鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

改革で気になること

2012年02月13日 01時21分30秒 | Weblog
行財政改革、議会改革と身近なところでも‘改革’と言葉が盛んに使われていますが、言葉だけが先行してしまっているのではないかとここのところ考えています。
端的に言うと「‘改革’の目的は?、誰のため? 」ということが、はっきりしているようで、実のところ、本当にそれに沿って考えているのか、行動しているのか
と考えると、とても心もとなく感じるのです。

例えば行財政改革ついて、鈴鹿市での考え方は次の資料のようになっています。
http://www.city.suzuka.lg.jp/kouhou/kaikaku/data/pdfs/plan_02.pdf
この中からあえて抜き出すとすれば
‘目的は?’の部分は「限られた資源=人・物・金を最大限に活用し,自治体としての自己決定と自己責任の原則に基づいた自立的な行財政システムを確立します。」となり、
‘誰のため?’の部分は「市民の立場になって市民が求めているサービスを的確に把握し,市民満足度の向上に繋がるような行政への転換」という部分でしょうか。

言葉としては、市民のため、となっているのですが、果たしてそのようになっているのかと言えば、少し疑問を感じます。第5次総合計画について、第3期の行財政経営計画の見直しが行われているのですが、第2期でもそうだったのですが、各種の指標の見直しなどについて、行政優位の状態で進められている感はぬぐえません。また、市民委員の活用についても、旧態依然とした感覚がまだあるように感じるのが実態です。

議会改革ということについて、鈴鹿市議会でも議会基本条例の策定に取り組んでいるのですが、最近、全国的に流行りになっているこの取り組みについて、目的は「議会改革として、これまでの議会のあり方を見直す。」ことにあるのは、他の事例でも見られることで、特に否定するものではありません。

二元代表という言葉の下、同じく公選で選ばれる首長と、公選で選ばれる議員で構成される議会は、それぞれ行政と議会という形で、機関競争の状態にあると思います。その際、誰との関係においてと言えば、主権者である住民・市民の方々と言えます。そのように捉えたとき、議会改革は‘誰のため?’と考えると、わかっているものとされ、あいまいになってしまっている、または、混線しているのではないかと考えます。

「~の、~による、~のための改革」の「~」の部分に言葉を入れると、今回書いている違和感が見えるのではないかと思います。
首長をトップとした行政にせよ、議会にせよ、‘誰のため?’ということについて、‘住民・市民のため’ということは絶対条件であって、それからブレるべきでないと思います。
「~の、~による、住民・市民のための改革」であるべきで、その実現のためには、住民・市民の方々との徹底的な情報共有、既存の価値基準のゼロベースの見直し、改革にあたっての双方向性などが必要だと考えます。意思形成の過程を公開するのは当たり前ですし、意思形成の過程で意見を取り入れ議論をするのも当然と考えます。

どの様な改革を行うにせよ、住民・市民との関係にしっかり目を向け、取り組まなければ、「仏つくって魂入れず」、「画竜点睛を欠く」ことになると危惧するところです。


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駄菓子屋の楽しさ

2012年02月10日 04時43分19秒 | Weblog
これからの日本のまちの再生には、
私たち自身が、駄菓子屋でお菓子を買うことを楽しんでいたことを思い出すことが、
ひとつの道筋なのだと思います。

大手のスーパーに行っても
なぜだか買い物に息苦しさを感じたりします
たぶん、売れ筋商品やPB商品、アイテムを減らした画一的な品揃えで
そこになにかを見つけるという楽しさや
お気に入りの一品を見つけることが難しいからなのでしょう

駄菓子屋がなんで楽しかったか
特別に高いものや素敵なものはなくても
自分の少ない持ち金で
小さな発見や喜びを見つけられたからだと思います。
そして、そこで売られていたものは、日本国内の小さな工場で作ったものだったり・・・

そう思いながらまちを考えてみると
大規模なショッピングセンターが車の移動の先に待ちかまえ
駅前にはどこかで見るようなチェーン店がひしめき
どこに行っても同じような空気感がする…
もしかしたら、私たち自身が、駄菓子屋の楽しみを忘れてしまったから?

そういうわけでもない
大きなショッピングセンターの中にはいろいろな店があって
ウィンドウショッピングを楽しむように歩けるしかけがあったりした
本当は無意識にそういう仕掛けを求めているのだと思います

まちも同じです
機能的なまちが楽しいわけじゃなく
路地の先に何があるのだろうと思ったり
ふと気付くと異質なものが垣間見えたり
そういうものがあることが大切なのでしょう
伊勢のおかげ横丁も、単にお店が並んでいるのではなく
ふと気付いた路地のようなところにもお店があるという仕掛けが
訪れる人にとって魅力なのでしょう

私たちが身近なまちを魅力あるものにしたいと考えるなら
そこに住む人も訪れる人にとっても
駄菓子屋で買い物を楽しむ子どものような
そんな感覚を感じられるまちにすることが大切ではないかと思います。
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