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ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

※Fleisstage(勤勉日々)は造語です。
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国民よ

2008-09-13 00:09:49 | オピニオン
おお日本国民よ…。あなたたち、わたしたちはどこへいくのか。どこへいこうというのか。いかに愚かなる姿をさらしていくのか。天候異常のように世相も狂騒を増してきた。二度も総理が勝手に辞める国、それを選挙でごまかそうとする国なんておかしすぎる。
だが、それさえ琴線に触れないよう、政治は冷静に見ているが、事故米問題はひどすぎるよ!一番大事な食べ物にあんなことしておいて。
事故米を米に混ぜて騒がないのも、
農水省が謝罪すらしないのも、
農水相が「ジタバタする必要」などと言うのも、
さらに…そのことに触れようともせず、「何も言えねー」とか「超嬉しい」とか今日おっしゃった方も、
とにかくひどすぎです。
特に最後の方達は、改革と称してネット難民と偽装社会を作り出した張本人の方々なのに…
信じられないことが当たり前に起きる世になりました。でも先祖の霊はここまで情けない姿をさらしても、日本魂を憐れんでくれています。これからももっと世界は悪くなるでしょう。だからこそ、辺りが暗くなるほど光が輝くように、素晴らしい人や世界はより輝きを増すと思います。皆さん、どうかそれぞれの光を心に見つけてください。
ドラマで金八先生は、悩むのは問題がわからないからで、問題さえわかってしまえばあとは解くだけだと言ってました。とてもよい言葉だと思います。混迷をきわめる世にあっても、各々が自分の問題を狭い門からなんとか見つけ出し、放さないなら、それぞれの光が見えるかもしれないと思います。

ターミネーター

2008-09-05 21:52:03 | オピニオン
休日の水曜日にターミネーター三部作を見た。頭の中が混乱するかと思いきや、さすが大作で、物語の謎がすっきりわかった気がした。
皆さん経験があると思うけど、子どものころ見た映画を大人になってから見ると印象が変わったり、全然どうでもいいと思ってた場面にひかれたりするものだ。そんな新しい発見もありとても新鮮に感じた。3は最近だけど、1、2はかなり古かったから。ちなみに私は転校先の中学校で、めちゃくちゃ足の速い子を、T1000みたいと日誌に書いて笑われた記憶がある。
1は、ターミネーターの冷酷さ、強さ、生身の人間との戦いが、2はそのT1000とT800の戦い、ジョンの活躍、ターミネーターとジョンの絡みが子ども時代は印象に残っていた。実際映画の見せ場もそうだった。でも今だと見るポイントはだいぶ変わってしまった。
1ではカイルの強い意志と悲惨な境遇と運命に心が打たれた。彼は地獄の未来で育ち、戦闘以外のことをよく知らない。それでいて、いやだからこそあれほどの愛を持てる。指揮官にひかれサラに会いたく志願して過去に来る姿も美しい。戦闘のさなかに愛を交わすというのも感動だ。彼らは徹底的に愛し合った。一夜が一生に未来にかなうほど愛しぬいた。
昔はターミネーター対生身の戦闘員という図式でしか見ていなかったのでこのことはわかるはずもなかった。どうでもいいことだが、そのころはモーテルの意味も知らなかった。アメリカの郊外はみなあんなホテルだと思っていたのだ。
2も同じく、上記に挙げたメインよりも背景的な部分に心ひかれた。場面が精神病院、脱出、襲撃、戦闘と変わる中でのサラの心情が気になった。彼女は常に運命と闘わなければならない。息子に再会しても彼女は1人孤独だった。繰り返される夢が印象に残る。強さばかりが取り上げられるサラだが、エイリアンのリプリーと同じく、深い優しさの持ち主であることが夢からわかる。本当に世界を救おうと必死である。そこにカイルとの愛も重なってくる。なんともいえなかった。
あとダイソン…。子どものころもいきなり彼が襲撃されたあのシーンはひどいだろうと思った。しかし家族も含め彼は本当に良い奴ですね。急に平和な家庭をぶち壊され、しかも後ろから射たれていて、よくその相手に協力できたと思う。こんなのは前代未聞だ。シュワちゃんが機械の腕を見せようが、理由を説明しようが、彼の頭がよかろうが、他人の未来話とタイムスリップで普通は確実につまずくはずなのだが。そうでなくとも少しは抵抗するだろう。いや、よく信じた。ダイソン偉すぎる。しかも彼は協力し、さらに死を賭して戦った。さらに、死ぬ直前まで爆破を我慢していた。素晴らしい。また、超大企業の未来が約束されているエリートが、自分の研究と会社を徹底的に破壊し、命まで投げ出し戦うのもすごいことではないか。私にはとてもできない。そんな彼なのに、生き甲斐にしていた会社の危機に駆け付けた警官隊に会社の中であっけなく撃たれるなんて、あまりにも悲しすぎる。私は本当にダイソンを尊敬した。
ここまでくるとしまいに「おまえらなんでもっとダイソンの死を悼まないんだ」と思った。ジョンとシュワちゃんよ、人間が泣く理由をどうこういうのも大事だか、ダイソンの偉大な死を忘れてはいけない。
素晴らしい彼、ダイソンにこそ私はMVPをあげたい。
見てない人にはわけがわからないと思うのでこの辺で終わります。

