DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

断末魔の叫び

2005年08月09日 16時43分41秒 | Weblog
ずーーーと、がんばれるだけがんばってきたけど、もう疲れた。研究を進めるという高度な精神的活動において、破綻が生じてきたと言って良いかもしれない。こんな無意味なブログ書いてる暇があれば、研究を進めれば良いのだけれど、今後の展開に大きな疑問(絶望)を感じるようになってしまった。何処に向かって何をしたら良いのか?合理的な判断が出来なくなってきて、何も手につかない。少し、休みたい。
ちょっとしたスランプなのか?これから始まる悲惨な未来を予期してなのか?ついに柴田も思考停止状態に陥ってしまったのではないかと、非常に不安になる。何か前を向くきっかけを掴まなくてはならない!こんなときには、素直に休むことかなと、思ってしまうが、休むことにも不安を覚えるので、ただウロウロするばかりの毎日だ。いったい、どうしたというのか?何が柴田をそうさせているのか?何が問題なのか?基本に戻って対応を考えてみることにしよう!!!!!

会社を運営すること

2005年08月09日 12時59分53秒 | Weblog
会社のことを考える講演を聴いた。制度的には、会社は株主のもので、株主から託されて経営者が運営を行い、社員を使ってサービスや製品を作り、顧客に販売して利益を上げる、これが現在の位置づけだろうと思う。これで正しいのだが、講演の話では、会社から見て最も弱い立場が社員であり、逆に責任もない。一方、経営者は運営の権利を持っているが、その分リスクを背負っている、と聞いた。
ここで、大学高専の研究室の運営と比較してみる。会社は研究室で、経営者は指導教員に社員は在籍学生となり、ほぼ対応している。一番違うのは、株主と顧客が共同研究相手1つにまとまることで、そこでは全力を尽くすにしても、リスクを背負うことはまずない。まあ得られる利益も知れているから、そうなんだけど。その点、研究室の活動なんて、厳しいビジネスの世界から見れば、ママゴトに思えてしまう。
このぬるま湯感が、どうでも良い研究を蔓延らせている原因だろう。研究は趣味だと割り切っているのならいいが、まともな研究は社会を動かしてこそ価値があるので、その場合にはそれなりの投資を得て、成果を出すことに必死になる。これが大切だと思う。この部分で高専は弱い。
いっそ研究者はこれから、自分の研究を売って給料を稼げるようになれば、もっと必死に研究すると思うな。そうしようかな?

研究日誌H170808

2005年08月09日 12時42分44秒 | 研究室情報
=IT人材育成講習で、講演を聞いて、会社のことが少し分かってきた。
=利益を上げるにはリスクが必要で、その点、学校の研究は暢気なものだ。
=夕方の共同研究打合せで、日付を間違えてしまった。このごろてんてこ舞いだからな。
=創造的な研究活動は、それなりの心の余裕がないと出来ない。これではダメだ。
=共同研究など、作業が多すぎて、ついに破綻が近づいてきているよな。。あーあ