ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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光明な日々

2008-04-29 09:41:42 | 正教会
写真は復活祭のときのものです。ヨハネ書の初めが6~7ヶ国語で読まれました。狭い家に急に信徒や外人が大勢来て大変なことになりました。「わけわかんないうちに終わっちゃうよ」と言われた意味がわかりました。深夜に中の聖堂が輝く姿はとても美しかったです。太古からの伝統文化も継承されているので重みもありました。「ハリストス復活!実に復活!」という決まり文句の挨拶も10ヶ国語で交わされました。いきなりそれが始まったときは、聖霊降臨の使途たちの集まりが見知らぬ言葉をしゃべりだしたというあの場面を思い出しました。
今日は新たに生まれ変わって四日目。今までの数々の悪行が許されるとはなんということだろう。癒しとはわけが違う。今まで通りの景色、人間、仕事と出会っても完全に見方が異なる。新しいことが次々とできる。どんな人とも会話したくなる。今までは先入観にとりつかれていた。私は悔い改めの人生を始められるだろうか。古い私は確実に悪魔の支配下にあった。今や悪魔は確実に意味を持たない力の現存として感じられる。ムダなことは退けられ、アクドイことは私を暗くしてくれ、何もできないことがわかると立ち去っていくのだ。
私にとっても宇宙はつくりかえられた。改めて思うが宗教的な力というのは、人間の本質に根ざしているので、乱用すると大変なことになる。危険な新興宗教の恐ろしさを感じた。「自分は洗脳されない」という人は宗教の本当の意味や深さ、恐ろしさを知らない人である。キリスト教もどれだけ初期から異端に悩まされてきたか、歴史を見れば一目瞭然だ。

受洗

2008-04-26 20:24:09 | 正教会
名古屋正教会の松島神父と。

この携帯、簡単にカメラがブレます。SO705iが悪いのか、不良品か?ドコモに確認したいです。
かつての私である中村は死んで、新しくイオアン中村が誕生しました。12時間経ってもまだ少しぼーっとしてます。今のところ最大の違いは、十字を切っても、祈りも心から落ち着いて出るようになったことです。かつては神と言われても、悟性的には想定して信じ、理性的には諸霊の絶対者として信じていたものの合体や第一原因でした。また、「私に関係ない何か」を俺は信じてるといった感じだった。
やっと手が届いた、関係した、という感じがします。たとえるなら、親子のような間柄の子と養子の親子の違いに似ています。それっぽくどんなに心が通じていても、悔しいかな養子という「親子」に実際なるのとは違う。それは体験しないとわからない。機密は経験しないとわからないとはこのことだったかと強く思いました。
こんなふさわしい日に、あのヨハネス・クリュソストモスに因んだ聖名までいただき(一般的にはモーツァルトの名前で有名か?)、さらに浸水式でわざわざしていただきました。ありがとうございました。かなりぬるくしてくれたんですが。室温からいきなり浸かるから冷たい。完全に頭を押さえれ沈められるのは何かもう説明できません。息、水、油、が別のものに変化する古よりの神秘、秘技、ナイショです。
聖体礼儀のあとは片付けと会場準備。家具や器具の移動が…、名古屋教会、狭いし民家みたいだから、みんなあっち行ったりこっち行ったり、曰くテトリスみたいな会場設営が面倒でした(笑)。

復活印

2008-04-25 23:16:25 | 正教会
出ました。正教会お約束の染めた卵と奥に見えるのはパンケーキのような「クリーチ」です。昼間は卵の油ぬりと、飾りのシール貼りを手伝いました。夕方は中学生たちが入ってきてにぎやかになっていた。わいわい楽しそうだった。まず、快活さが違う。昔を思い出すなあ。教会の中で、「むかつく、あり得ない、うざい」などの現代語を初めて聞きました(笑)。
夜はロウソクを持っての祈り。外へ出て十字行もあった。復活は目前だ。楽しかった。あと9時間で洗礼だ。ついに水に沈められる。おやすみなさい。