秘伝

2008-02-14 02:21:39 | オピニオン
伝説のカードシステムを何とか続けている。便利だ。
ノートはどんなに愛着があるものでも見返すのに労力がいる。単発のメモならよいが、語句や文章を展開して集めてあるから。ある意味、本を読むのと同じなのだ。
そしてノートは時間がたったら見るのもいやになる。例えば4年前なら、そのときの世界観のもとで書かれているからまず古臭い感じが漂うし、何より今の自分が成長していると自惚れ、つい軽視してしまう。しかしカードは違う。空間的に統一されていていつでも気楽に見ることができる。規格が同じだから関係ないのだ。何を書いても一端作ったら知識の部品になり、しかも何にでも使える部品になる。時間が経過しても昔のまますぐに使える部品になる。
この時間の蓄積という面は見逃せない。この4年でノートはほとんど捨てて消えているが、カードは減らず増えていくばかりだ。
4年前のカードが何事もなかったかのように今日作ったものと並んでいる…。

さらに何よりカードの利点は、知識を組むことが、組みかえが、組み合わせができることだ。情報を生産的に動かせる。何よりも考えが湧いてくる。発明からもう何十年もたっているが、これが画期的なのだ。パソコンが現れようと関係ない。それでは記録にはなっても手で動かして自在に使うことができないからだ。

カードシステム恐るべしである。メモるのが面倒だ、時間が無駄になる、カードで本当に柔軟な発想ができるか、大量にとらないと効果がないなど欠点も多いが。

センター試験現代文 解答と解説

2008-01-20 17:29:56 | オピニオン
第1問
問1 漢字は省略します。

問2 ①「視覚的な距離」「親密な関係」「共通の雰囲気」がいい。②「能力が奪われる」がおかしい。目が見えなくなる感じがするだろう。さらに前半は合っていると譲っても、後半が間違っている。共感覚的体験は抑制されず、むしろ活性化するのではなかったか?③前半はよいが、後半は全くの反対だ。真っ先に切るべき文。視覚的な効果は明るい空間の話。④「その結果として」以降の後半が間違え。何がいいたいのかよくわからない。闇では共感覚的なものが浸透する話だった。それこそ身体にダイレクト、直接にって感じだった。間接的な関係(視覚で距離をはかったり…)が活性化されるのはむしろ明るみの中では。⑤「距離の感覚がいっそう鋭敏」にといきなりおかしい。それではさらに明るくなり舞台の上にでもいるようだ。これも明るみでありそうなってはいけない。後半はあっている。典型的な部分で切る問題。よって正解は①。

