ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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お知らせ 【自由と生存のメーデー】 2訂(最終版)

2007-04-28 22:18:06 | イベント
フリーター労働組合さんのメーリングリストよりメーデーのお知らせがありました。概要はほぼ決まったそうです。

興味をもたれた方には是非おすすめします。もはや「この」問題は、日本国民全員の問題であり、左派どころか、福祉や厚生の議論を超越した切迫した問題です。しかも、保守系と言われた新聞やテレビも、続々と報道を開始しています。そしてついに国会さえも(当然微力ですが…)動き出しました。

フリーター、ニート、プレカリアートの大規模な「反乱」の一つとなるでしょう。特に首都近郊にお住まいで、この不安定な、明らかにおかしな労働社会に苦しむ方、疑問を感じる方、反対したい方などは、強く参加をおすすめします。お互いの交流やよい反撃の糸口になるのではないでしょうか。


転載歓迎だそうなので、以下、転載させていただきます!

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////自由と生存のメーデー 07--プレカリアートの反攻////
http://mayday2007.nobody.jp/
  tel&fax:03-3373-0180
e-mail:paff(at)sanpal.co.jp

○日時:2007年4月30日(月・休)開場12:30
○集合:12:00-12:30 大久保区民センター(新宿区大久保2-12-7)
   ※JR新大久保駅から明治通り方向に約600m。ペアーレ新宿裏
   ※集会参加:会場費カンパ500円/デモのみ参加:無料

■13:00-14:00 メーデー宣言集会(区民センターホール)
フリーター全般労働組合/女性ユニオン東京/予防拘禁法を許すな!
ネットワーク/ジャマル・サーベリ/女性と天皇制研究会/石原喫苦/
都庁行動を闘う全都野宿労働者実行委員会/似非原

■14:30-16:00 歌舞伎町周回!サウンド+?デモ
区民センター⇒(大久保通り)⇒新大久保・大久保駅前⇒(小滝橋通
り)⇒新宿大ガード⇒(靖国通り)⇒歌舞伎町前⇒OIMEN横⇒(明治通
り)⇒(大久保通り)⇒区民センター
(地図↓)

■16:45-21:00 プレカリアート交流集会(区民センターホール)
* 発言:働く女性の全国センター・伊藤みどりさん
三多摩合同労組中大生協闘争当該・吉田比呂子さん
 * トークセッション
提起:湯浅 誠さん(NPO法人 舫(もやい)事務局長)
近著『本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』
矢部史郎さん(思想誌『VOL』編集委員)
近著『愛と暴力の現代思想』
司会:雨宮処凛(作家)
近著『生きさせろ!─難民化する若者たち』
『バンギャル ア ゴーゴー』
QT(フリーター全般労働組合)
* 軽食ブース by 抵抗食の会(仮)(区民センター調理室)
* 分散会
* 上映
 「プレカリオ・ストリート PRECARIO STREETS(仮)ダイジェスト版 」
  約90分 監督・編集/葛西峰雄・梅地展之
      (映画美学校ドキュメンタリー・コース)
他企画準備中!

○呼びかけ:フリーター全般労働組合
http://a.sanpal.co.jp/paff/union/

──生きることはよい。生存を貶めるな!
──低賃金・長時間労働を撤廃しろ。まともに暮らせる賃金と保障を!
──社会的排除と選別を許すな。やられたままで黙ってはいないぞ!
──殺すことはない。戦争の廃絶を!
──メーデーを抗議と連帯と反攻の日に!

「格差」と「貧困」が社会的な課題としてにわかに取りざたされている。
しかし雇用の流動化はさらに進められ、生きるための基盤はますます不安
定なものへと置き換えられるばかりだ。政府は問題を「機会の不足」へと
矮小化し、格差と貧困の責任を私たちの就業能力、起業能力の欠如に還元
しようとしている。その帰結は、生存を「自立」競争の勝利者への褒賞に
変えることに他ならない。

しかし、彼らが言うように未来なく不安定なこの生を自分のせいにされ、
頭と体と感情をすり減らすことはない。働かない・働けないことへの侮蔑
と嘲笑と同情におびえる日々を終わらせるための反攻はすでに始まってい
るからだ。労働を道徳と結びつけ、勝ち誇って人に生きる資格を問う者た
ちに、差別と排除で人々を切り分け敵対させる者たちに、私たちは全身で
反対する。「ただ生きること」を肯定する私たちは、この社会にもたらさ
れている「戦争」を拒絶し、侮蔑と不正に連帯で応じる。この自由と生存
の日に!プレカリアートの反攻の日に!

