ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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Deutsche Z?

2007-05-25 21:51:07 | 一般記事
In letzter Zeit, Die Tatsache habe ich auf YOU TUBE zu sehen Deutsch Form gekannt.

Was fuer ein Form ist das?

das ist…Was fuer ein !DRAGONBALL!!

Nur ein Satz ist sehr lange. aber diese ist auch amuesant!

Raditz sagt 《Das gibt es nicht! Seine Kampfkraftxxx !? 》in Japanisch,《ばかな!戦闘力xxxだと!?》

das ist gut Lernen gewesen.

求心力

2007-05-13 11:51:46 | オピニオン
何となく思うこと

▽商品

合法的人身売買の人材派遣業まで盛成し、名古屋の風俗のリポートなど読むと、すべてが、人間までもが、商品化されゆく流れにある。モノならば人は商品から疎外されていく。都会へいくと、「商品はこう使いなさい。」と強迫(脅迫ではない)されるように感じる。一方ど田舎に行くと、あまり「よくわからないもの」がこんなにあったのかと驚く。普段欲望の視線を投げかけていたモノも、こんな一面もあったのかと思う。(人間もやがてこうなるかもしれない…)。生活のために使われるモノが田舎では多い。生活のなかにあるモノは、欲望と使用の間に我々のような病的な乖離はない。いたずらに消費意欲をあおらない。モノは落ち着いた本来の顔を持ってそこにある。リルケの詩のような現象を我々は味わう。

果実というのはよくわからい、いろいろな意味があった。それを我々は店頭に、近代的な商品化をして並べることで、意味をはぎとってしまった。小説『檸檬』ではないが、いろいろなものを連想させる、象徴にもなる。結果、性的なもの、お祭り、幸福、色、出生、生まれるもの、死、贈与、…。かつて少年時代、同級生が農家でよく桃をもらった。普段食べる桃とは違っていた。あの強い味や、甘味を連想させない、何かはぎとられた、変な感じがした。味は店で売られているより遥かにおいしいのに。だ。普段はそれだけ、桃を食べるもの、フルーツという概念、桃の味というパターン、型にしばられているのだ。それがなくなったら本来の桃がよくわからないという変なことがおこる。トマトも切断され、料理やサラダに置かれなければならない気がする。イタリアのお祭りで投げ合う姿を見ると「もったいない」*と思うが、本当にそう思っているか。日常の像が破られるのが怖いのかもしれない。商品でなく、家庭菜園し、余ったトマトを、潰してみたり、顔料にしてみたり、一気
に使ったり、そういう商品にしばられない自由を失ってしまった。

これは、もっと簡単な例をだそう。ブランドのバックが欲しい女性が、自分が一番買いたいと思っているものを、近所のおばさんにもらって喜ぶだろうか。


だが、この問題は近代が消費意欲と施設を、何か以前別の形で行われていたことを代替していて、単純にぶち壊せとは言えないところだ。デパートやバーゲン、それに都市は明らかにかつての祝祭や非日常を反映している。もしぶち壊してしまったら、祭やバカのない農村社会になり、それこそ失敗した共産主義のユートピアとなりかねない。

*「もったいない」は昔は本当にただ単にもったいないから無駄にするなということだったが、今では社会(→商品)として無駄にするなという制度となってしまった。


▽会社

会社に行きだしてから、1年がたった。環境もよいし、辛くないし、人間関係もよいし、楽しめる方だ。私としては。だが、いろいろな事を考えて、実行してゆく、一番仕事で得られるはずの力がどんどん失われていくようだ。これはフリーター時代とまったく反対なのだ。会社の中では、そういう力はアップした。いわゆる社会の中では。しかし広義の社会全体に働きかける力が、非常に弱っている。今はネットも含め、保守的な内に向かう求心力に呪縛されているような、強迫的な時代である。もちろんその影響もあるだろうが、それにしても弱くなった。もしかして日本企業が家族的なところに問題があるのでは。もしかして家族や近隣住民の中では、力をつけられても、基本的には、どんどん引きこもり度数をあげているのでは。実は、契約社員の私でこれでは、正社員で大企業就職した連中は、遥かに、なんと、別の世界で同じ引きこもりになっているのではないか。

メーデー

2007-05-04 00:44:29 | イベント
新大久保からスタート。前方には福島さんも。一番前はDJとサウンドカー。

実行委員の皆様お疲れさまでした。メーンの人たちが、実務している姿は、自分たちで作りあげているという印象を強くうけた。

連合のメーデーも金沢市で行われました。格差社会を批判していたようで、この問題が今テーマになっていることがわかりました。

30日のメーデーは大成功だったと思います。とかく派手なことを想像しやすいのがイベント。それで、うまくいったという声があちこちから聞こえたからには、大成功ということでしょう。

さすがに歌舞伎町を通るときはとても変な感じがしました。しかし、いつもは巨大にみえる東京もみなで普通に大行進するだけで、大したことないように見えます。それだけ、日常は経済的な記号に翻弄され表象されていたりして。デモのときはかかるものが色あせて見えます。少年時代の遠足のときもそうでした。

会場には、社民党党首の福島瑞穂さんもいらっしゃいました。そして、デモ行進にも。しかも先頭で。私も写真の後、はじめ先頭だったので、話しかけつつ、しばらく隣で一緒に行進させてもらいました。ありがたい。

そして何か変な感じもした。テレビに出てくる人が大音量の中、警察の指図の中を歩くのも。沿道の人に常に手を振ってました。翌日もメーデーだとおっしゃってました。さすがエネルギーが違います。

また、終了後にはお話を伺うこともできました。北陸電力臨界隠しについて聞くこともできて嬉しかったです。

もう一人。別の意味で「有名人」がいました。塩見孝也さんです。いきなり後ろから背中を叩かれ、「おー久しぶりだな」と言われ、はじめは誰かと思いました。みなさんいろいろとこの10年で変わりました。しかし塩見さんは、変わりません。あそこまで変わらないのもすごいと思います。喜んで若者らしいデモに参加し、「やっぱり最近の若者とも交流していかんとよ~」と言ってたので「おやっ?」と一瞬思ったのですが、すぐさま「でもこれはな、どっちかというと生活面からの運動であってよ、政治的な思想運動にはなりにくいというかな…」

…やはり変わらずそこに行くのです。だてに20年の刑務所生活を理論武装で乗り切ってない。

「新宿でやるのがいいんだよ」とおっしゃっていた氏。確かに、インパクトあります。これはサウンドデモだし、音量もバカにならない。DJと踊る若者。若者へのインパクトもある。

塩見さんは、前々日の沖縄デーのイベントにも出演され、デモ行進もしたそうです。喜納昌吉さんや斎藤貴男さんも出演していたし、話しが聴ける。沖縄運動の方とも会える。もちろんアジる素晴らしい塩見さんも見れるので余力あれば行きたかったです。18歳のとき見た、仲間由紀恵さんのイベント以来、私は沖縄が絡むと目の色が変わります。沖縄には得体のしれないエネルギーがあり、政治、社会に反映されています。


話しを戻しますと、はじめに集会してからデモ行進でした。集会のとき、グッドウィルで生計を立てている方のお話が、一番直に訴えるものがありました。雨宮さんの本のタイトル、そして今回のメーデーの主要テーマでもある、「生きさせろ」という声でした。今の社会は、多少の誇張も承知で言うなら、人が当たり前に生存する環境を次々と破壊しているのだ。

今回のシュプレヒコールは楽しかった。特有のものをいくつか挙げる。

「交通費を出せ」
「グッドウィル(フルキャスト)は携帯電話代を出せ」
「派遣会社は潰れろ」
「過労死は御手洗(奥田、折口)の責任だ」
「生きられる世の中にしろ」
「生きるだけで金をとるな」
「くだらないものを買わせるな」
「生きさせろ」
「マック難民を追い出すな」
「レオパレスから追い出すな」

爆笑があったのは以下の連続攻撃だ。

「麻生はセメントを掘れ」「御手洗はプリンタインクにフタをしろ」*
「奥田はライン労働をしろ」
「折口は派遣先にたらい回されろ」
「安倍は一人でチャレンジしろ」

*長いのは誰一人聞こえなかった気がする。反省点では?


中には「えっ?」という声が聞こえたセリフまで。ただのルサンチマン丸出しのようなセリフまで…。

「金もちは金を分けろ」
「会社の金(税金)で飲み食いさせろ」


すぐ声が枯れてきた、私だけでなく、いまの世の中、そうばかでかい声をカラオケ以外に上げるひとがいるだろうか。

警官の量は相変わらずすさまじいものだった。9時すぎの夜になっても見張りの公安がいた。ただ今回はあまりうざいことはなかった。ただ旗が少しでもはみ出ると注意してきて、やはりうるさい。

帰ってからは交流会。湯浅誠さん、雨宮処凛さん、矢部史郎さん、QTさんの問題提起があった。ただそれより興味深かったのは、高円寺一帯でいま暴れ回っているという「素人の乱」と、区議選に立候補したという松本哉の存在だ。みんなでバカの映像をみましょうと始まった選挙戦映像だった。とは言っても連日駅前でロックの爆音を鳴らし続けて混乱を引き起こしただけのような気もするが。しかし、放置自転車や住宅について、けっこうバカにできないことを言っている。なにか素晴らしいものを感じる。詳しくはネット検索して見てください。

帰りは、戸山公園で飲み会でした。ここが山手線内かと思うくらい静かだった。緑もあった。群馬の郊外に迷い込んだような。
ふと、軍事施設→公園→早稲田の集い場→今ここにいるプレカリアートやサヨ系集団
を連想した。東京はいろいろな人間の歴史を常に背負う場で、それは宿命なのかとか。

私は始終不調でした。今回は予定の2割くらいしか話せませんでした。それでも収穫は大きいものがありました。