問3 消去法でいくしかないだろう。正攻法で解けなくても気にする必要はないと思う。それに実はこの問題、問題文と数行の本文で解け、あまり本文の読解と関係がない。ようは本文を見なくても解ける。評論の日本語能力をみる悪問とみた。この文は大したことをなにも述べていない。Bの周辺を難しい言葉で書き換えただけだ。
まず③は明らかに違う。〈視覚以外は退化したんです〉なんてどこにも書いてない。①も明らかに変だ。視覚は身体であり、一線を画するわけがなかろう。さらにそれを身体に吸収するという後半も謎の文である。⑤は不明文だ。まず「特権」が胡散臭い。視覚は確かに優位だ。私たちの日常生活の中心を占めている。だが特権があるわけではない。間違いを切るポイントは「自発的に享受」だ。全くの謎である。自分で視覚をどう優先するんだろう。のこるは②と④だ。ただし④は「独占」がおかしい。これではほかの五感がうまく働かなくなり人間ではなくなるではないか。よって正解は②。

問4 ①神社の距離には触れているのでキープする。②「信仰を求める心が優しく包み込まれている」という日本人の心を話している論ではない。③時間をかけて進みがOK。聖なるものに近づく高揚感も書いてあった。④「自然と人間精神の調和」については述べられていない。⑤正殿の鏡のように、極端に言えばそこに何もなくとも、無でも、時間をかけてそこへ近づくことが深遠な奥と聖を感じさせるという話だった。「向き合い」「プロセスを再認識」という有の創造ではない。そこで①も改めて見ると「距離の長さ」は重要ではないことがわかり最後に切る。よって正解は③。

問5 ①「空間的にも時間的にも到達しがたい奥」は文中に書いてある。「心理的な距離と時間」これも「心理的な意味もある」と文中にある。②違う。完全な誤り。時間空間では測定できないということだった。③「数量に還元」「対象」「取替え可能」が計測可能の意味をなすから誤り。④「同じ対象をめざして一体感」がよくわからない。が、その前に対象をめざすのではない。奥は対象ではなく漠然とした深いものと書いてある。⑤あくまで深遠ではかりがたいから奥は神秘的という論である。「闇につつまれて」「神秘的な儀式が行われ」「人知を超えた」はないし、明らかな言いすぎだろう。正解は①。

問6A ①途中まで正解に見えるが、妥当ではない。これらは批判のために出された例だ。②「近代建築の技術的進歩を評価」などしている話ではない。③「闇の追放」「空間の均質化」が合っている。④これも途中まで正解に見えるが、「証明」で切ろう。これはただの例で使われた。証明なんてどこにもなかった。正解は③
B ①彼の文章で違いが明確にわかるだろうか。彼は昼の明るい空間に対し夜の闇を際立たせるために登場したはず。②反対だ。辞書の説明により奥の論は鋭さを増した。③対立ではなく2つは同じだった。④「自説の説得力を高める」「先駆的な論」が合っている。本文「奥について最初のまとまった論稿を発表した」とあり、その後自説は強まっている。正解④。

第2問 小説の問題は正しい答えはない。あくまで出題者がどう読んだかだである。そこで、たかだか3~4ページの引用で、全体の内容がころころ変わることはないからまず全体をつかんで、それを問う最後の問題をやる。そして後ろから順に解いていけばいい。この文章も部分にこだわらず、全体を2~3回読み返すと一つの核が見えてくる。これは千代子への恋でも、母と叔母と僕との心理戦でも、高木に対する戦いでもない。《「僕」は高木の登場にびびり、振る舞いに翻ろうされ、嫉妬し、感情が自分でもよくわかっていない。口をきかずに、ほかも周りをひたすら気にしているだけ。》こういうお話だ。そういう核となるイメージを焼き付けよう。流れをみつけよう。あとは、「その流れから外れないように」選択肢を選ぶのみだ。
今回はラストが表現問題なので、実質内容把握問題の問5から。

