玉川神社
鎮座地 等々力3-27
祭神 伊奘諾命(いざなぎのみこと)
伊奘册命(いざなみのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 満願寺
例大祭 9月15日
解説
等々力村の鎮守。
文亀年間(1501~04)世田谷城主、吉良頼康によって創建されたという。
かつては熊野神社(おくまんさま)といわれたが、
明治40年(1907)村内の神明社・御嶽社・諏訪社を合祀して社名を玉川神社と改めた。
大正7年(1918)火災により社殿を焼失、
昭和4年(1929)より順次再建された。
鎮座地 等々力3-27
祭神 伊奘諾命(いざなぎのみこと)
伊奘册命(いざなみのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 満願寺
例大祭 9月15日
解説
等々力村の鎮守。
文亀年間(1501~04)世田谷城主、吉良頼康によって創建されたという。
かつては熊野神社(おくまんさま)といわれたが、
明治40年(1907)村内の神明社・御嶽社・諏訪社を合祀して社名を玉川神社と改めた。
大正7年(1918)火災により社殿を焼失、
昭和4年(1929)より順次再建された。
瀬田玉川神社
鎮座地 瀬田4-11
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 慈眼寺→覚願寺
例大祭 10月第三日曜
解説
かつては御嶽神社といい、
現在も「おみたけさん」といわれる。
永禄2年(1559)瀬田村字下屋敷に創建され、
寛政3年(1791)長崎四郎左衛門嘉国が瀧ヶ谷の現在地に遷した。
元禄8年(1695)の棟札が伝わり、
長崎四郎左衛門嘉満と又四郎嘉包の兄弟が子孫の反映を願い拝殿を建てた事が記されている。
明治41年(1907)村内の小祠を合祀して、社名を玉川神社と改めた。
鎮座地 瀬田4-11
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 慈眼寺→覚願寺
例大祭 10月第三日曜
解説
かつては御嶽神社といい、
現在も「おみたけさん」といわれる。
永禄2年(1559)瀬田村字下屋敷に創建され、
寛政3年(1791)長崎四郎左衛門嘉国が瀧ヶ谷の現在地に遷した。
元禄8年(1695)の棟札が伝わり、
長崎四郎左衛門嘉満と又四郎嘉包の兄弟が子孫の反映を願い拝殿を建てた事が記されている。
明治41年(1907)村内の小祠を合祀して、社名を玉川神社と改めた。
六所神社
鎮座地 野毛2-14
祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
八幡大神(はちまんおおかみ)
大山都見命(おおやまつみのみこと)
菅原道真(すがわらのみちざね)
旧格式 村社
別当寺 善養寺
例大祭 9月23日
解説
下野毛村の鎮守。
伝説によると、昔多摩川に洪水があった時、
ご神体が小宮の中に守られて漂着した。
これを祀ったところ以後野毛村には洪水の被害がなくなったという。
明治末の神社合祀で村内の小祠が合祀され、祭神が現在のようになった。
鎮座地 野毛2-14
祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
八幡大神(はちまんおおかみ)
大山都見命(おおやまつみのみこと)
菅原道真(すがわらのみちざね)
旧格式 村社
別当寺 善養寺
例大祭 9月23日
解説
下野毛村の鎮守。
伝説によると、昔多摩川に洪水があった時、
ご神体が小宮の中に守られて漂着した。
これを祀ったところ以後野毛村には洪水の被害がなくなったという。
明治末の神社合祀で村内の小祠が合祀され、祭神が現在のようになった。
奥沢神社
鎮座地 奥沢5-22
祭神 誉田別尊(はんだわけのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 村社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 9月第二土曜の次の日曜
解説
奥沢村の鎮守。
世田谷城主吉良氏の家臣、
大平出羽守が奥沢城を築くにあたって守護神として創建したという。
かつては奥澤八幡神社といわれたが、
明治42年(1909)稲荷神社を合祀して社名を改めた。