大総括

2008-04-24 23:28:29 | 日記
洗礼まで36時間を切りました。私は新しく生まれ変わり、第二の人生に向かって歩きはじめることにしました。大好きなヨーロッパとロシアの先人たちが通った道と同じ道を通ってみます。信仰があるなら裁かれず、不義とされたらそれによって裁かれるでしょう。と、いうことは、どう転ぼうとも、神との契約からは免れえなくなるということにもなる。彼らもそうであったように。私も彼らと同じ闘いの場に立ちたかった。
いま生きているのも一度目と称しながらすでに二度目みたいなものだ。5年前薬の中毒症状のなか、それを断たれたとき私は一度死んだ。それから全く見たことのない新しい世界が続いている。この事件に象徴されるように今までの私の人生は、結局自己満足から何一つ抜け出すことができなかった。これをどう変えていくか。神と他者へ私の命を与えていくか?これが課題だ。自分も甘やかさず大切にできるか。神様への捧げものとして自分を整えられるかどうか。一言でいうと自己愛の超克。しかし昔の大人はかなりの人が、意識せずにこれをやっていたのだった。
絶対者を必要とする前は、知を信じていた。これをかたちにしてくれたのが河合塾だった。高校時代、それまで信じていた、与えられていた世界の統一が分かれはじめた。思春期特有の熱情や理性的な意識の芽を使い知性を支配しようとした。必死で哲学めいた構造を考えていたが、それを表す言葉が空想しかなかった。そこに彼らは言葉と世界と命とを見せてくれたのだった。
とは言っても、その後、知識だけでは、世に満ちた存在たちを本当に表現できないことに気がつくのに長い時間はかからなかった。知より、存在と理性を愛するようになってきた。絶対者の問題でいつもつまずき苦しんだ。存在を讃えるリルケのような運動を、また、思春期を越えて理性的意識に個我を従属させるというトルストイのような運動をしたかった。「目に見えないものをみる」ことに熱中した。その後正教会の教えに冷静にのめりこんでいった。
中学時代は、勉強ばかりしていた。純粋な気持ちでいたつもりだが、いま思うと知だけへの愛が起こる以前であり、未熟だった。知にゲームのようなものや快楽がまとわりついていた。だからテストが楽しみだった。
小学校時代もこれに似ていた。年齢が二桁になるころ、私は知識が単純な構造をもって連鎖するのをよく好んでいた。公式に当てはめれば解答がでるような話しである。なので、子ども向けの難しい読み物やテレビで難解な言葉を使って話しをするひとが嫌いだった。田舎に住んでいたから、特段インテリも少なく、純粋に遊びが大好きな子が多かった。そういう様をみて、「この子たちをお勉強がうまくいかないからといってなんで頭が悪いなんて差別するんだろう」というような不信が抜けなかったのを強く覚えている。「単純な構造で学問ができるようにみんなに教えてあげたい。知識なんてのははやく身につけてしまい、さっさとみんながしたいことを伸ばせるようにしたい。」と考え、私は人に教えたくて、自らを学びにしばりつけた。この感情は今でも強く残り、続いている。もちろん当時はまだ、うぬぼれや征服欲が多分に混ざっていたことはいうまでもない。が、それよりやっかいなことは復讐欲だった。「難しいことばをしゃべりひとを頭が悪いという人(パリサイ人みたいなや
つ)」に対する強力な復讐心が小学校入りだしてから潜んでいた。それまでの全能的な知識の連鎖が、学校という制度や上からの指導的な知識により支配されているように感じたのだろう。
私が、単純な知識の連鎖を好むのは、ゲームや構造主義や余暇を満喫する時代に育ったことも大きいのだろう。
全能だった。誰もがそうだろうが幼年時代はまさに全能だった。だが人は知性を身につけるとそれを自分だけのものにしようとしていく。少年時代から純粋な芽もでる一方こういう芽も育っていたのだ。そして高校時代に花を咲かせ、その個人主義こそ人生であり、人間的であると確信してしまう。だが、18世紀以降の近代人の落とし穴はすべてここにあった。
しかし反対にイエスの教えはもう一つの芽に私をもどしてくれた。幼年時代、知識は自由だった、神様に近かった。青年の私はそれをバカにした。ニーチェの言葉を借りて、キリスト教はガキの宗教と言っていた。だがガキの神とともにある一つのロゴスを支配欲にまどわされず、オトナの理性的意識とつなぎ、住まうことができる世界はとても身近にあったのだった。

楽園に向かう宗教はすべて怪しい。はっきり言って洗礼を受けるほうが、人生はさらに過酷になるだろう。「キリスト教は仏教や科学がこの世の問題をむしろ楽に解決してくれるからこそそれと争う」というようなことをシュメーマン神父は書いている。だが、いっぺん死んだ身だと思いこの5年生きて、あまり怖いことはなかった。明後日、さらに「死ぬ」わけだが、これからも耐えていきたい。
何が起こるのか、全く未知の領域に踏み込もうとしているので、期待と不安が交錯している。たぶんベースは何も変わらないとも思うが、とにかく2000年の謎なので。果たしてイオアン中村はどういう人物なのか。という中村幸雄もどういう人物なのか、自分で一番よくわからないのだから、わかるわけなどない。ただ一つ、私が思いをこめてるその人はすべて自愛か幻で、神様やまったくしりえない皆様がたなどの他者の中にその人がいることだけはわかっているのだ。