4年前、Bluemが活動休止してソロになった松。
ボーカルの悠二がいなくなって、演奏に徹してきた松は、ステージに立つ事は止めようと思った。
他のアーティストに楽曲を提供したり、プロデューサーをやろうと思った。
でも、周りの音楽仲間に叱咤激励され、歌う事を決めた。(松談)
その決意を込めた曲が 「飛行機雲」。
最初の1年、ライブでは必ずと言っていいほど歌った曲。
3年前、名古屋TOKUZOでステージの最後にも歌った。
最後のフレーズを歌う前に、ピアノの手を止めて顔を上げ、大きく一つ息をついて歌い終えた。
この時、松自身、「ようやくここまで来た。」と思った。そう、後になって話してくれた。
松がソロでやっていく自信をつかみ取った瞬間だった。それは、客席から見ていても感じる事が出来た。
私にとっても、忘れる事が出来ない瞬間。
それからも、幾度となく歌われた「飛行機雲」。自分のスタート地点と進むべき道を確認するかのように歌ってきたように思う。
気が付くと、最近はあまり歌わなくなっていた。最初のハードルは確実にクリアして、次のハードルに目が向くようになったんだろう。
その「飛行機雲」を今回、歌った。
その意味はとても大きい。
今回のライブで、こう語ってくれた。
「4年前、Bluemの松ヶ下宏之は存在したけど、ソロとしての松ヶ下宏之は存在しなかった。
ソロとしての松ヶ下宏之は、どんなアーティストなのか、何が出来るのか、それを見極めるのに3年はかかるだろう。3年間、月刊CDとか他のアーティストのサポートとか色んな事をやって、自分の曲も70曲ぐらい出来た。
そろそろ外に出てもいいだろうと思う。これからは、より多くの人に聴いてもらえるような活動をしていく。」
ソロ1年目の月刊CD、2年目の季刊CD。これらは、一般の流通には乗せない、ファンクラブ通販やライブ会場でしか手に入らない物だった。
「月刊CDなどで出す曲は、歌にはちょっと自信がないけど、とりあえず出す、と言うものだった。それを、聴いてもらって『ここはこうした方がいい。』とか、皆さんの意見を聞きながら、また新たにやってきた。」
言ってみれば、これは私たちに対する甘え。でも、そんな松を時にはハラハラしながら心から応援してきた。
多分、自信過剰じゃなくて、私たちには信頼関係もあったと思う。だからこそ、「とりあえず出す」月刊企画、季刊企画が存在したんだと思う。
そして、敢えてその方法を選んだ松を、誇りにさえ思う。
その間の地道な活動が認められ、CMソングを作ったり、テレビの情報番組やNHK FMシアターの音楽を担当したりするようになった。
ソロ4年目、いよいよ外に打って出る。
月刊や季刊で発表しライブで歌い続けてきた曲を、一般流通に乗るCDとして出していく。
それを、「みんなと一緒に作ってきた物。」そう表現てくれた。
松の新たなスタートとなる4年目。その決意表明のように、もう一度最初のスタート地点を確認するように歌った「飛行機雲」。
そんな松を目の当たりに見て、嬉しい反面、大きな寂しさも感じた。
我が子が、成長して親元を離れていくような寂しさ。
でも、松は言った。
「色々変わる事はあるかも知れないけど、それは良い事が増えるだけで基本的には今までと同じ。
より沢山の人と遊べたらいいと思っている。例えば、武道館に机を並べてみんなでご飯食べたりしたい。
これからも、楽しく一緒に遊んで欲しい。」
ライブの一番終わりに、いつものようにみんなで歌った「虹」。
♪側にいてくれる キミがいればいい 優しく今日もボクは 虹を渡り歩いていく♪
そう、松は私たちを置き去りにして行く訳じゃない。
松が、晴れ晴れしく虹を渡っていくなら、私たちも今まで通り応援しながら、一緒に渡っていく!
松は、それを望んでいる。
ソロ4年目、いよいよ松が、羽ばたく!
