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鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

いじめについて

2019年03月28日 16時30分19秒 | Weblog

いじめについて、防止や抑止といった観点で語られることが多いのですが、自治体として教育面からも考えるべきと思うことは、どんな形やどのような程度であれ、いじめを受けた子どもの、いじめを受けたことによる心の傷に対するケアはもちろんですが、それが長期的に人間関係などに落とす影響についても考えを及ばせることだと思います。

一見すると、いじめを受けてそこから立ち直っているように見えても、そこで受けた傷をどのように自分の中で整理、折り合いをつけているかは、その人それぞれだと思います。それを、前向きな方向で整理できている人もいるでしょうが、もしかすると、パーソナリティ障害やそれに近い状態を持つことになり、悩んでいるような人もいる可能性もあるのではないでしょうか。

後者のような、パーソナリティ障害やそれに近い状態を持つことになると、それは対人関係などにも影響を与えられることになり、成長の過程で、その個人の人生の選択にも影響を与える可能性が出るかもしれません。このような長期的な視点からもいじめを考えて、子どもたちに伝えることが大切ではないかと思います。

 

また、スポーツ選手の逸話などに、いじめを受けたけれども、それを乗り越えて、スポーツの世界で活躍できたという方の話を聞くことがあります。このことはこのことで大切なことだと思います。しかし、もし、その人がいじめを乗り越えられなかったら、その人はどうなっていたでしょうか?いるでしょうか?もしかすると、そのスポーツの世界で活躍できておらず、別の生活の中にいるのかもしれません。その生活が幸せなのかどうか、それさえもわからないのではないでしょうか。

そこを考えること、想像を働かせることが、必要ではないかと思います。そう考えるとき、いじめの時期はひと時かもしれませんが、その後の人生に与える影響は、計り知れないものがあるのではないでしょうか。そのように、誰かの可能性を奪う権利を、一体がだれが持つのでしょうか。そのようなことを誰がしていいのでしょうか。自分がその対象になったらどうなのか、そのことを考える時間を、子どもたちと共有することが大切だと思います。

 

しかし、残念なことに、大人の世界はこのようなことが満ちあふれてはいないでしょうか。いじめという言葉を使わないけれども、自分たちの価値観にそぐわなかったりすると、排除の論理を働かせることは日常的に見られることだと思います。また、そのような自分たちの行動を正当化するために、いろいろな理由をつけることを大人はしていないでしょうか。

そのようなことを大人自身が考え直さない限り、いじめはなくならないのではないでしょうか。


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パブリックコメントについて

2019年03月20日 12時36分30秒 | Weblog

みなさんは「パブリックコメント(パブコメと略することが多いです)」をご存知でしょうか?

パブリックコメントとは「市の基本的な政策等の策定過程において、その案を公表し、これらについて市民の皆さんから意見を求め、いただいた意見を十分に考慮して必要な意思決定を行うとともに、意見の概要とこれに対する市の考え方を公表する一連の手続です。(鈴鹿市HPより)」として、市の各種計画などに市民の意見を出すことができる制度です。

■パブリックコメント手続き(意見公募手続)-鈴鹿市ホームページより

市のホームページでは、平成27年の「鈴鹿市総合計画2023の基本構想(素案)について」以降のものについて、意見やそれに対する返答なども含めてみることができます。

自分が鈴鹿市しあわせ環境基本条例の策定や、第5次総合計画に関わっていたころから考えると、このような機会がかなり開かれたものになっていることを感じますし、その場面も増えていることを感じます。ただ、意見が全て通るかと言えばそういうわけではなく、意見に対する返答などを通して、市の考えを確認できたりすることに意義があると思います。もちろん、内容によっては意見を踏まえて、計画の文言が変わったりすることもあります。

各種計画について、それをもとに行政は個別の事業を行ったり、政策を進めていくことになるので、計画案を読み通し、各種の情報などと重ね合わせて意見するパブリックコメントは、ある意味で市議会議員の仕事の一部と近いことだと考えています。ですが、市ホームページを見て頂き、意見件数を見て頂くと、まだ今のところ低調という状況と考えます。

このようなパブリックコメントの状況について、改善をしていった方が良いと考えています。

それは、パブリックコメントの募集期間がおおむね1か月程度ということで、内容によっては短すぎると考えられることです。今の自分は、市議会議員という立場と、これまでの市における議論や、各種の研修などから、この期間でも意見を出すことは可能ですが、それでも、他にすべきことがあるときは、かなり厳しいと感じることがあります。まして、市民の皆さんを考えると、さらに厳しくなるだろうと思います。

改善の考えとしては、文字ベースでしか発信されていない計画案やその考え方について、多様な手法や媒体を通じてより多くの人の目に触れるようにすることと、動画を活用して内容を伝える手法を組み合わせることがあると思います。

例えば、広報すずかだけで募集を公表するのではなく、表敬訪問などのニュースが新聞でよく取り上げられたりしますが、計画案などをコンパクトにまとめた内容とパブコメ募集を、メディアに掲載依頼することもありでしょう。映像メディアでの公開はもちろんですが、ホームページ上でも、公開されている計画案の資料をもとにした解説動画を付属させたりすることもありです。それらとあわせて、市内数カ所で実際に説明と意見交換会を行えばどうかと考えます。このような動きはすべてに対してではなく、総合計画などのような、市民生活に大きく関わるもので行えばよいのではないかと考えます。

