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鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

“ムラ社会”から変わろう

2013年10月23日 21時05分51秒 | Weblog
初めに「村社会」についてリンク先をご覧ください。
kotobank(コトバンク)より「村社会」
ここから以降「村」については、「ムラ」とカタカナ表記させて頂きます。

この「ムラ社会」的な感覚は、まだまだ広く身近な世の中にあると思います。
例えば「原子力ムラ」などのように、既得権益と深くつながるような場面で表れてメディアなどに取り上げられたりしていますが、実際は程度の差こそあれムラ社会的な意識は、いろいろな社会集団の中に存在する要素なのかもしれません。

ひとつの例として、国の官僚組織もムラ社会ではないかと思います。
なぜ「ムラ社会」が維持されているのか。
極論を言ってしまうと、日本という国の文化の中にその要素があるからとなってしまいますが、ここで考えたいのは、官僚組織と関係の深い国会(議会)の存在です。官僚組織と違う価値観で議会が動いているとしたら、官僚組織の価値観はどうなるでしょう。ゼロになるとまでは言いませんが、大きく影響を受けるはずだと思います。しかし、官僚組織の価値観がほとんど変化していないとすればどういうことなのか。

ここでウィキペディアでの「村社会」での特徴の項目を見てください。
wikipediaより「村社会」
気のせいでしょうか、議会について特徴のかなりの部分があてはまってしまっているように思います。つまり議会も同じような価値観を持っているため、相互に補完しあっていると考えられるのではないでしょうか。ということは、本来チェックすべき存在である議会が“ムラ社会”の価値観から変わらなければ、官僚組織も変わらないと考えられます。

そのことを自分たちのまちについて考えると、市長(行政)と自治体議会の関係にも当てはまるのではないでしょうか。行政運営が官僚的でムラ社会的だと感じるのであれば、自治体議会はどうなのかにも目を向けるべきと思います。逆のことも言えるでしょう。自治体議会の運営などがムラ社会の要素がかなり強ければ、行政運営もかなりムラ社会だと考えて差し支えないでしょう。

このような流れを変えなければ、これからの難しい時代に適応できないと思います。
そのためには、一人でも多くの人がムラ社会の意識に気づき、小さなことから自分の行動を変容させながら、一人でも多くの人とつながりあうことが大切なのだと思います。
コメント
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