2007年3月23日「自由と生存のメーデー 07」実行委員会

賛同(07年4月24日現在)
★ 35団体:A-menace|Asian People’s Friendship Society|Haltigu
Rokas^o|4・28「沖縄デ―」、安倍政権打倒実行委員会|医療・福祉の戦
争協力に反対する連絡会議|ウリ-ジャパン(戦争抵抗者インター日本
部)|オールニートニッポン事務局|キリスト教事業所連帯合同労働組合
|高円寺ニート組合|こわれ者の祭典|山谷労働者福祉会館活動委員会|
ジャマルさんを支援する会|障害者-介助者反戦|素人の乱|新宿連絡会
(新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議)|人民の力|全国
コミュニティユニオン連合会|ダメーデー実行委員会|抵抗食の会(仮)
|東京管理職ユニオン|東京ユニオン|都庁行動を闘う全都野宿労働者実
行委員会|日本列島に、本当の民主主義を根付かせる会|ネットワークユ
ニオン東京|派遣ユニオン|反戦と生活のための表現解放行動|ひきこも
り九条の会|ビデオアクト(有志)|日雇全協・山谷争議団|貧乏人大反
乱集団|フリーター全般労働組合|フリーター/非正規雇用労働者ユニオ
ンふくおか|「持たざる者」の国際連帯行動実行委員会|有限責任事業組
合フリーターズフリー|遊動社|労働運動活動者評議会

★ 86個人:hi-lite(アナキズム文献センター運営委員)|Kb|ktn(不謹
慎ズ)|浅野陽子|阿部治正(ワーカーズ・ネット会員)|雨宮処凛(作
家)|石井宏和(東京ユニオン)|いちじゅ(ゆうメイト)|入江公康
(非常勤講師)|植本展弘|内山智絵(東京都地域精神医療業務研究会)
|大平正巳(フリーター全般労働組合委員長)|大森美弥|大森理紗|岡
井友穂|小川英郎(労働弁護団・ウェール法律事務所)|海妻径子(岩手
大学教員)|鹿島拾市|梶屋大輔(グッドウィルユニオン委員長)|加藤
宣子(日刊ベリタ記者)|菊地謙(フリーター全般労働組合)|木谷公士
郎(司法書士)|京極紀子|久保友仁(ゆうメイト・郵産労目黒支部執行
委員)|グレフル|小塚 太|桜井大子|佐藤和之(チェチェン連帯委員
会)|志賀千秋(東京ユニオン)|渋谷望(千葉大学教員)|島崎由喜男
(東京ユニオン)|清水直子(フリーライター)|小番伊佐夫(三一労組
書記長)|白石嘉治(大学教員)|杉村和美(出版労連ED労組副委員長)
|鈴木剛|首藤久美子(女天研)|関口達矢(東京ユニオン)|攝津正
(芸音音楽アカデミー代表)|戦闘的ゴジラ主義者(靖国解体企画)|宋
安鍾(大学教員)|田中正治(ネットワーク農縁世話人)|堤英明(東京
ユニオン執行委員)|常岡雅雄(人民の力)|津村洋(戦争抵抗者の会)
|冨山一郎(インパクション編集委員、大学教員)|中十代(公共一般労
働組合・図書館を利用する音楽家の会)|中村幸雄(新聞編集補助)|な
すび(山谷労働者福祉会館活動委員会)|棗一郎(弁護士)|西 泉(合
意してないプロジェクト)|西田英俊(東京ユニオン)|西山大輔|橋野
高明(日本キリスト教団 牧師)|林孝雄(東京ユニオン)|廣川タケシ
|福島みずほ(社民党党首)|衾庄司(フリーター)|ぺぺ長谷川|星野
弥生(翻訳家)|星野雄一(フルキャストユニオン委員長)|細野秀太郎
(アジア太平洋資料センター)|松浦 望(みどりの会・世田谷 共同代
表)|まつき(県民)|松平隆史(精神保健福祉士)|松原明(ビデオプ
レス)|松本 勲|水島信一(身体障害者)|ムキンポ(観光左翼)|村
上らっぱ(介助者)|八木航(松本市)|山本和美(派遣社員)|ヤマグ
チカノウ(ジャーナリスト)|山口素明(予備校講師)|山下徳介(工場
労働者)|吉田裕子|よねざわいずみ(日雇派遣労働者)|渡辺秀雄(東
京ユニオン)|綿貫真木子(書店員)|匿名8名

<運営上の確認> 政治的立場の違いを暴力によって「解決」することを
実践し、その行為と思想を正当化し続ける人びとの参加はおことわりします。


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メーデー実行委への賛同を募集しています。
<以下フォーム> 連絡先にあててご返信ください
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「自由と生存のメーデー 07」実行委員会に賛同します
※以下[ ]内は、該当するものに○をしてください。
お名前:(                  )[団体・個人]
[公表 可・不可]
(肩書き等:               )
連絡先:(集会関連情報をお送りします)
 (住所)[自宅・事務所]
 (電話)[自宅・事務所・携帯]      (    )     
   
