ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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美雪

2009-12-31 15:24:18 | 日記
タイトルは、
彼女の名前じゃありません。初恋の人でも好きな芸能人でも好きな風俗嬢の源氏名でもありません。ただ雪が本当にきれいだっただけのことです。

2009「新」の都市の大晦日。
広島の高速道路で40台を巻き込む交通事故が発生したようですが、本当に今日は急に雪が降りました。かなり前から今日は大雪になると予報されていましたがその通りに。
ここ中津でも昼前後にかなり雪がふりました。しかし北陸のような湿気ある重い雪と違い、積もらないタイプの雪でかなりきれいでした。こんな美しい雪は久しぶりに見ました。写真は外食したお店から。
大事故の雪が美しいなんて少し酷な気もします。世の中はなぜかそのようなことが多い。でもそれは神様が配慮されること。私は素直に今日の雪に感謝して楽しみたい。

九州鈍行再び

2009-12-31 15:05:40 | 日記
久しぶりに九州の「家」がある中津(大分県)に帰省。
4月以来、ずっと東京にいた(シベリア鉄道の準備体操と称して、房総一周、東北一周の旅、あとイタリア三都市旅行など、あるにはあったが)。かつて逃げて耐えてを繰り返して二度と住みたくなかった東京。何日か田舎に行くと逃げ出したくならないか怖くて出られなかった。
離れて田舎にいるといかに自分が洗脳されていたかが見えてきた。あの緊張感ある都市でさらに自分をしばりつけていたようだ。あの都市が心底苦手だ。この人間の昔からの根本にあり、そしていま信じていることの根本にもある感謝の念があまりわいてこない。すぐあふれる情報にまどわされるか、頭で何かを創造しようとしてもみくちゃになってしまう。心がいつのまにか瞬殺されてしまう。
せっかく慣れてきたところで今度は前の病気をぶり返してしまった。

昨日は普通電車で博多まで往復した。ただ景色を見ているだけでも心が落ち着き、うれしくなってくる。何カ月かぶりに障害物のない開けた景色を見た。東京はビル、建物の群は当然として、高尾山以外に山らしき山がないのがつらい。
写真は福岡の筥崎宮。博多の友人に連れて行ってもらった。日本三大八幡の一つだそうで初めて知った。素晴らしい神社で、きりりとしてかつ優しい清々しい空気がとりまいていた。博多湾から続く長く大きな参道が歴史を物語っていた。海の神に祈りを捧げてきた民の魂も感じられた。

日常クリスマス

2009-12-25 19:23:23 | 日記
15年前、
将来お金をもうけてさえいれば、
六本木のホテルの最上階で夜景と共に素敵な一夜を過ごせるのかと、
夢見ていたことがあります。

まさか、仕事中は隣の人が風邪で、インフル対策に帰りはマスクを装着して、非正規労働者と浮浪者があふれる東京の街をさっさと帰る事になるとは思いませんでした。
(六本木が再開発されたことだけ地味に当たっていました)

ほとんど治ってはいるのですが、体もまだよくはないので、クリスマスはのんびり家で過ごしました。我が家は少しだけ豪華な食事とケーキでまったりと。でもこれが幸せというものかもしれません。

物心ついてから初めて、朝から晩まで大都市東京のクリスマス両日を過ごしました。たぶん、
≪江戸にはふとどきものに見ゆるカップルばかり居れば、いといみじけれと思いたれども…≫

なんと、
コンビニでサンタがおおよそサンタらしくない必死な顔してケーキを販売していたり、
サラリーマンや学生たちは厳しい顔で歩いていたり、
電車のなかでは乗客は疲れた顔しているし、
特に通勤特快青梅行きにいたってはいつもと同じような面々だし、
で、普段とまったく変わらない街でした。場所により違うのでしょうけど。
とにかくカップルの姿が少なかったです。意外や意外。
もしかして田舎の方がよっぽどネオンとカップル地獄なのでは………。

