1/26日 11:00am 中野孝次「風の良寛」を読んで思いたった。日本中が凍てついた寒波が去った翌日、約15km西の五合庵を訪ねる。国上寺から下る山道にはまだ雪が残り足跡はない。
良寛は父を京都で亡くして約20年ここ五合庵に、59歳には乙子神社、69歳に島崎の木村家に移るまでの約30年間をここ国上山で暮らしたとされる。
酒を携えて、良寛が作った大根を喰いに五合庵をたびたび訪ね来た阿部定珍への手紙。
「・・・あすは元日と云夜(いうよる) なにとなくこゝろさやぎていねられずあしたははるのはじめとおもへば 定珍が「万葉集」を買って初めの十巻を読んでいるあいだ、良寛はあとの十巻を借りて読んでしまい、相手の都合もかまわず早く先のほうを貸してください、とせがんでいるのだ。歌は、明日は正月と思うと心がさわいでねられないというのだが「万葉集」を読みたいという期待に心躍ってもいる感じである。・・・」中野孝次「風の良寛」
明日は正月と思うとなんとなく心がさわいでねられない・・春が始まると思うから・・・。大晦日に春を思う季節感に、エッって思うけど旧暦の正月は今と約2か月近くズレてる。春の始まり立春は旧正月の頃、新暦では2月4日過ぎになる。それにしても大晦日の夜に春を思いながら膝抱えて寝る良寛さん、スゴイ。
「・・・山かげの草の庵はいとさむし柴をたきつつ夜を明かしてむ これは阿部定珍に送った歌だが、ろくな寝具もなく炉に柴を焚きながら長い冬の夜を過ごすことも、しばしばあったのだ。良寛の孤独な姿が見えるようである。・・・」「風の良寛」
草の庵はいとさむし・・・。我々現代人は石油、ガス、電気のおかげで羽毛の布団にもくるまってぬくぬくの生活をしている。寒風吹き付けるこの板敷きに筵を敷いただけの庵で、煎餅蒲団の夜を明かす冬を30余年堪えた暮らしに思いめぐらすと、その精神力にただゝ感嘆する。
「乞食(こつじき)
・・・啜粥消寒夜 粥を啜って寒夜を消し
数日遅陽春 日を数えて陽春を遅しとす
不乞斗升米 斗升の米を乞わざれば
何以凌此辰 何を以て此の辰を凌がん
静思無活計 静に思うも活計無し
書詩寄故人 詩を書して故人に寄す
米も乏しくなったので粥にし、ようやく腹ふさぎして寒夜に堪えるのだ。乞食をして米を恵まれなければ今という時を過ごせない暮らしだ。どう工夫しても、こうしたらいいという智慧は浮かばない。止むをえないから、こうして詩を書いて知人に送って、心の慰めとする。」「風の良寛」
五合庵から吊り橋渡って公園に。大河津分水が光り、雲の奥には粟が岳、守門岳、越後三山が望まれる国上の山腹の地。柴を焚いて暖を取った良寛さんを偲んで帰ろうとしたら、鷲さんからお誘い電話あり。よりなれ300円の温泉で合流し、じょんのび温まって吉田の600円中華定食に700円Sドライ大瓶つきで、あゝ極楽ゝの一日であった。
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