ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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訪豪動画集

2009-04-01 13:13:18 | 豪修道院日記
Fr. マカリーの仕事場にて。以下、動画集です。

静寂のなか、やかましい、空気を読めない白い鳥
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最も美しかった朝。ゲームの中にいるみたいだった。(最大音量でお楽しみください)
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日記で何度か触れた大好きなチャイナ跡地を歩く。
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別の日、丘まで登ってみた。眺めがきれいだった。(音割れ注意)
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女子修道院の聖堂から修道院まで。歩ける距離だから走る。(2本目音割れ注意)
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トヨタの軽トラで、修道院からキャンベラへ向けて出発。
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夕方のシドニーの街(3月25日)
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訪豪写真集

2009-04-01 13:13:02 | 豪修道院日記
ゴールドコースト国際空港



シドニーの国内線空港はみんな外国人。その中での昼食。



なにやら見覚えのある色使いだ。アテネ五輪の悪夢が・・・。普通にこの色のTシャツが売られていた。



行きの途中にいた針モグラ。外見はこわいくせに、めちゃおとなしい。



Holy Transfiguration Monastery(主の変容修道院)の外観



朝もやがきれいだった日



太陽が昇ってくると・・・



夕方は日差しが弱まるが、午後7時前、沈む前に再び西日が強くなる。





Fr. セルゲイの小屋。本人曰く日本庭園



数々の日本語が・・・



私より字が上手い・・・



Fr. ジェームスは木製織機で織物をしている。鶴の恩返しやガンジーの世界だった。



手作り陶器におにぎりと日本茶での昼食



院長のFr. アレクセイはイコン画家だ。ちょうど完成したところ。



影の主役はビーナス、おまえだ。この犬、名前とルックスが一致しないだけではなく、1日中真剣な顔つきでリラックスしまくっている。ひたすら水を飲んで適当なところで寝ている。とてもビーナスに見えないが、修道院らしくかわいかった。夜は真っ暗なので、人間と間違えそうになった。



用意していただいた部屋は、修道士と全く同じつくりで立派だった。おかげさまでよい「修行」ができた。


3月24日 ラストドライブ

2009-04-01 13:12:44 | 豪修道院日記
今日はついに最終日。人も誰もいなかった。朝食は適当につくり、楽しかったのは昼食。腹がすいてきたから、畑からネギを引っこ抜いてきて二人分のラーメンを作って食べた。このように、腹がすいてきて、畑から食料をとり、野菜を持って山道を歩き、自炊して、お祈りして、食べていると、人間はある程度のものがあれば豊かに生きていけるのだなあと感じる。食物のありがたみもわかる。児童の食育に菜園を取り入れるとよいというのもうなずける。

Fr. マカリーがドライブに連れて行ってくれた。彼はいつも軽トラを仕事にドライブに乗り回している。静かなところだから音がするとすぐわかる。山のでこぼこ道を上下に揺れまくりながら、ボウボウの白ひげの老人が軽トラを運転してくるのを見ると、とても不思議な光景だった。
今日は山道を行ったためさらに上下に揺れた。さらに左右にもかなりハンドルを切っている。こわがらせようとして「クックック」とせせらわらっている。とんでもないじいさんだ。若いころはバドミントンの選手だったらしい。オリンピックが夢だったという。そのとき、ペアを組んでいた奴にモンクになると言ったら「You'll become a monkey!? Oh, crazy」と言われたらしい。monkeyは差別用語なのだろうか? 彼とも当時のガールフレンドとも音信不通らしい。壮絶な歴史だ。日本で神父になるとかいう比ではない。
いろいろな小屋、仕事場などを見せてくれた。各地に立ち寄るごとにお菓子が残っていないかチェックしていた。空だと悔しがっていた。遠くの昔ある家族が住んでいた小屋ではクッキーをもらった。おいしかったが大丈夫なのだろうか。いつ作られたものだろう。モンクだからさまになっているけど、一歩間違えば浮浪者だなあ。
Fr. アレクセイのスキート?(別荘の小屋)では、とてつもなく重くで分厚い毛皮のコートが置いてあった(=写真=)。熊みたいだ、いやそれ以上でムックみたいだ。これも強制的に着させられた。「クリスマスに子どもたちが来ると、夜これをきて脅かすんだ」と笑っていた。ひでえなあ。トラウマになるんじゃないか? ここは「本当に」真っ暗になるのだからマジで怖いよ。

最後はいろいろと質問に答えてくれた。労働は少しにして、最終日はのんびり楽しく過ごすことができた。

3月23日 ライスボール再び

2009-04-01 13:12:27 | 豪修道院日記
すっかりフレンドになったアナトーリーと。

朝食を食べてFr. セルゲイの小屋へ。粘土を伸ばしたり、陶芸の型どりの手伝い。午後は近くの大好きな平原を歩いたりした。先述したが、100年以上前、ここで中国人が農業をしていた。その木の柵と鉄線が普通に残っていたので、長い歴史を感じる。今ではただの荒地だ。川が干上がっているから歩き放題だった。丘に登ると、建物がない、人工物がない、広大な眺めに圧倒された(動画参照、後掲)。昼は「ライスボールの作り方を教えてほしい」というアナトーリーと約束をしたいたので、もう準備がされていた。昼食はおにぎりと日本茶になった。あやしいロシア語のイカの缶詰があったので、それをつぶし、醤油とわさびをしみこませて、具にしてみた。これが意外にマッチした。