書く必要のない記事でしたね。はい。

子どもクリスマス会

2009-12-20 18:18:52 | 正教会
今日は私が所属している山手ハリストス正教会でクリスマス祈祷がありました。3年ぶりにダニエル府主教座下がいらっしゃるということで参祷者も多く、さらに子どもが主役なのでたくさんの子どもたちが来て、小さい聖堂は満員になりました。
そのような小さな聖堂で主教祈祷が行われると、大聖堂よりお祈りが身近に感じられ、あらためて小さな聖堂の方をより好んでしまった私です*。
主教祈祷の祭儀をこれほど間近に見られるのは初めてで、それだけでもよい経験になりました。

ダニエル府主教のお話も2年ぶりに近くでうかがうことができました。
(注:以下お話の概要は少し自分の言葉で補足しています)
「2000年前の出来事を書いた聖書やはるか古代に描かれたイコンは現代の日常社会とまるっきり違うものに見えてしまうから、正教会のこういった象徴の一つ一つを自らの生活に結びつけていかないと難しいだろう」とはじめられ、正教会の教えはやはり「魂」の問題だということを強調されていました。小中高大学まで知を信頼せよ、知で解決しろと批判精神を埋め込まれるとつい何につけても「考えて」しまいなかなか素直に「信じる」ことが難しくなるという、我々が実感する「現実」について親しみやすいわかりやすい言葉でお話ししてくださいました。
相変わらずお元気で、そしてユニークな語り口調で、子どもに優しい府主教座下はすばらしいお人柄です。これからもお元気でいてください。

その後主役が子どもに移り(=写真=)、サンタの登場、プレゼント、歌、聖書の紙芝居、クイズ、ビンゴゲームなど、内容盛りだくさんの「クリスマス会」が行われました。
喜んでいる子どもたちを見ていると、子どものころからそう時がたったような気があまりしないでいる、いつの間にかもうすぐ31歳になる自分に気づきました。私にも純粋なときがあったはずなのに、なぜ心の中がこんなに汚れてしまったのか、汚してしまったのかと参加していて思いました。でもその思いにとらわれてはさらに罪が倍加してしまいます。その思いを自覚しつつ前に進み続けて創造的な人になることこそ大人であり、お父さんなのです。だがまだ自分はそういう縛りのなかにあるという自分の罪がはっきり見えたような、見せられたような気がしました。まだまだ正教会初心者の私の中には深いニヒリズムが影を潜めているようです。

が、とにかく今日は心が楽しくなりました。仕事が始まるとつい教会がなおざりになってきましたが、また通い続け、学び続け、できたらこのブログ上でもしっかり報告をしたいと思います。

*)大聖堂は聖堂全体で神の国を象るというよさがより工夫、強調されすばらしもので、当然どちらがいいと決めるのはよくないことです。

日本海の幸

2009-12-17 21:10:01 | 日記
昨日氷見の祖母から電話がありました。知り合いの海鮮館の人からいい鰤が入るとの情報があり、買ったそのとれたての天然の鰤をうちにもすぐ送ってくれたそうです。さすが氷見。都会にはない独自のネットワークがあります……

今夜早速届きました。ついさっきまで生きていたようなツヤで、身がキラキラ光って新鮮。味噌漬けにして送ってくれたので調理が楽でした。届いた瞬間から母が調理。

焼いても味が深くてとてもおいしかったです(=写真=)。

しかし、氷見からほとんど東京にもっていかれる鰤を、東京に住んでいて外食できないから氷見から東京へ送ってもらうのもよく考えるとおかしな話。
冬の日本海は鰤、個人的には鰤しゃぶがおすすめです。

最近贈り物が多い。昨日はもう一方の親の実家から果物が送られてきたのですが、今日職場に行ったら職場の人も実家から会社に果物が送られてきていました。親が心配、気遣う頃合なのでしょうか。