 (FAX)     (     )
 (e-mail)
賛同費:[ 団体2000円 ・ 個人1000円 ]を
    [ 申し込み時 ・ 集会当日 ]入金します。

実行委連絡先:フリーター全般労働組合
 〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階
 電話:03-3373-0180 e-mail:paff(at)sanpal.co.jp

■賛同費振込先■
 郵便局「ぱるる」 10080-91518311
 口座名 フリーター全般労働組合
(※振り込まれた方は連絡先にあててご一報ください)

事件

2007-04-25 22:48:00 | 一般記事
すぐ近くの犀川でひとが飛び込んだ。自殺らしい。心配だ。救助前から救出まで見てしまったので。ぐったりしていたが大丈夫だろうか。

リアルにも同じことを書きました。

約2時間ほど前だった。まだぼーっとしている。何かが抜けない。

生きていることは何なのだろう。本当に目的に向かわず、快楽だけを求めたり、自己満足だけを求めるなら、誰も生まれかわりたいとは思わない。それだけ生きることは過酷で、常に不安があり、母体から引きはなされているのに。私も含め大衆はいつも目をそらそうとしてしまう。

去年の秋からこれで3件目らしい。確かに多い。近所だと辛いです。

オーロラ

2007-04-21 14:21:28 | オピニオン
【映画オーロラとハリウッド、ロマンについての感想】



オーロラ(06・仏)@シネモンド

美少女好きな私に、はたまた空想好きな私には、危険な映画かと思ったがそれほどではなかった。時間的にこれしかなかったので仕方ない。映画はなんでもよかった。

ストーリーは中世ヨーロッパのお城が舞台。踊りが大好きなお姫様が主人公。見守り見守られる相愛の弟もいる。父王から踊りを禁じられ、政略結婚させられようとする。陰謀をはたらく側近や、王女とその踊る姿にひかれる画家などが現れる。王女は彼を愛するようになり、自らの自由と舞踏を貫こうとする。

森の中の城という閉鎖的な空間の中で、ロマン主義的に展開する物語。無駄があまりなく、すっきりした感じで、印象はよかった。やっとめぐりあえた恋人がすぐに処刑されるのはかわいそうだ。でも「どんなに悲しいときでも踊り続けるのよ」という母の言葉を忘れずに、踊り続ける姿は美しかった。また、エンディング的要素もないのも少し寂しかった。

▽ハリウッド

が、しかしである。改めてハリウッドの洗脳を感じた。こうしてフランスなど他国の映画をみると。

なぜ、エンディングらしきものがなければならないのか。なぜ主人公は「頑張って」勝利しなければならないのか。(しなくとも明確な道や「解決」を見出さなくてはならないのか)。そしてなぜ、資本主義社会の枠内で*、何らかの成功や新たな活路に巡り会わなければならないのか。また、死なない作品も多い。主人公の親友や最愛の人はなかなか死なない。

*ダイハードなどアクション、サスペンス系はとくにそうだ。事件が起こり、資本主義社会の日常に歪みが生じ、事件はハッピーなら勝利、そうでないにしても終焉し、必ず、また日常にもどる。こうして本編で日常は壊されているようでいて、逆に強化されるという、村落の祭の機能を私はみる。

イタリア、フランス映画は特に解決がないものが多い。未解決のまま、さらに問題がわかりにくくなったように残される。それがいいのだ。芸術など本来は、どれだけ存在について深みのある面を見せてくれるかにつきると思う。アメリカ映画は、解決されないにせよ、不必要に解決や答えにこだわり格闘するような記述が多い。

▽高貴な精神

もうひとつの感想。忘れられている貴族精神も拝見できた。ニーチェが著書でよく話題にしていた精神が。
私は以下のように思うのだ。守るべき掟があること。これは保守の精神であるが、高貴な精神はそれを文面としてではなく、先祖から受け継がれたものとして愛するのだ。左派的な自由市民は合理性のみで批判してくるが、それでは割りきれないものがあろう。それ自身を彼らは愛するからだ。宝石を、財産を継承された、偉大なもの=見えないもの、を、それ自身として。だから、奴隷たちは左派的な武装をしやすいのだ。私は左派なのでいつも敏感になっている。彼らの宝石を財産を価値として批判したくなるのだ。これがいわゆる奴隷根性の復讐ではないかと私は思う。

