今朝ほど夢を見た。妙にはっきりした夢だった。
舞台は小学生と中学生の間のような環境。タイムスリップしたみたいな夢だった。私は中1ぐらいで、そのときの意志で動いていた。今の自分は守護霊のようにそれを見ている形だ。(世にも奇妙な物語みたいだ。あまりに見過ぎてこうなっただろうか。)
電子工作か何かの授業だった。その日は、なぜか雨がひどく、ずぶ濡れで、水溜まりに落ちたり、遅刻したり、とてつもなく陰鬱な日だった。クラスではのけ者にされ、面白いことは何一つない。多少いじめられてもいたのだった。学校が夢と現実が重なった牢屋に見えるのはこの頃に特有の感情である。なんとも他に例えようのない陰鬱さだ。(だからこうして今日の夢とトンネルがつながったのだろうか。)
さらに工作は大嫌いな分野だった。いつも悪口を言ってくる連中は得意げに仕上げて、さらに悪口を言ってくる。私は設計図をまるで理解していないし、ずっと第一段階で止まっている。何一つ部品を組み立てられない。先生に聞いてもなぜか「わからない」の一点張り。「こいつ先生じゃないのか。それより俺はなんで人に相談しないんだ。」と守護霊の「私」は思う。が、恐る恐る話しかけると無視された経験がしみ込んでいるのかクラスメイトに相談しようともしない。教師は真ん中ぐらいで苦しんでいる奴の手助けばかりする。スタートラインで終わっている私は苦しい。周りはどこか形ができはじめている。教師が毎回授業前に全員に話すときも、それを前提にしているのに、私だけが部品状態なのだ。教師は「となりのクラスのメカに詳しいA君を呼んでこよう」という。私は何度説明書を見ても、聞ける子に聞いてもわからなかった。しまいに私は部品を壊し始めた。自分で自分を壊し始めた。こいつ何しているんだとさらにいじめられる。こうして工作の授業は地獄化した。し
かし、最終日だったその日の授業の終わりに、ついにそのA君がやってきた。そいつのことは知っていたが、当時の私には良くも悪くも特に印象のない子だったようだ。
私はもうひとり始めの段階で苦戦しているやつがいるから、はじめにそちらを手伝えといった。「私は何もしないまま止まっている。今日は最後だし時間ももうない。さらに部品を壊したのだぞ。(いじめられてるからか?)私の作ってるものは呪われている。」などのようなことを言った。
でもその少年は、もくもくと作業をしてくれる。普段は真面目キャラではないのに、工作になると職人さんみたいだった。私のように周りの奴を気にせず、私の目をまっすぐに見つめて言った。
「また、そうやって逃げるのか?」
「はっ」とした。もしかしてこうしていれば、今までの人生をすべて突破できていたかもしれない。私は周りの人、モノ、環境のせいにして、目の前のものに取り組んでいなかった。周りへの不平不満ばかり気にしてしまい、なんとかひたすら作業することをよく怠ってきた。さらに妙なプライドに誘惑されて、彼みたいなやつに頼りたくないと思っていたのだ。
工作は部品を直し、元より少し進んだところで、結局は終わってしまったが、彼の手がかかると呪われていた部品たちが美しく、みんなのものと同じように見えた。これからなんとかなるような気がした。
▽ピンチのときはよく「逃げずに自力で努力する」ことが説かれる。しかし、それより大事なのは、人に頼ることも含めて、いろいろな他の手段を試してみることだろう。その際に、もがいている自分の方法が間違っていないか検討し、生まれかわることが重要だ。そして何よりも大事なのは、自分で「方法」について勝手に決めつけないことだ。
いじめについては、確かに人に絶望的な環境を与えるもので、許せない面がほとんどだ。しかし、あくまでもその上でだが、当人にも問題は少なからずある。そこに「試練」が必ず臨んでいるのは確かなのだ。相手ではなく自分を変えようと欲しないなら、人生では巡り巡って絶対にもう一度別の形で彼らと対峙しなくてはならないだろう。そもそも生きていく上で、人のせいにするのはとても簡単であることを忘れてはいけない。
聖書では人はいきなり罪をなすりつけあっている。試練が来たとき、わたしたちはいつもそれを神のせいにしたがるのだ。
