先週の土曜日になってしまうが(あの派手な桃紫の夕焼けの日)、東洋大学で環境哲学に関するシンポジウムに参加した。興味のある分野であるし、何より半分はドイツ人教授による講演でドイツ語が聞けると思い参加したのだが、あまり現在の環境問題に対する実地の取り組みの話がいまいちなく、またドイツ語は日本語で聞いたとしても大学院を越えるような難解な概念の連続で、私如きが聞き取れるはずもないものだった。結果、あまり収穫はなかった。
でも最後に有名な河本英夫さん(東洋大学教授)のお話が聞けた。この方は河合文化教育研究所でも寄稿や講演に参加されていた方だった。日独シンポジウムということもあり日本人の社会論が話されたが、それがコンパクトかつ鋭い射程を持つ内容で面白かった。
〈まなざし〉
氏は日本社会の基底に「すでに見られることを含んだまなざし」があるとして、人は周りに誰も見ていなくても誰かに見られているという。しかしこれは西洋哲学やキリスト神学に登場する他者や神ではない。まして市民社会でもない。「世間」に見られている。そこでその「世間」に見られ、「世間に迷惑をおかけした」とは一体誰に対して謝罪しているのかと問う。
〈敬語〉
日本語は話す前からすでに上下関係が含まれてしまっている。この世界から外れて語ろうとすると隠語化することを氏は指摘した。
確かに私はいつも外国語で考えたこと(描写・記述)を日本語化しようとすると、「人に迷惑をかける」ような言葉になる。例えば美術館訪問のレポートを書くとして、英語では「やばいくらいきれい」「派手さ―それは(関係代名詞)紅白に出てくる小林幸子のように―を持っていた」とはいえても日本語では言えない。
「やばい」は特定の限定された世界である。「小林幸子」はレポートを上掲するにどこか場所がふさわしくない。
二つとも公式な場面では使えない。よって友人・知人間にとどめるか、「やばい」などを話続ける人たちはアウトサイド化された集団を形成するため、その領域で語られることになる。そしてそういう領域の集団はその隠語で自らを顕示する(タメ口、ネットスラング、女子高生言葉など)。またスラングがこういった日本語の堅苦しい部分の穴を埋めているという論もある。
「私、オレ、僕…」などの一人称も、すでに話し手との関係で位置が決まっている。日本語での会話や文章は、何かを描出するというより人間との位置関係を確認する作業のようだ。「菊と刀」を書いたルース・ベネディクトはその位置関係を「地図」という。
〈バチ〉
挙げられた例が面白かった。
・農村でひょうが降る。ある家だけが全く被害がなかった。その家の人は自分が悪いような感じがする。
・バスが転落してみんな無事で一人だけ重傷なら、その人は「バチ」があたったことになる。
「バチ」っていったいなんだろう。突き詰めて論じられる人をあまり知らない。何の根拠もないのに何かが悪いとされ、不思議である。
でも最後に有名な河本英夫さん(東洋大学教授)のお話が聞けた。この方は河合文化教育研究所でも寄稿や講演に参加されていた方だった。日独シンポジウムということもあり日本人の社会論が話されたが、それがコンパクトかつ鋭い射程を持つ内容で面白かった。
〈まなざし〉
氏は日本社会の基底に「すでに見られることを含んだまなざし」があるとして、人は周りに誰も見ていなくても誰かに見られているという。しかしこれは西洋哲学やキリスト神学に登場する他者や神ではない。まして市民社会でもない。「世間」に見られている。そこでその「世間」に見られ、「世間に迷惑をおかけした」とは一体誰に対して謝罪しているのかと問う。
〈敬語〉
日本語は話す前からすでに上下関係が含まれてしまっている。この世界から外れて語ろうとすると隠語化することを氏は指摘した。
確かに私はいつも外国語で考えたこと(描写・記述)を日本語化しようとすると、「人に迷惑をかける」ような言葉になる。例えば美術館訪問のレポートを書くとして、英語では「やばいくらいきれい」「派手さ―それは(関係代名詞)紅白に出てくる小林幸子のように―を持っていた」とはいえても日本語では言えない。
「やばい」は特定の限定された世界である。「小林幸子」はレポートを上掲するにどこか場所がふさわしくない。
二つとも公式な場面では使えない。よって友人・知人間にとどめるか、「やばい」などを話続ける人たちはアウトサイド化された集団を形成するため、その領域で語られることになる。そしてそういう領域の集団はその隠語で自らを顕示する(タメ口、ネットスラング、女子高生言葉など)。またスラングがこういった日本語の堅苦しい部分の穴を埋めているという論もある。
「私、オレ、僕…」などの一人称も、すでに話し手との関係で位置が決まっている。日本語での会話や文章は、何かを描出するというより人間との位置関係を確認する作業のようだ。「菊と刀」を書いたルース・ベネディクトはその位置関係を「地図」という。
〈バチ〉
挙げられた例が面白かった。
・農村でひょうが降る。ある家だけが全く被害がなかった。その家の人は自分が悪いような感じがする。
・バスが転落してみんな無事で一人だけ重傷なら、その人は「バチ」があたったことになる。
「バチ」っていったいなんだろう。突き詰めて論じられる人をあまり知らない。何の根拠もないのに何かが悪いとされ、不思議である。