夕方は早めに風呂に入り、キッチンで適当に何か食べ、歩いた。風呂上りに何もない山道をひたすら歩くと爽快だった。身体も髪もがみるみる乾燥していく。西日が強烈に射して気持ちがいい。気分がよくなり上半身裸になってみた。そして魔が差したのか、帰る前にどうしてもやりたかったのか、パンツ一枚になり、調子に乗って全裸になってみた。なんということだ。大平原のなか、近くには木が三本と全裸の私。誰も見ていないとはいえ、なぜか恥ずかしかった。誰もいないとはいえ「社会」のなかの全裸は不自然だった。想像と異なりあまり気分のよいものではなかった。やはり人間はパンツははかないといけない。日本では北海道でもこんなことはできないだろう。

400万年前のアファール猿人「ルーシー」に思いを馳せてみた。はるかかなた、人類はどんな気持ちで全裸で歩いていたのだろう。だが、実行してみると生れ落ちたときの記憶と、はずかしい感覚しか残らなかった。太古の人類の感覚などわかるはずがなかった。性欲の衝動が(動物時代からの遺産が)、「何を」物語っているのかわからないのと同じだった。そうだ、聖書でアダムとイブが服を着始めたのがなぜかは絶対にわからないのと同じだった。とにかくどんなことがあっても服を着るということは人間になることなのだと感じた。
なぜ人類は服を着だしたのか。いろいろな説が飛び交っているが、その気持ちはもはや絶対にわからないのだろう。とにかく人類は生活空間(社会)では服を着なければ人間ではないのだろう。そういう生き物になったのだろう。そんなことは考えてはいけないのだろう。
すぐさまパンツ一枚に切り替えて野原を歩いた。それでも日本では犯罪行為かもしれない。

ここでの生活で虫が気にならなくなった。ミツバチにも蚊にもさされない。クモやハエをみても何も感じなくなった。キッチンにアリが何匹いても普通の光景になってしまった。近寄ってきても、人間に近寄るというより、基本的に動物はみな逃げていく。人間と生物の新鮮な、本来的な距離感が感じられて、虫や生き物をウザく感じさせない自然の神秘に驚嘆した。
とにかくアリはでかかった。小さいのでも親指の爪ぐらい。大きいのは中指の半分ぐらいあった。

3月22日 やっと順応

2009-04-01 13:12:05 | 豪修道院日記
写真は院長のFr. アレクセイとFr. セルゲイと。

昨日は4時間の祈りを経てすぐ寝た。今日は朝5時から7時半までの早課、9時から11時まで聖体礼儀、12時からトラペザ、5時半から晩課とお祈り盛りだくさんだった。やっと土日をウトウトせずに乗り切れた。この一週間で何かが順応できたのだろうか。

夕食にラーメンを作った。高校生のとき、テレビで「インスタントラーメンでつくるおいしい中華そば」を周富徳がつくっていた。それを観て以来の得意料理だ。3人分作ったら好評だった。しかしそれでも醤油をかける人がいた。

夜、Fr. ダニエルが山盛りフライドポテトとサラダを作ってくれた。ドレッシングもおいしかった。ドレッシング王国日本在住の私が言うのだから間違いない。彼は本当に料理がうまい。Fr. マカリーといろいろな話す。彼は修道院の歴史についてアルバムを交えて教えてくれた。何しろ20年以上いる人だ。設立当初からいるから生き字引だ。「設立」と言っても初めは山奥を整地して丸太を組んだだけ。車で資材を運び、少しずつ作られた。まず聖堂を立て、部屋を作り、キッチンを作り・・・と都会人の私からしたら、一から自分たちで家を建てて住もうという発想が理解できなかった。ガスは持ち込み。水道は雨水タンクがある。電気はガスを利用している。少しずつ建物が出来上がっていく様子を写真で見せてくれた。さらに腕のいい建築士が無償で協力してくれたのが幸いだったそうだ。やはり正教会は人脈だなと思った。でもそれだけではなく、建築に携わった仕事もちのボランティアもすごいと思う。こんな山奥からどうやって街へ帰るんだ。

「日本人は肉を食べるのか」と聞かれ、オーストラリアでもご存知の通り、ファーストフード化、外食化で若者の肉食化が進んでいるし、かなり皆肉を食べているというと、笑いながらも少しショックそうだった。確かに日本料理は魚が多いし、自然の食材をふんだんに使うイメージがあるからだろう。とにかくグローバル化は寂しいね。

今日は下手な英語をほめられ嬉しかったが、たぶん私の英語はIt構文や関係代名詞が多いし、きっと評論文を読んでいるようにきこえているだろう。外人が明治の文豪のようなメールをしてくるのに似ている。