ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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逃げない勇気

2008-10-28 15:09:28 | 日記
今朝ほど夢を見た。妙にはっきりした夢だった。
舞台は小学生と中学生の間のような環境。タイムスリップしたみたいな夢だった。私は中1ぐらいで、そのときの意志で動いていた。今の自分は守護霊のようにそれを見ている形だ。(世にも奇妙な物語みたいだ。あまりに見過ぎてこうなっただろうか。)
電子工作か何かの授業だった。その日は、なぜか雨がひどく、ずぶ濡れで、水溜まりに落ちたり、遅刻したり、とてつもなく陰鬱な日だった。クラスではのけ者にされ、面白いことは何一つない。多少いじめられてもいたのだった。学校が夢と現実が重なった牢屋に見えるのはこの頃に特有の感情である。なんとも他に例えようのない陰鬱さだ。(だからこうして今日の夢とトンネルがつながったのだろうか。)
さらに工作は大嫌いな分野だった。いつも悪口を言ってくる連中は得意げに仕上げて、さらに悪口を言ってくる。私は設計図をまるで理解していないし、ずっと第一段階で止まっている。何一つ部品を組み立てられない。先生に聞いてもなぜか「わからない」の一点張り。「こいつ先生じゃないのか。それより俺はなんで人に相談しないんだ。」と守護霊の「私」は思う。が、恐る恐る話しかけると無視された経験がしみ込んでいるのかクラスメイトに相談しようともしない。教師は真ん中ぐらいで苦しんでいる奴の手助けばかりする。スタートラインで終わっている私は苦しい。周りはどこか形ができはじめている。教師が毎回授業前に全員に話すときも、それを前提にしているのに、私だけが部品状態なのだ。教師は「となりのクラスのメカに詳しいA君を呼んでこよう」という。私は何度説明書を見ても、聞ける子に聞いてもわからなかった。しまいに私は部品を壊し始めた。自分で自分を壊し始めた。こいつ何しているんだとさらにいじめられる。こうして工作の授業は地獄化した。し
かし、最終日だったその日の授業の終わりに、ついにそのA君がやってきた。そいつのことは知っていたが、当時の私には良くも悪くも特に印象のない子だったようだ。
私はもうひとり始めの段階で苦戦しているやつがいるから、はじめにそちらを手伝えといった。「私は何もしないまま止まっている。今日は最後だし時間ももうない。さらに部品を壊したのだぞ。(いじめられてるからか?)私の作ってるものは呪われている。」などのようなことを言った。
でもその少年は、もくもくと作業をしてくれる。普段は真面目キャラではないのに、工作になると職人さんみたいだった。私のように周りの奴を気にせず、私の目をまっすぐに見つめて言った。

「また、そうやって逃げるのか?」

「はっ」とした。もしかしてこうしていれば、今までの人生をすべて突破できていたかもしれない。私は周りの人、モノ、環境のせいにして、目の前のものに取り組んでいなかった。周りへの不平不満ばかり気にしてしまい、なんとかひたすら作業することをよく怠ってきた。さらに妙なプライドに誘惑されて、彼みたいなやつに頼りたくないと思っていたのだ。
工作は部品を直し、元より少し進んだところで、結局は終わってしまったが、彼の手がかかると呪われていた部品たちが美しく、みんなのものと同じように見えた。これからなんとかなるような気がした。

▽ピンチのときはよく「逃げずに自力で努力する」ことが説かれる。しかし、それより大事なのは、人に頼ることも含めて、いろいろな他の手段を試してみることだろう。その際に、もがいている自分の方法が間違っていないか検討し、生まれかわることが重要だ。そして何よりも大事なのは、自分で「方法」について勝手に決めつけないことだ。
いじめについては、確かに人に絶望的な環境を与えるもので、許せない面がほとんどだ。しかし、あくまでもその上でだが、当人にも問題は少なからずある。そこに「試練」が必ず臨んでいるのは確かなのだ。相手ではなく自分を変えようと欲しないなら、人生では巡り巡って絶対にもう一度別の形で彼らと対峙しなくてはならないだろう。そもそも生きていく上で、人のせいにするのはとても簡単であることを忘れてはいけない。
聖書では人はいきなり罪をなすりつけあっている。試練が来たとき、わたしたちはいつもそれを神のせいにしたがるのだ。