9月第二土曜には、注連縄を巨大な蛇にみたてて作る「厄除けの大蛇練り」神事が行われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/69/db725c6e5f4a7135386fb7c8464dde01.jpg)
世田谷区指定無形民俗文化財「大蛇お練り行事」
江戸時代奥沢村に疫病が流行した際、名主の夢枕に八幡神が現れ、
「藁で作った蛇を村人が担いで村内を巡行すれば疫病が治まる。」と告げたという。
鳥居に掲げられた大蛇は昨年のもので、今年のものは社殿に安置されている。
鎮座地 奥沢5-22
祭神 誉田別尊(はんだわけのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 村社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 9月第二土曜の次の日曜
解説
奥沢村の鎮守。
世田谷城主吉良氏の家臣、
大平出羽守が奥沢城を築くにあたって守護神として創建したという。
かつては奥澤八幡神社といわれたが、
明治42年(1909)稲荷神社を合祀して社名を改めた。
9月第二土曜には、注連縄を巨大な蛇にみたてて作る「厄除けの大蛇練り」神事が行われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/69/db725c6e5f4a7135386fb7c8464dde01.jpg)
世田谷区指定無形民俗文化財「大蛇お練り行事」
江戸時代奥沢村に疫病が流行した際、名主の夢枕に八幡神が現れ、
「藁で作った蛇を村人が担いで村内を巡行すれば疫病が治まる。」と告げたという。
鳥居に掲げられた大蛇は昨年のもので、今年のものは社殿に安置されている。
野沢稲荷神社
鎮座地 野沢2-2
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 栄沢庵
例大祭 8月第四日曜
解説
野沢村の鎮守。
江戸時代の除地は3畝。
「新編武蔵国風土記稿」によると、
ご神体は「7寸許木像、白狐にのり稲穂を持烏帽子束帯の形」という。
本殿と拝殿は明治33年(1900)築。
境内に元禄8年(1695)奉納の庚申塔がある。
鎮座地 野沢2-2
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 栄沢庵
例大祭 8月第四日曜
解説
野沢村の鎮守。
江戸時代の除地は3畝。
「新編武蔵国風土記稿」によると、
ご神体は「7寸許木像、白狐にのり稲穂を持烏帽子束帯の形」という。
本殿と拝殿は明治33年(1900)築。
境内に元禄8年(1695)奉納の庚申塔がある。
中町天祖神社
鎮座地 中町3-18
祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 金剛寺
例大祭 10月2日
解説
野良田村の鎮守。
江戸時代以前は神明宮といわれたが、
明治7年(1875)天祖神社と改められた。
明治41年(1908)村内の稲荷社・作徳稲荷神社・日枝神社・弁天社・阿夫利神社が合祀された。
鎮座地 中町3-18
祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 金剛寺
例大祭 10月2日
解説
野良田村の鎮守。
江戸時代以前は神明宮といわれたが、
明治7年(1875)天祖神社と改められた。
明治41年(1908)村内の稲荷社・作徳稲荷神社・日枝神社・弁天社・阿夫利神社が合祀された。
駒繋神社
鎮座地 下馬4-27
祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 寿福寺
例大祭 9月第三日曜
解説
下馬引沢村の鎮守。
天喜4年(1056)奥州征伐に向かう源頼義・義家親子が当地で休憩し、
子の神を参拝したという。
また、文治5年(1189)奥州藤原氏の征討に向かう源頼朝が当社に参拝したともいう。
明治時代、頼朝が愛馬葦毛を松の木に繋いだ故事にちなみ駒繋神社と改名された。
社宝に菊紋伊勢大掾綱広・粟田口近江守忠綱・無名小刀と三振の江戸時代の刀剣が伝わる。
鎮座地 下馬4-27
祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 寿福寺
例大祭 9月第三日曜
解説
下馬引沢村の鎮守。
天喜4年(1056)奥州征伐に向かう源頼義・義家親子が当地で休憩し、
子の神を参拝したという。
また、文治5年(1189)奥州藤原氏の征討に向かう源頼朝が当社に参拝したともいう。
明治時代、頼朝が愛馬葦毛を松の木に繋いだ故事にちなみ駒繋神社と改名された。
社宝に菊紋伊勢大掾綱広・粟田口近江守忠綱・無名小刀と三振の江戸時代の刀剣が伝わる。
駒留八幡神社
鎮座地 上馬5-35
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月15日
解説
上馬引沢村の鎮守。
若宮八幡とも言われる。
ご尊像の背部の銘により
徳治3年(1308)当地の領主であった北条左近太郎入道成願が社殿を造営し経筒を収めたという事が知られている。
室町時代、世田谷城主吉良頼康が息子を相殿に祀り若宮八幡とし、
母常盤を弁財天として厳島神社に祀った。
伝説によると、頼康の側室に常盤という美女がいた。
彼女は他の側室の嫉妬から讒言にあい頼康の寵を失い自殺してしまった。
その時切り口から男児が生まれたがこの子もすぐに死んでしまった。
やがて真実を知った頼康は母子の非業の死を悼んで若宮八幡として祀ったという。
江戸時代には当地は大久保氏の領地となり、
天和2年(1682)大久保好長・忠義によって内陣額・華表額が奉納された。
(その時の改修で先の尊像が発見された)
寛政11年(1799)大久保伊賀守忠雄が社殿を修復した。
明治40年(1907)天祖神社が合祀され社名が駒留八幡神社に改められた。
鎮座地 上馬5-35
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月15日
解説
上馬引沢村の鎮守。
若宮八幡とも言われる。
ご尊像の背部の銘により
徳治3年(1308)当地の領主であった北条左近太郎入道成願が社殿を造営し経筒を収めたという事が知られている。
室町時代、世田谷城主吉良頼康が息子を相殿に祀り若宮八幡とし、
母常盤を弁財天として厳島神社に祀った。
伝説によると、頼康の側室に常盤という美女がいた。
彼女は他の側室の嫉妬から讒言にあい頼康の寵を失い自殺してしまった。
その時切り口から男児が生まれたがこの子もすぐに死んでしまった。
やがて真実を知った頼康は母子の非業の死を悼んで若宮八幡として祀ったという。
江戸時代には当地は大久保氏の領地となり、
天和2年(1682)大久保好長・忠義によって内陣額・華表額が奉納された。
(その時の改修で先の尊像が発見された)
寛政11年(1799)大久保伊賀守忠雄が社殿を修復した。
明治40年(1907)天祖神社が合祀され社名が駒留八幡神社に改められた。
瘡守稲荷神社
鎮座地 瀬田4-32
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
例大祭 4月15日
解説
おできの治療に霊験があり、
境内の小石を借りて患部を擦ると治ると言われる。
無事治ったら、お礼に多摩川できれいな小石を拾って奉納するそうである。
かつては2月初午が例大祭であったが、
瀬田玉川神社の春の祭礼に合わせて変更された。
鎮座地 瀬田4-32
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
例大祭 4月15日
解説
おできの治療に霊験があり、
境内の小石を借りて患部を擦ると治ると言われる。
無事治ったら、お礼に多摩川できれいな小石を拾って奉納するそうである。
かつては2月初午が例大祭であったが、
瀬田玉川神社の春の祭礼に合わせて変更された。
上野毛稲荷神社
鎮座地 上野毛3-22
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月10日
解説
上野毛村の鎮守は下野毛の六所明神だが、当社も鎮守とされている。
昭和33年(1958)社殿を再建した。
鎮座地 上野毛3-22
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月10日
解説
上野毛村の鎮守は下野毛の六所明神だが、当社も鎮守とされている。
昭和33年(1958)社殿を再建した。