舞台は小学生と中学生の間のような環境。タイムスリップしたみたいな夢だった。私は中1ぐらいで、そのときの意志で動いていた。今の自分は守護霊のようにそれを見ている形だ。(世にも奇妙な物語みたいだ。あまりに見過ぎてこうなっただろうか。)
電子工作か何かの授業だった。その日は、なぜか雨がひどく、ずぶ濡れで、水溜まりに落ちたり、遅刻したり、とてつもなく陰鬱な日だった。クラスではのけ者にされ、面白いことは何一つない。多少いじめられてもいたのだった。学校が夢と現実が重なった牢屋に見えるのはこの頃に特有の感情である。なんとも他に例えようのない陰鬱さだ。(だからこうして今日の夢とトンネルがつながったのだろうか。)
さらに工作は大嫌いな分野だった。いつも悪口を言ってくる連中は得意げに仕上げて、さらに悪口を言ってくる。私は設計図をまるで理解していないし、ずっと第一段階で止まっている。何一つ部品を組み立てられない。先生に聞いてもなぜか「わからない」の一点張り。「こいつ先生じゃないのか。それより俺はなんで人に相談しないんだ。」と守護霊の「私」は思う。が、恐る恐る話しかけると無視された経験がしみ込んでいるのかクラスメイトに相談しようともしない。教師は真ん中ぐらいで苦しんでいる奴の手助けばかりする。スタートラインで終わっている私は苦しい。周りはどこか形ができはじめている。教師が毎回授業前に全員に話すときも、それを前提にしているのに、私だけが部品状態なのだ。教師は「となりのクラスのメカに詳しいA君を呼んでこよう」という。私は何度説明書を見ても、聞ける子に聞いてもわからなかった。しまいに私は部品を壊し始めた。自分で自分を壊し始めた。こいつ何しているんだとさらにいじめられる。こうして工作の授業は地獄化した。し
かし、最終日だったその日の授業の終わりに、ついにそのA君がやってきた。そいつのことは知っていたが、当時の私には良くも悪くも特に印象のない子だったようだ。
私はもうひとり始めの段階で苦戦しているやつがいるから、はじめにそちらを手伝えといった。「私は何もしないまま止まっている。今日は最後だし時間ももうない。さらに部品を壊したのだぞ。(いじめられてるからか?)私の作ってるものは呪われている。」などのようなことを言った。
でもその少年は、もくもくと作業をしてくれる。普段は真面目キャラではないのに、工作になると職人さんみたいだった。私のように周りの奴を気にせず、私の目をまっすぐに見つめて言った。
「また、そうやって逃げるのか?」
「はっ」とした。もしかしてこうしていれば、今までの人生をすべて突破できていたかもしれない。私は周りの人、モノ、環境のせいにして、目の前のものに取り組んでいなかった。周りへの不平不満ばかり気にしてしまい、なんとかひたすら作業することをよく怠ってきた。さらに妙なプライドに誘惑されて、彼みたいなやつに頼りたくないと思っていたのだ。
工作は部品を直し、元より少し進んだところで、結局は終わってしまったが、彼の手がかかると呪われていた部品たちが美しく、みんなのものと同じように見えた。これからなんとかなるような気がした。
▽ピンチのときはよく「逃げずに自力で努力する」ことが説かれる。しかし、それより大事なのは、人に頼ることも含めて、いろいろな他の手段を試してみることだろう。その際に、もがいている自分の方法が間違っていないか検討し、生まれかわることが重要だ。そして何よりも大事なのは、自分で「方法」について勝手に決めつけないことだ。
いじめについては、確かに人に絶望的な環境を与えるもので、許せない面がほとんどだ。しかし、あくまでもその上でだが、当人にも問題は少なからずある。そこに「試練」が必ず臨んでいるのは確かなのだ。相手ではなく自分を変えようと欲しないなら、人生では巡り巡って絶対にもう一度別の形で彼らと対峙しなくてはならないだろう。そもそも生きていく上で、人のせいにするのはとても簡単であることを忘れてはいけない。
聖書では人はいきなり罪をなすりつけあっている。試練が来たとき、わたしたちはいつもそれを神のせいにしたがるのだ。