奥能登の市町の状況や、過去の東日本大震災、熊本地震、中越地震、阪神淡路大震災や、各地の豪雨災害などを振り返って、鈴鹿市のことを考えると、やはり「事前復興」の視点で取り組むことが重要だと再認識しました。今回の奥能登の状況でも、起こった状況に対応しながらでは、どうしても復興までに時間がかかると感じました。
仮設住宅に住まわれた方が、次に住まわれるのはどのようなまちになるのか、もし、その考えを事前に共有できていれば復興ははやいでしょうし、それに向けた動きもでき、人口流出も抑制できるかもしれません。以前に岩沼市や名取市の復興を視察させて頂いた際も、出ていける人から街を離れていくとお聞きしたことがあります。そのようなことは避けるべきでしょう。
また、阪神淡路大震災の際には、仮設住宅に住まうにあたって地域コミュニティを考慮しなかったことで、孤立するなどして災害関連死が多かったという話がありました。そのようなことは考慮されて今の対策に活かされていると思いますが、それでも、復興期にはどれだけ取り組むことができるでしょうか。
地震災害はもちろんですが、気候変動による気象の極端化による災害、海水面上昇も十分に想定される時代に入っている現在、私たちはそれらを踏まえた議論をして、いざというときには即座に対応できるように備え、長期的には復興するための地域へ、無理なく住まい方を変えられるようにしていくことが、今からでもできることだと思います。その点について、今日の段階で、防災機器管理課で意見を話しました。
鈴鹿では南北の動線として、東部の近鉄線と国道23号、中央部にある伊勢鉄道と国道1号、西部の東名阪と新名神と国道306号が考えられますが、今一度、それぞれの沿線上で、事前復興の視点から次のまちの在り方を考えてはどうかと思います。