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鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

三重県でのスポーツ振興のために

2013年10月02日 21時19分01秒 | Weblog
9月半ば、鈴木英敬三重県知事が平成26年度中にスポーツ振興条例(仮称)を制定すると表明されました。
平成30年のインターハイと平成33年の国体を迎える三重県にとって、また、スポーツと地域経済の活性化をつなぐ意味でも、非常に期待したいと考える条例です。自分自身もスポーツに関係していますし、家族もスポーツが好きな家系と言ってもいいかもしれませんので、その意味でも期待しています。
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この条例を策定する過程で、条文に取り上げて頂くことを期待することがあります。
 1.モータースポーツを三重県におけるスポーツに組み入れる。
 2.問題発生時に対応する第三者機関の設置

これら2つです。

まず「1.モータースポーツを三重県におけるスポーツに組み入れる。」について。
シンプルなところで、三重県において鈴鹿サーキットは“モータースポーツの聖地”的存在として全国に知られているのですから、全国に先駆けてスポーツ条例の中でモータースポーツを位置づけることは、非常にインパクトが大きいと思います。
たしかに、機械に依存するという部分で果たしてスポーツと言っていいのかという議論はあるでしょうが、しかし、自動車にしろバイクにせよ、相応の身体的なトレーニングが必要であることを考えれば、スポーツと呼ぶことは差し支えはないと思います。また、条例に位置付けることによって、それが他の施策にも影響を及ぼすことができることが考えられます。

次に「2.問題発生時に対応する第三者機関の設置」について。
今後、スポーツ振興を進めていくことを考えたとき、種々の問題が発生した際、第三者として問題に介入して、中立的な立場から解決に取り組む組織が必要になると思います。それはもちろんジュニア世代から成人まで、特に競技スポーツの領域で重要になるのではないかと思います。
例えば、今のところ学校の運動部活動で、指導者(顧問・教員)による暴力行為や所属メンバー間でのいじめなどの人権侵害案件が発生したとき、解決の一義的な主体となるのは学校長以下の学校組織、そして教育委員会ということになると思います。それはそれでなんら否定するものではありません。しかし問題の被害者からすれば、学校も教育委員会も当事者になるわけで、相談するにも心理的ハードルが高くなると考えられます。とすれば、中立的な機関が相談から解決にサポートをする体制があることは、非常に意味があるのではないかと思います。また、企業スポーツやプロスポーツ、スポーツビジネスの展開などの局面でも、問題が発生した際に相談のできる第三者機関のあることは、決して三重県にとってマイナスではないと考えますし、このような機関があることが安心してスポーツを楽しむ基盤のひとつになることが望ましいと考えます。

パブリックコメントや県民の意見を聞く機会も設けて頂けるとは思いますが、この2つの観点を採り入れた条例素案ができればと思うところです。
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ひねて、ひねり、まっすぐに

2013年10月02日 11時47分08秒 | Weblog
個人的に気になることなのですが、
テレビの番組にせよ、地域の取り組みにせよ、
PB商品や売れ筋商品ばかりになるスーパーのように
ちょっと変わっていて目を引くことが少なくなっているような、
なんとなく均質化しているような気がしています。
受ければ同じ流れに乗ろうとするような感じですか。
それでも一番をとったり、先頭を走ったり、
新しい価値を産み出したりしていたらよいのですが、
そういう感じがないと、
ちょっと“ いたいなぁ(^_^;) ”と思ったりしませんか?
決して良くないと言うつもりはないのですが、
ビミョーな気持ちになったりします。

例えば流行りのファッションがあるとして、
それを着るか着ないかの選択を大ざっぱに考えても、
 1)流行っているから着る
 2)友人たちが着ているから着る
 3)良いと思うから着る
 4)自分の感性にあっているから着る
 5)流行っているから着ない
 6)友人たちも着ているから着ない
 7)良いと思えないから着ない
 8)そもそも関心がないので着ない
とパターンがあるんじゃないでしょうか。

そう考えると流行ものに取り組むときに、
“ これでええんかな? ”とか“ 二番煎じにならへんかな? ”とか、
“ お茶濁しにならへんかな? ”などと考えたりすることや、
流行そのものをちょっとひねたような視点で評価したりして、
一歩離れて考えることはとても大切じゃないかと思います。
なによりも、“ 自分にあってるか? ”を突き詰めて考えたりとか。
そうしていろいろな角度からぎゅーっと考えて、
やることにひとひねり加えたり、ひねって反対方向に向いたり、
あるいは模倣することをやめたり、その選択をする課程こそが、
特徴ある行動や価値観にまっすぐに向きあうことだと思います。

そんな過程を経て最終的に、
バカボンのパパのように「 これでいいのだ 」と言って、
周りに流されずひょうひょうと楽しめたら、
あたり前と言われるでしょうが、
それは地域文化として根付く可能性がとても大きくなるのだと思います。
これからの鈴鹿の中でなにがそう育っていくのか、
アンテナを立てておくことが大切だなぁと思います。
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