的だった。

これはまさしく臨界打線だ。甲子園では、新大阪桐蔭打線が登場。しかし相手投手がよければ、「打線ほど当てになるものはない(広陵・中井監督の言葉)」ですね。得点は敵失がらみが多かったようで。しかしあの打線、テレビで見ていても迫力があった。中田は当然として*、5番・堀も強力な打者、さらに6番・生島もかなり強い「4番打者」ではないか。ただ、そんな思いで昼飯食べているとお店の人が、「だけど4番打者並べれば勝てるってもんじゃねーよな」と喋っていた。なるほど。確かにプロで、巨人のお馬鹿な「史上最強打線」の好例があった。高校野球でも同じだ。夏を見ればよい。佑ちゃんと守備の早実、松橋・田中と林を中心にまとまった駒苫、同じく打線を繋いだ駒苫、木内マジックでソツのない常総、投に田辺、打に森岡、筧の明徳、と、投打の軸ができ、繋がり、まとまったチームが強い。その前は打力チームが優勝したが、いずれも4番打者ばかりとは違う。01年の日大三は一番の都築が光り、四番原島が活躍した。00
年の智弁も武内や主力打者よりは、下位打線、繋ぎが怖かった。
とはいえ、最近のセンバツは一貫して、強豪が優勝しているんです。もしくは前評判で「強い」所が。まさに選抜です。久しぶりに番狂わせがみたいものだ。

横浜、名電、済美、広陵、報徳、常総、東相模、沖縄尚学と。沖縄尚学もこの年はたしか強かった気がするが、この高校以来ずっと優勝候補の強豪が優勝してます。

*今大会最強の投手でもあるから、最強の投手は最強の打者と対戦できないという話がある…。

審判

2007-03-16 21:35:42 | 一般記事
人間、悪いことをするといつか報いがくると言われています。ひた隠しにしていたこともいつかバレるときがくるものなのでしょうか。まだ、30年そこらの人生ですが、今まで隠していたことは、直接ではないが、なんらかの形で少しずつ自分に返ってきたと思う。それからいつも何が起こったか。はじめは迷ったすえに、隠そうと決めて、脱出することができた森に、また同じ形で迷い込むことになるだろう。

北陸電力にもついに裁きが下った。あの社長は何者なのでしょうか。人命を預かるといっても過言でない原発責任者の発言とは思えないことを述べていました。「うっかり蓋が空いちゃったんじゃないの」といいたげな発言。石川県の恥です。隠蔽体質を隠蔽していた彼らはまた隠蔽体質に付き合わなければならなくなった。昔話の悪役のような末路だ。この事件は反面教師にしたい。


一方では堀江被告に実刑判決のニュース。彼はどういう話になるのか。社会権力に裁かれたのか、法律に裁かれたのか。地獄の刑務所に閉じ込めなければならない人間だということをきちんと説明してほしい。

☆カント『判断力批判(下)』(岩波文庫)