DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

組織と自分

2005年08月28日 12時19分01秒 | Weblog
高専と大学の交流集会に参加した。出身の大学なので、勝手は分かっているし、懐かしさ一杯なので、心が安らいだ。柴田が、自分なりの研究を人生の中心に置いた、その原点と言える場所である。自分の母校は?と聞かれれば、それはこの大学を言う、誇りを持って言うことが出来る。
では、その前に居た高専や今勤務している高専に対して、誇りを持ってその名前を言えるかというと、残念ながら出来ない。この状況や環境に対して、誇りをもってその存在を肯定できないのが、率直な思いである。情けないことだと思う、これはこの組織のベクトルと柴田のベクトルが合わないためなのか、この組織のレベルと柴田のレベルが合わないためなのか、どちらもあると思う。
大学やその研究室に居ると、その力強さやその存在感に大きく包まれている感じがするが、高専や研究室に居ると、その貧弱さやその軽薄感に情けなくなってくる。もはや、高専は高等教育機関の体を成していないと言わざるを得ない、中等専門教育機関というところだろう、お子ちゃまな学生たちと打ってでない教員、これでは到底、研究機関とは言えないだろう。残念ながら、柴田の能力はそれほど高くは無いが、志だけは一人前に持っているつもりである。そこらの大学教員に負けるつもりは無い、これだけ不利な状況でも結構善戦していると思うし、同じ環境であれば絶対に負けないだけの研究能力を持っているつもりだ。
個の集合が組織であるのなら、組織の能力は個の能力の集合以上になることは無く、いくら有能なリーダーが居たところで、個々の能力を完全に引き出すことが精一杯だと思う。つまり、有能なリーダーが居ても無能なスタッフならば、その組織としての能力は知れている。ただ、組織のベクトルと個人のベクトルが合っていないと、レベルの比較も出来ないので、そこが実は難しいところだ。ただ、様々なベクトルにおける高いレベルを持つ個々があるまる集団では、多様性が非常に高まるので、組織の能力は別の意味で高くなると思う。
ただ、柴田の最重要視する研究と言うベクトルにおいては、今の組織は、非常に貧弱であり、まともな研究をすすめる大学とは比べ物にならない。しかし、柴田は研究の真似事しか出来ない組織に、甘んじるつもりは毛頭ない。自分の能力を信じて、自分の目指す研究に進んでゆきたい。

研究日誌H170827

2005年08月28日 11時40分32秒 | 研究室情報
=交流集会に参加してグリッドGについて発表した。まるで受けない。あーーあ。
=この手の集まりでは、目的も成果も明確にならない場合が多いが、これもそう。
=ただ、一応岐阜の柴田を印象付けることには成功したと思うので、成果あり。
=この手の集会には、今後、積極的に参加してゆこうと、心に誓った。なんてね。
=出身研究室で雑談をしたが、やはり研究室は大学に限る、高専ではダメだ。
=研究の進展について色々と指導を受けたが、自分なりにやってゆこうと思う。
>グリッドWの計算については、本当に早めに進めないと、困ったことになるぞ。
>グリッド研究にまた弾みがつきそうなので、この勢いで、進めてゆきたい。
>研究成果の活用について、もっと戦略的に進めるように、心して進めよう!