今ある制度をどう活かしていくのか、どう良くしていくのかも重要なことで、パブリックコメントはポイントとなるひとつの制度と考えています。

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見えにくい成果

2019年03月17日 23時32分55秒 | Weblog
よく、議員としてどんな成果や実績があるのかと質問を頂くときがあります。振り返るとないわけではないのですが、自分で喧伝することが好きでないことと、基本的に相談を頂いた市民の方々の動きがあってこそと考えているので、普段あまり口にすることはありません。ご支援を頂く方からは、言った方が良いと助言を頂いたりたりもしますが、一所懸命にいろいろ取り組んでいると、自分のことを言うことが意識から外れている時があります。

と、ここまで書いていることは、どちらかといえば市民の皆さんの目にも触れやすい、何かを作ったなどに関係することや、一般質問に関係することと言えます。

しかし、実際のところ、成果につながっているとは言い切れない部分もありますが、相応に意義があると考えていることがあります。ただ、それらはある意味で目につきにくいものです。それは、各種計画に対しての意見の部分です。

各種計画に対しては、全てとは言いませんが、できる限りいろいろな手法で働きかけを行っています。
まず、議案質疑や一般質問、委員会審議の際に取り上げることや、担当課との懇談の中で意見を言うことがあります。このことの例としては、各種計画策定の場に、若い世代の参画機会を増やすように意見していることなどがあります。
別の形としては、都市計画審議会などをはじめとした議員が委員として入る各種審議会などの場で、積極的に意見を発し、形につなげる場合があります。
その他には、市議会全員協議会で素案が協議事項として報告されるときに意見を述べることや、その後のパブリックコメントの際に、パブリックコメント自体を実際に行い、意見を文言として残し、それに対する市の考えも言葉として残すことがあります。

このような計画との関連については、実際に変わったり、意見が採用されていることがあったりするのですが、わかりやすく目に触れる成果とは言えないところです。しかし、市の動きにチェックを入れることや、政策提案を行うという観点から考えると、議員の仕事として取り組むべきことと考えています。

パブリックコメントについては、考えておることがあるので、次の機会に書きたいと思います。
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誰がやっても同じ?

2019年03月09日 19時29分14秒 | Weblog
サッカー、バレー、野球、バスケ、ラグビー、駅伝、リレー、、、多人数のプレイヤーが、チームで関わるいろいろなスポーツがあります。することが好きな人、見ることが好きな人、コーチのような形で携わる人、、、関わり方はいろいろあります。
同じように、吹奏楽、バンド、演劇、伝統芸能、映画、、、多人数の方が関わる文化的な事業はあり、することが好きな人、見ることが好きな人、鑑賞しいろいろと評論を交わすことが好きな人、、、関わり方はいろいろあります。

他の人と語りあったりすることができる活動を、みなさんはなにかお持ちでしょうか?
語ることができるということは、語ることの内容について、それなりに情報を知っていたり、情報がいろいろと提供されていたり、自分でも集めるからだと思います。

そんな形で、ご自分が少しでもこだわりを持っていることについて、「誰がやっても同じ」と思われたりするでしょうか?おそらく、そういうことはないのではないでしょうか。
それどころか、いろいろな特徴を考えた上で、ご自分なりにあるべきメンバーの組み合わせなどを考えたりされていないでしょうか。場合によっては、プロと言われる立場からジュニアの活動現場まで、そういうことがあるかもしれません。

ですが、ご自分があまり興味を持てないことについては、中身がよく分からなかったりするため、「誰がやっても同じ」と思われることがあるかもしれません。それは、結果についてよく分からなかったり、どのようなことが良いことなのかよく分からなかったりすることから、そのように思われるのだと思います。どのような人が良いかという前に、行なっていることが理解できなければ、判断は難しいということです。

どうでしょうか?

おそらく、議会についても同じように考えられると思います。
議員は「誰がやっても同じ」と思われるのはなぜかと考えれば、議会で何が行われているのか、そこで行うべきことは何なのか、行われた結果がどのように関わることになるのか、そのことが知られていなかったり、解説された情報があまり出ていなかったりするため、関心が持てなくなってしまっているからかもしれないと思います。

ですが、自分のまちがどこよりも住みやすいことや、特徴的で魅力的なまちであることや、持続可能なまちであることを考えた時、そこに関わる人は誰でもいいでしょうか?誰がやっても同じでしょうか?
個人的には同じとは思いません。
ただ、まちのことは、課題が多岐に渡っていて、ひとつのことだけではなく、他の多様な要素もあるので、趣味のことなどのように、すぐにはわかりにくいのだと思います。また、そのことをゆっくり考えることがあまりできないことや、情報があまりにも少ないことがあるからかもしれません。

本当に「誰がやっても同じ」なのか、そのことを考えることからでも、世の中が少し変わっていくのかもしれないと思います。

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