問5 ①前半は父が死んで母が許婚を決めていたという本文以前の文から、この母の気持ちは推察できる。後半は、「可能性が消えないまま」「どっちつかず」「いらだち」が流れにとても合っている。②叔母が配慮したということは大きく書かれていない。後半は、「千代子の相手として自分に見込みがある」と自信を持った話ではなかった。③母がそんなこと考えているだろうか。後半、これも千代子から見て、高木か自分かの戦いという話ではなかった。「僕」はこの状況がいやで、気になって自分でよくわかっていない、中途半端に終わったという流れだった。④母が察したとか叔母が乗じたとかいう縁談の心理戦ではなかった。後半は、母が自分と比較したかどうかなんてわからない。⑤前半は意味不明、「明かさなかったため、~喜んだが」が不自然。後半は、母を欺き自分を責める話ではなかった。

問4 ①千代子から比較されたということは、どこにもない。本人が思い込んでいるだけだ。(それを本人も内心理解していたのでは)。それが結びついたというのもよくわからない。②「自己認識を超えるような嫉妬心」がとてもよい。本人はよくわかっていないと先ほど私が書いた流れにも合う。「恋人と思っていない千代子を介した」もよい。自分の人格についての申し訳なさは道徳性であり、卑しめる気がする気持ちと同じである。③そんなこと考え始めていない。彼女と恋愛するためにこの気持ちを消し去るという話ではなかった。④初めの文はよい。「千代子を恋人として扱う高木」が明らかにおかしい。文中では判断不能な文。これで切るべきだ。部分で切る問題。⑤なにか怪しい香りがする。「羞恥」は違うだろう。自制心を失うほどおそろしいものだろうか。「本来は嫉妬心が起こるはずはない」も変だ。嫉妬心について文中では「知らずにすんだかもしれない」としか書いてないし、「自分でもよく解らない」とはっきり書いてある。

問3 前を読もう。〈美しい女性を「所有」してみたいと思うが、変化を考えると酔いが去ってぞっとする〉というこれにつきる。また後には、老人か坊主に変わったみたいだと書いてある。冷静に考えてしまって、冷めるということだ。①問題ない文に見えるのでキープしておく。②表面的なものというのは合っていそうだが、「惑わされることはない」が明らかにおかしい。女を「所有」してみたくなるといい、「酒」にもたとえている男だ。思いっきり惑わされている。③「感情を抑制」がすでに怪しい。その後は、また完璧な反対。むしろそれがあるからこそ、魅力や美しさが気になり、冷めてしまう。④不愉快じゃない!所有してみたいと書いてある。これで十分だが、後半のストイックな話も、文中ではここまで判断できない。⑤「美しい女性→時の経過→変化」「冷めてしまい」が完璧合っている。ただ「対象に熱中できない」がモノ扱いしているみたいで変だ。しかし、本文で美を見て所有したいとか酒に棄てられたとか書いてあるから、彼は対象的に女性を見ている。よって合っている。結果①と⑤にしぼり、①をよく見ると最後がおかしい。「どう女性に対したらよいかわからない」ということは書いていなかった。正解は⑤

問2 傍線部周辺で解けるが、全体の流れを生かしても解ける。主人公はひたすら黙っていて、高木の姿に翻ろうされていた。また全体をみると、高木はこの力により誰も不快にさせていない。というより好青年に描かれている。主人公があれこれ一人で考えているのだった。そして、彼のことを交際場で育ったような人だと思っている。①親しげに人の名を呼ぶからどうこうという話ではない。②2つ目の読点まで、全く問題ない。「不快」かどうかを検討したいからキープ③態度はおしつけがましくない。だから「僕」は妬んでいる。いい人で交際が上手い青年に描かれていた。④何も脅かしてはこない。むしろ自然な態度だろう。また「完全無欠な態度により居場所を脅かす」という日本語が胡散臭い。⑤「作為的な振る舞い」が違う。こういった態度をとらないから高木は素晴らしいと思われていた。よって不快かを検討せずとも、正解は②。