治部煮

2008-10-23 13:58:46 | 日記
今日のお弁当は…治部煮だった。金沢の人は皆が知ってる石川の郷土料理だが、普通は料亭や和食屋に出るので、弁当でいただけるなんてすごい。かわいいなあと感激してしまう。中学生に戻った気分だった。このほうれん草にわさびと鶏肉というのが美味。

大好きな郡上

2008-10-21 17:32:06 | 旅行
月曜日は、神父夫妻と昨日誕生日のGさんと、郡上八幡まで観光に行きました。(^-^)
私の大好きな…伊勢と双璧する私が日本で一番好きな場所です。
快晴に近く晴れ、吉田川がとてもきれいでした。ふつうに魚が泳いでいる時代錯誤な光景。古き日本の清流と街並みが残されています。戦国時代の街並みを再現した模型を見ても、基本は今と一緒でした。民芸品や雑貨屋も多く、かわいらしい店もありました。
いたるところで、川の音や気配、匂いが感じられる町です。狭い町だけど、日本にここにしかない独特の空間なので、来て損はない場所だと思います。しかしここは、すっきり晴れてないと楽しめないかもしれません。

お祝い

2008-10-21 16:17:11 | 一般記事
日曜日の教会はお子さんの洗礼もあり、ロシア人女性のお誕生日祝いもあり、夕食にいたっては写真のようにケーキも登場しました。お祝いデーでした。一人一人トイレに行くときは、パズルゲームのようになる狭い家ですが、それもまた面白かったりして(自分の家でないのに失礼だけど)。大人数で食事をすると本当に心が楽しくなりました。
神さまや皆さまのおかげさまで元気を持ち直した中村です。

▽日曜日から三日間名古屋教会にこもっていました。
この1ヶ月、ことごとく放蕩し、ゲームに溺れ、人への妬みばかりと、私の精神状態は最悪でした。本当に自分が世界で一番悪人だと思いました。
さらに、転職と名古屋への引っ越しと一人暮らしが迫るなか、自分で決めたことなのに、意志の弱い私は、一体これでいいのかとよく悩まされました。なので、これから先を考える意味でも、こもろうと決めてました。
結果は、なんてことはない、あっさり自分を取り戻し、また同じことをやり続けるよう促された感じです。
こういうのが一番いいのかもしれません。
「決心するまで三日間出かけてくる!」なんて、ありがちなパターンです。でも大事なことは、決心するために、何か不思議な力を得ることではないのでしょう。決心は放っておいてもやって来るし、それを決めるのはあくまでも出かける前、無力だった自分と同じ自分です。重要なのは闘いへと再び自分を備えていただくことだと実感しました。簡単に言うと、自分を取り戻せばあれこれ考えなくていいんです。
さて、でも敵はまた同じ仕方でやってきます。「思いがけないときにやってくる」ので、「これは反則では?」と思う闘いも負わねばいけないときが多いのが人生です。皆が、それぞれ人と比べられない自分の十字架を背負わなければいけない。一度逃げたら、別の形で必ず再びやってきます。また負けるかもしれません。でも備えてくれる力をいただければどれだけ頑張れることでしょうか、幸せなことでしょうか。人生はそもそもこういったものなのかもしれませんね。オリンピックの金メダリストがまた次回のオリンピックを目指すような、自分を「あらたにする」闘いです。

紅葉の季節

2008-10-18 14:48:41 | オピニオン
最近、激しく引きこもっていたため、なかなか更新出来ませんでした。
いつの間にか世間は紅葉の季節です。今日は日本海側に珍しい快晴なので、余計に色を意識します。普段見ている何気ない公園も、葉っぱの色が変わるだけで違って見えます。また、普段は違いなど意識しない、能面みたいにそびえ立っていた木々に、「世界に一つだけの花」を見ます。木も一本一本違うんだなと当たり前のことに気付かされます。