また、王族たちは真の危機で祈るだろうか。ニーチェはイエスの「祈っていなさい」を弟子たちが寝ていて、他にやることがないという意味ではないかと説いていた。その論の是非はここでは考えないが、笑えない。高貴な人たちは、信じてひたすら動く。どうみてもばかげた約束を守るために戦ったりする。策略を、罠を打ち破るために行動する、協力する、話しあう。こういった主人公ではなく、外野でやることがない人が祈る人に見えてくる。祈ることで強大な何の力によりたのむというのか。参与する勇気が欠けているのでは。いちかばちかをとする勇気が、決断力が欠けているのではないかと思う。もちろん高貴な人たちも祈る。だが、それは行動という料理のスパイスのようになり、おまじないのように祈る。オマケとまでは言わないが、スパイスだけでは意味をなさないであろう。ともあれ、勇気ある勇者が祈る姿は美しい。目的あってこそ、そこから祈りという歌が響くのであろうか。

▽ロマン主義って何だったの?

ついでにもうひとつ思ったことがある。ロマン主義をロマンチックと安易に批判できるほど我々は成熟しているのだろうか。よくやりだまにあがるこのての文学全体だが、一概には言えないだろう。

それこそロマン主義を作った世代の強靭な精神力を見ると。批判してきた写実自然世代も批判などできたのか。さらにその彼らでさえ生きるか死ぬかの今はなき、すさまじい精神力を持った世代だった。それを戦中世代や団塊世代が簡単に、科学的とか合理主義的とか近代的とかイデオロギーとか言って、そもそも文学という形式自体を打ち破るなどと言って、社会参加やら構造主義やら言えたのか。ほんとに、19世紀が終わってから前の世代を批判してこれたかは大きな疑問である。だから、いまフランス現代思想にひかれているが、もう一度、変に熱くならず、冷静に、価値観にしばられず、歴史を見直す必要があると思う。何かを創ろうとするより、まず、我々や前世代が創造ごっこでしかなかったなら、徹底的に解体すべきだと思う。脱構築やシュールレアリスムにその希望をみている。でも80年代から何も生み出してるように見えないって?変化やムーブメントが感じられないって?。それはバカかもしれない。汝のそういう解決や答えや歴史的な死体を求める思考自体が近
代が生んだ悪魔かもしれないのだ。

ロッキー・ザ・ファイナル

2007-04-15 01:45:19 | オピニオン
ユナイテッドシネマにて映画ロッキーの先行上映。

この映画だけは反則のような存在でした。「主人公がもう戦える歳なのか。」という面でも反則ですが、往年の名作を見てきたファンにとっては、登場人物に感情移入してしまうという面で反則です。私はロッキージュニアと同じ歳なので、いつの作品も気持ちがわかる気がした。今回もそうだった。前回は中学生だった息子も、今ではサラリーマンだ。

ロッキーシリーズは後半に幾度に、前回との繋ぎを意識してきたかに見える。3ではアポロとの闘いが4ではその友情が、5では4での死闘と栄光が。だが今回は1を非常に意識したつくりになっている。もちろん形式上だけのことだが。直接に関わる登場人物は、地域、身内が多い。トレーニングもパワーだけにしぼる。闘うこと、自己を証明するような闘いが目的。などなど。

という意味では、過去の方向性や色にかられて失敗作にならずにすんだとは思う。
異色な面はまだある。5と似ているが、小説っぽく描かれている点がそれだ。シリーズにしては細かい心情や人の動作に重きが置かれていたと思う。非日常より日常が重視されていた。

この暗い時代世相もうまく反映していた。主人公の周囲以外は、すべてが、ただ早く流れていき、単調な無機的な生活しか見えないよう表象されていたように思う。人々について感情の描写や詳述はさけられていた。もはや明るい派手な面はない。最後のラス・ベガスでの試合もロッキーの生ききる内面の生は孤独で、そう明るくはない。

自分自身のために闘い続けてきたロッキー。しかし、なぜ、60になっても闘うというのか。これは理解できそうで理解しにくく、表現できそうでできないことである。それでも彼は立ち上がる。変わらない思いを証明するかのように。

今回、みなの笑いものにされながらもあえて彼は志願し闘う。ここにすべてがある。非常に現実と重なり合うからだ。「笑いもの」にされているのは、劇内部のロッキーであるとともに、スクリーンに映っている映画ロッキーファイナルでもある。「なぜ闘うというのか?」この問いと応答は、作品でなされるこの問いと回答は、本文を超えて、二重の意味を常にはらんでいるのだ。この作品を対象化する視点がすでに作品内部に書かれているのである。我々は作者によって書かれた世界をスクリーンで見る、と同時に作者のペンで書き込まれている。巻き込まれると同時に、ロッキーを対象化せねばならないから相対することになる。我々もロッキーを巻き込んでいるのだ。これが決定的に今までと違う作品に仕上がっていたところだ。

最後は団塊世代の青春のサルトルで締めてみました…。