その決意表明とも言えるライブ、節目のライブだった。
忘れる事が出来ないライブが、また一つ増えた。
ボーカルの悠二がいなくなって、演奏に徹してきた松は、ステージに立つ事は止めようと思った。
他のアーティストに楽曲を提供したり、プロデューサーをやろうと思った。
でも、周りの音楽仲間に叱咤激励され、歌う事を決めた。(松談)
その決意を込めた曲が 「飛行機雲」。
最初の1年、ライブでは必ずと言っていいほど歌った曲。
3年前、名古屋TOKUZOでステージの最後にも歌った。
最後のフレーズを歌う前に、ピアノの手を止めて顔を上げ、大きく一つ息をついて歌い終えた。
この時、松自身、「ようやくここまで来た。」と思った。そう、後になって話してくれた。
松がソロでやっていく自信をつかみ取った瞬間だった。それは、客席から見ていても感じる事が出来た。
私にとっても、忘れる事が出来ない瞬間。
それからも、幾度となく歌われた「飛行機雲」。自分のスタート地点と進むべき道を確認するかのように歌ってきたように思う。
気が付くと、最近はあまり歌わなくなっていた。最初のハードルは確実にクリアして、次のハードルに目が向くようになったんだろう。
その「飛行機雲」を今回、歌った。
その意味はとても大きい。
今回のライブで、こう語ってくれた。
「4年前、Bluemの松ヶ下宏之は存在したけど、ソロとしての松ヶ下宏之は存在しなかった。
ソロとしての松ヶ下宏之は、どんなアーティストなのか、何が出来るのか、それを見極めるのに3年はかかるだろう。3年間、月刊CDとか他のアーティストのサポートとか色んな事をやって、自分の曲も70曲ぐらい出来た。
そろそろ外に出てもいいだろうと思う。これからは、より多くの人に聴いてもらえるような活動をしていく。」
ソロ1年目の月刊CD、2年目の季刊CD。これらは、一般の流通には乗せない、ファンクラブ通販やライブ会場でしか手に入らない物だった。
「月刊CDなどで出す曲は、歌にはちょっと自信がないけど、とりあえず出す、と言うものだった。それを、聴いてもらって『ここはこうした方がいい。』とか、皆さんの意見を聞きながら、また新たにやってきた。」
言ってみれば、これは私たちに対する甘え。でも、そんな松を時にはハラハラしながら心から応援してきた。
多分、自信過剰じゃなくて、私たちには信頼関係もあったと思う。だからこそ、「とりあえず出す」月刊企画、季刊企画が存在したんだと思う。
そして、敢えてその方法を選んだ松を、誇りにさえ思う。
その間の地道な活動が認められ、CMソングを作ったり、テレビの情報番組やNHK FMシアターの音楽を担当したりするようになった。
ソロ4年目、いよいよ外に打って出る。
月刊や季刊で発表しライブで歌い続けてきた曲を、一般流通に乗るCDとして出していく。
それを、「みんなと一緒に作ってきた物。」そう表現てくれた。
松の新たなスタートとなる4年目。その決意表明のように、もう一度最初のスタート地点を確認するように歌った「飛行機雲」。
そんな松を目の当たりに見て、嬉しい反面、大きな寂しさも感じた。
我が子が、成長して親元を離れていくような寂しさ。
でも、松は言った。
「色々変わる事はあるかも知れないけど、それは良い事が増えるだけで基本的には今までと同じ。
より沢山の人と遊べたらいいと思っている。例えば、武道館に机を並べてみんなでご飯食べたりしたい。
これからも、楽しく一緒に遊んで欲しい。」
ライブの一番終わりに、いつものようにみんなで歌った「虹」。
♪側にいてくれる キミがいればいい 優しく今日もボクは 虹を渡り歩いていく♪
そう、松は私たちを置き去りにして行く訳じゃない。
松が、晴れ晴れしく虹を渡っていくなら、私たちも今まで通り応援しながら、一緒に渡っていく!
松は、それを望んでいる。
ソロ4年目、いよいよ松が、羽ばたく!
その決意表明とも言えるライブ、節目のライブだった。
忘れる事が出来ないライブが、また一つ増えた。
分かって貰えて嬉しいです~~。
松は自分で作詞作曲です。Bluemの頃は、相方が作詞で松が作曲だったのが、作詞も自分でするようになって、ファンとしては、松の想いが直に伝わってきて嬉しいです。
>もとにぃ
喜んで!!
名古屋であるときは教えて下さいね。
松は自分で作詩作曲ですよね、きっと。
となると、もっともっと詩とかに思い入れが深くなりますよね。
音楽って、勇気づけられたり、その曲聞いていた時に
時間が戻ってたりして、人生にはかかせないものだと
私は思うのです。
聴いてみて下さ~~い!
今度、名古屋でライブがあったら行きます?!
>きゃさりんさん
はい、かなりマツガが好きです。
イクスピアリのお近くなら、お誘いすれば良かったです~~。
是非、一度ライブに行ってあげて下さい。マツガも喜ぶと思います。
あ、お子さんが小さいから、もう少し大きくなられてからですね。いつかライブ会場でお会いできると嬉しいです。
曲がりくねる川なればこそ、いろいろな風景を作りだすんやとも思います。
聴いてみたくなります。