鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

電気自動車

2009年01月31日 04時14分57秒 | Weblog
先だってあるニュース番組で水素で走る自動車、つまりは燃料電池で走る車の特集をしていた。その前には、アメリカで作られている電気自動車の特集をしていたが、ふたつをつなげて考えていたら、ふと気になったことがあります。
燃料電池のほうだけど、航続距離が現在の自動車と同じ500キロを想定しているため、水素の貯蔵が難しいということを言っていた。なにげに聞いていたけれど、良く考えてみれば、一回のエネルギー補給で500キロも走らなければいけない理由ってあるのだろうかと。
実際に車に乗っていたらわかるけれど、そんなに一回で走ることはほとんどないのではないでしょうか。
アメリカでグリーンニューディールを進めようとしている現在、近・中距離の移動手段として自動車を考えなおして、電気自動車などのものづくりに取り組んではどうかと思うところです。そうすれば中小企業にも、今までと違う可能性が生まれるのではないでしょうか。
鈴鹿市でも、いろいろな優遇措置を講じるなどして、電気自動車への取り組みをしやすくし、企業誘致であるとか、起業を促す政策をとることはどうかと思います。市の独自政策だけでなく、国や県の補助メニューを活用することも考えながら。
そうして作られた電気自動車を鈴鹿サーキットで走らせ、省エネルギーと高効率をサーキットを実験場としていくことで、新たな市の特徴になりえるのではないかと考えます。
悲観的に考えるばかりでなく、足を進めるべきところは進めるべきだと思います。
それには電気自動車だったり、既存のエンジンを活用できるバイオマス燃料への取り組みがあるのではないかと思います。
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したたかさ

2009年01月31日 02時52分06秒 | Weblog
多地域への視察で、非常に魅力を感じる地域があると、ほとんどの場合、そこにはその事業について熱心に思いを持って取り組んでいる行政職員の方々がいます。逆に、自分の割り当てられた仕事という感覚で行っている事業は、説明を受けていても、聞く側の心に響くものはないといえます。

魅力を感じる地域の職員さんからは、自分たちの目標とするまちのありかたに対して、国からだけでなく、いろいろな方面から実現に向けて、協力であるとか補助を積極的に取り入れようと取り組む姿を、説明の話の中から感じることが多いです。そこには、いい意味での「したたかさ」を非常に感じます。

では鈴鹿ではどうなんだと言われると、全ての職員の方がそうとは言いませんが、熱さを感じることが少ないというのが、私の感覚です。与えられた仕事をそつなくこなすことに重きを置くばかりに、良い意味での自由さに欠けている感じでしょうか。

「したたかさ」についても、仕事そつなく無難にこなすことを最優先の「したたかさ」である感じを非常に受けます。
市役所の各課の窓口カウンターで話をすることが多いのですが、目線が向いていないと思ってるのでしょうか、あまり印象のよくない職員の方がいるのも事実です。

「このまちに暮らしていてよかった」と言えるまちにするという目標は、議員も市長をトップとする行政も同じはずです。鈴鹿市がこれからの難しい社会状況を越えていくためには、よいまちづくりに向け、良い意味での「したたかさ」を持つ職員が活躍するようにならなければいけないと思っています。同じことは議員にも、もちろん市長にも言えることだと、私は思います。

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社会力

2009年01月30日 02時19分49秒 | Weblog
岩波新書に「子どもの社会力(門脇厚司氏著)」という本があります。
初版は1999年ですが、今の時代だからこそ、ここで取り上げられている「社会力」について、子どもも大人も気づくべき時代ではないかと考えています。

「社会力」とは、門脇氏によると「よかれと思う社会を構想し、それを作り、運営し、その社会をさらにいいものに変えていく力である。また、それが本来の機能を発揮するためには、その下地として十全な他者認識や他者への共感能力が備わっている必要がある。」と言うことです。

子どもだけでなく、大人もこのような「社会力」の低下がかなり進んではいないでしょうか。他者に対して過剰に攻撃的なクレーマー社会や、モンスター○○と表現されるような人たちは、もしかするとこのような力の低下が導いたひとつの形かもしれません。

いろいろと考えることや参考になることがあると思います。
ぜひご一読ください。
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奪われるコトバ

2009年01月29日 01時50分36秒 | Weblog
議員という仕事を通じてよく感じることは、
思想信条の自由や、言論の自由といった大きな視点からもそうであるし、また、個人の人権という視点からもあるでしょうが、現在の世の中では、私たちが思う以上に、第3者によって「コトバ」が奪われてしまう場面が多いのではないかということです。

それは何も特別な人たちが奪うということばかりではなく、いわゆる普通の人たちも「コトバ」を奪う側になり得ていると感じています。普通の人たちが、匿名の多数になって、人に圧力をかけるであるとか、偏向した良識を相手にも押しつけるであるとかのような形で。
そこでは、多様性が尊重されるであるとか、意見を交換しそこから次の考えに発展させるという考えはあまりなく、均質化した価値基準の押し付けをしていると感じます。
それ以上に、自分たちが「コトバ」を奪う側に立っていることに気づいていないことが多いのではないかと思います。

このような状況は、世の中にとって良いとは思えません。
すべての事柄について、誰もが同じ価値観を共有する必要はないはずです。多様な意見を聞き、その上で、それぞれの意見・価値観について、その独自性を尊重するべきだと思います。
いろいろな視点から光を当てることで、ひとつの事柄を浮かび上がらせて考えることが、これからの時代、私たち一人ひとりに求められていくことになると思っています。
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変化

2009年01月24日 23時40分08秒 | Weblog
かなり久々の更新になります。
今日は母校の大学校友会の代議員会に行ってきました。
大学に行くのは、10年ぶりぐらいになってしまているのですが、大学前の風景で変わらないもの、変わってしまっているものを見て、なんとも言えない気持ちになりました。また、まちについてあらためて考えるところです。
同じまちに住み続けていると、まちの日々の変化は、日々の生活の中に拡散していき、無意識のうちに私たちもそれを受け入れたり、麻痺してしまうような感覚になっているのかもしれません。しかし、そういうまちから少し離れて暮らす期間があると、ふと戻ったときに、その変化に時間の過ぎ去りを強く感じるのだと思います。
私たちのまちも、変化を繰り返しながら今に至っているのだと。
政治に取り組むにあたっては、地方自治体だけでなく国政レベルでも、このような感覚を麻痺させることがないことが大切ではないかと思います。

「このままでいいのだろうか…」

そう考えながら、まちのいろいろに関心をもち、良いものは良いと評価しながら、変えるものは変えながら、次の時代を思い描いていくことが求められていると感じています。
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