鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

行政視察

2008年06月21日 08時47分22秒 | Weblog
先日、朝の番組を見ていて気になったのは、あるコメンテーターが「今はインターネットなどもあるから行政視察に行く必要はないのではないか」ということを言っていたことについてです。
たしかに、目的を見誤ったものは非難されて当然ですが、視察の大きな意味は、単純な情報収集以上に、その施策、政策に携わる人たちとの交流です。単に他市で成功した事例を導入すれば、自分の市で成功するわけではなく、施策、政策が生きたものになっている背景、そこで活動する人達にこそ、成功のきっかけがあるからです。そのような人たちの息吹を感じて、自分たちの市の市政に活かすことが、行政視察の大きな意味だと思います。
また、街にはそれぞれが持っている文化の空気があります。そのようなものも感じるからこそ、自分たちの街を見なおすことができるはずです。
コメンテーターの方も「百聞は一見にしかず」ということわざを忘れてしまっていたのかも知れません。どんなに情報がたくさんあろうと、インターネットは百聞のうちなのですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひらかれた学校

2008年06月18日 02時47分34秒 | Weblog
いまの学校がたくさんの課題を抱えてることは明らかなことだと思っている。
そんななか、現場の先生も負担は大きいことだと思う。
しかし、これは「問題のないこと」「失敗のないこと」が学校運営の前提になっていることと、学社融合という言葉が叫ばれながら実際のところは、まだまだ生徒の保護者と学校の先生だけでほとんど構成される閉鎖的な場所になってしまっていることが、大きく影響しているのではないか。そこをついて、自分たちの横暴を通しているのが、あまり好きな言い方ではないが、いわゆる「モンスターペアレント」なのだろう。
地域との連携といいつつ、学校も保護者も自分たちにとって都合よく「地域」を利用するだけなら、それは本来の意味での地域の連携ではないはずで、情報共有や地域の人が学校にもっと入りやすくなることで、問題行動を起こす人たちの圧力を下げることができるのではないか。
しかし、残念ながらまだまだそれには時間がかかりそうな気配がある。その点は、学校だけでなく、教育行政もふくめ、市民としての保護者の意識変革も必要だと思う。それがなければ、このような状況で育っていく子どもたちは、今の時代よりさらに問題を内包した大人になっていくのではないかと思う。
「ひらかれた学校」は真摯に考えられるべきだと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンスター?

2008年06月02日 03時56分39秒 | Weblog
すこし前から話題になっている表現に「モンスター○○」という言い方があるけれども、このことについて私たちは考えなおすべきではないかと思います。
たしかに、このような表現で指し示される様な方々の行動は、これまでの常識から考えて、かなり常軌を逸したものだと思います。傍から見れば特異な行動だと思います。過剰な自己愛からくるのであろう、他の人を省みない自己中心の言動や行動、過剰なまでの攻撃性は、私たちの生活に不安をかきたてます。
が、はたして私たちはそのような行動を否定しきれるでしょうか?
なぜなら、このような行動がはっきり見えてきている理由には、私たちの中にも同じような傾向が多少なりともあり、その数が増えることで、特異に感じる人たちの母数もひと昔前に比べて増加したと思うからです。「普通」と感じている私たちの心は、すでに偏りはじめているのだと思います。けっして良くない方向に。
私たちがそのような心のあり方に自分で向かいあうことがなければ、どのような対策を講じても、解決の方向にはなかなか向かいにくいと思います。まして、次世代育成にプラスにはならないと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする