濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

「アルプスの少女ハイジ」で、セバスチャンはなぜハイジ達を案内しなかったのか

2016-10-27 14:27:36 | エッセイ

 私が若い頃「アルプスの少女ハイジ」を読んだ時に、疑問に思った事が一つあった。ハイジがデーテ叔母さんに連れられてフランクフルトのゼーゼマン氏のお邸を訪ねる場面である。叔母さんはまずゼーゼマン家の馬車に乗っていた御者に、ロッテンマイヤー夫人に会いたいのだがと尋ねた。すると御者は「それはわしの知った事じゃないがね、玄関のベルを鳴らして召使のセバスチャンを呼びなさい」と言ったので叔母さんはそのとうりにした。玄関のドアを開けて出てきたセバスチャンは、叔母さんとハイジを目を丸くして眺めて叔母さんの同じ質問に、 

「それはわしの知った事じゃないがね。もう一つのベルを鳴らして女中のチネッテを呼んでごらん」  

と答えると立ち去ってしまうのである。二人は結局チネッテに案内されてロッテンマイヤー夫人に会えるのだが、この時のセバスチャンの態度が私には理解できなかった。この邸には料理人など裏で働く人々もいたはずだが、ロッテンマイヤー夫人に従ってクララの世話をするのはセバスチャンとチネッテの二人だけである。それなのになぜセバスチャンは案内せずにチネッテを呼ばせたのか。そもそもベルが二つあるとはどういう意味なのか。この小説を読んでいくと、セバスチャンが気さくでやさしくユーモアを理解する人物だとわかる。セバスチャンがいなかったら、ハイジはもっと早くにノイローゼ状態に陥っていたはずである。そういうセバスチャンだからこそ、冒頭の態度が不思議に思えたのである。

 しかし長年本を読み、海外の映画やドラマを見ているうちにその疑問が解けたのである。小説やアニメで「アルプスの少女ハイジ」を知っていても、セバスチャンがなぜハイジと叔母さんを案内しなかったのかわからない人の為に、セバスチャン自身の口からそれを説明させたい。

 

「この邸の玄関にはベルが二つあります。一つは今あなたが鳴らした来客用のベルで、もう一つはそれ以外の人々用で音色が違います。来客用のベルが鳴れば召使の私がドアを開け、もう一つのベルが鳴れば女中のチネッテがドアを開けます。来客用のベルを鳴らすのはゼーゼマン家の方か、ゼーゼマン家のお客様だけです。現在この邸にいるゼーゼマン家の方はクララお嬢様お一人だけです。したがってクララお嬢様に会いに来るお医者様や家庭教師の先生などがゼーゼマン家のお客様です。

 お嬢様はお若いので、お邸の管理はハウスキーパーのロッテンマイヤー夫人がすべて行います。この邸を維持するために彼女は多くの人々と会います。彼女はこの邸の総責任者ではありますが、あくまでも使用人であって、ゼーゼマン家の人間ではありません。したがって、ロッテンマイヤー夫人に会いに来る方はゼーゼマン家のお客ではありません。召使である私の仕事はお客様への応対ですので、私はあなた方を案内できません。それは女中の仕事なので、私がやれば服務規程違反となるのです。このような格式あるお邸には細かい規則やしきたりがあり、使用人はそれに従って行動せねばなりません。自分で勝手なことはやれないのです。

 ああ、御者のヨハンが私を呼べと言ったのですか。あの男は邸の中については何も知りません。御者ですのでゼーゼマン家の方々やお客様を送り迎えしますが、その時に玄関にいるのは私なので勘違いしたのでしょう。あなたに一言申し上げますが、あなたが来客用のベルを鳴らしたのは失礼になるのですよ。私は仕事中だったのに自分に関係のないことで呼ばれて、関係のないことを聞かれたのですから。今私はこのように丁寧に説明していますが、本来ならそっけない態度で立ち去るはずです。では、もう一つのベルを鳴らしてください。その音色を聞けば女中のチネッテが自分の仕事だと気付いてやって来て、あなた方をロッテンマイヤー夫人のもとに案内してくれるはずです。私は自分の仕事にもどります。」

 

 どうです、なぜセバスチャンが自分で案内せずにチネッテを呼ばせたかがよくわかったでしょう。かつては日本のお邸でも来客は玄関から入り、女中頭に出入りを許された商人は勝手口から邸に入った。ゼーゼマン邸では入り口は一つであるが、来客用のベルを鳴らして召使に開けさせると玄関になり、もう一つのベルを鳴らして女中に開けさせると勝手口になるのである。デーテ叔母さんはクララのお客ではないし、ハイジもこの時点ではまだそうではない。お邸で生活すると決まってから、クララが招いた友人としてゼーゼマン家のお客になったのである。お客だからクララと食事が出来るのである。もしハイジがクララの付き人の立場なら使用人だから共に食事は出来ない。ついでに言えば使用人であるロッテンマイヤー夫人がクララと食事が出来るのは、まだ子供であるクララの保護者という特別の立場によるものである。もしクララの母親が生きていれば、彼女は座って食事をすることは許されずに立ってセバスチャンの給仕を監督したはずである。自分の食事は、使用人部屋でセバスチャンやチネッテと共にするのである。ロッテンマイヤー夫人は明らかに本来の立場より高い地位にあり、しかもそれを振りかざしている。セバスチャンとチネッテが、そんな彼女に内心不満であるのがちらほら窺われる。 

 セバスチャンがハイジと叔母さんを案内しなかったのは、勝手口から入る立場の人間を玄関から入れたら作法に背き、ゼーゼマン家の名誉にかかわるからである。ずいぶん堅苦しいと思われるかもしれないが、作者が言いたかったのもそこだろうと思う。ハイジのいたデルフリ村なら人を尋ねれば、誰でも気軽に教えたり案内してくれただろう。またデーテ叔母さんだって女中である。つまり使用人が多くいても、もっと庶民的な家なら「おーい、お客さんだよ」ですむかもしれない。ハイジがいままで暮らしていたのとは全く違い普通の暮らしとも異なる、厳格で礼儀作法のやかましい世界に来たということをセバスチャンの態度で示したのだろう。

 残念ながら、アニメではその作者の意図が正確に伝えられていない。小説では「知ったことではない」を「わからない」にしている。英訳本を見ると「That is not my business.」であり、ドイツ語の原書もおそらく同じ意味のはずである。「知らない」ではなく「関係ない」なのである。二人は勤務中であるから、自分の仕事以外のことには冷たいのである。

 もっと重要な誤りがある。入り口のベルを一つにしてしまったのである。そしてセバスチャンに「もう一度ベルを鳴らして女中を呼びなさい」と言わせている。同じベルの音色で、最初に召使が来て二度目に女中が来ると言うのは理由がわからない。二つのベルの音色が違うからこそ、召使が来たり女中が来たりするのである。「アルプスの少女ハイジ」はよく出来たアニメで私も好きであるが、この場面には不満である。

  



最新の画像もっと見る

コメントを投稿