問1 語いは省略します。

問6 正解は②④。この問題は解説できる自信がありません。わかる部分のみ書きます。①は心情の描写ばかりだから誤り。③混乱したまま今も続いているなんてわからないから誤り。⑥はこれらの擬人法の表現とやらがちっともわかりやすくないから誤り。これ以上は、自分の力では書けません。どうかご了承ください。

隣のおじいさん

2008-01-12 12:36:02 | オピニオン
昔話でこういう設定がよくある。正直もので優しいおじいさんが、動物を助けるなどの善行をすると、素晴らしい恩返しが得られる。そこで、隣にいるおじいさんが登場し、「しめしめ」とか言って、完璧利益目的で、似たようなことをする。だが、そうしても必ず、うまくいかないか、罪悪が下るか、変なことに話しが変わり苦痛が待つかとなる。これ系の話だ。

つまるところ、この話の一番教訓は、じじいが悪い人とかいうことより、見返りのみを求める行為と深く悪巧みして企む行為の戒めだろう。

そこで不思議なことだが、人は少年時代は非常にヒーローや主人公を愛しているのに、大人になればなるほど隣のおじいさんにとても接近している自分に気づく。その原因は「夢をなくした」「純粋じゃなくなった」などというよりかは、世を深く知り、愛するようになってしましたということだろう。子どもは想像世界の目的を果たすために、世の見返りを求めない。また主義主張が明確だから、主張のすべてに全力をかけ、さんざん企んで少しの利益を(株式の分散投資のように)求めようともしない。だから主人公のマネばかりして隣の人には見向きもしないのだ。

ところが社会人になると、見返りのみで成り立つ社会に染まる。そしてこれが人類の進歩とやらの結末だということがわかる。また、この世の諸事に惑わされ、保身と小さな利益ばかり求めて奔走しなければならない。大人に近づくたびに、肌で感じるように、隣のじいさんの気持ちがわかってくるのである。
そして、なぜ、そういうキャラを話しに入れるかもしみじみと深くわかってくるものだ。アニメの脇役や主人公の仲間でありながら、人間的で胡散臭いキャラもまた然りである。昔はバカにして見捨てていたが、「ああ、『社会』のこういう所を代表させたかったんだな」と思えるのだ。昔のアニメを見返すと、主人公並にに今では好きになったキャラもいる。

だが、私が今日ここで言いたいのは、だんだん人は悪に染まり塵に帰るという話しではない。世の悪を知るほど、不思議なことが起こるのだ。隣のじじいの気持ちが心底わかるほど、ヒーローの偉大さがわかるのである。彼も子どもではなく爺だ。動物を助けるより、したいこともたくさんあったろう。そして、実は途中でばかばかしく思ったかもしれない。が、見返りを気にせず、企まず、実行した。これは古今東西、「正しい」と言われている。悪の自由のなか、「そうであるように」行うことだ。そこに罪はないのである。

物語でなく、現実の、スターやヒーローがいる。これも全く同じ構造として読んでみてはどうだろうか。子どもの頃は誰しもスター選手のマネをする、そして喜んでいる。が、大人になるほど、妬む、ケチをつける、議論の対象にする。選手の素顔を真似ない。行いではなく、型を真似て利益を引き出そうとする。功名心や名誉心の見返りとして、彼に近づく。一方子どもはそんなことはしない。

最後に、ニーチェが触れていることで、私の持ち論だが、素晴らしいスターは純粋にスターであることを欲していて、そこに企みがない。スターに値するよう自らを奮い立たせる。金持ちが資産や施策に誇り(金ではなく目に見えないもの)を求めるように。美女と結ばれた人が、彼女の美を純粋に喜び、対象として美女を意識しないように。主人公のおじいさんと同じなのだ。一方妬む人は誰しもが隣のおじいさんになるのである。それは、繰り返しているが、自分を喜ばしたい見返りと曲がった企みである。