駒留八幡神社
鎮座地 上馬5-35
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月15日
解説
上馬引沢村の鎮守。
若宮八幡とも言われる。
ご尊像の背部の銘により
徳治3年(1308)当地の領主であった北条左近太郎入道成願が社殿を造営し経筒を収めたという事が知られている。
室町時代、世田谷城主吉良頼康が息子を相殿に祀り若宮八幡とし、
母常盤を弁財天として厳島神社に祀った。
伝説によると、頼康の側室に常盤という美女がいた。
彼女は他の側室の嫉妬から讒言にあい頼康の寵を失い自殺してしまった。
その時切り口から男児が生まれたがこの子もすぐに死んでしまった。
やがて真実を知った頼康は母子の非業の死を悼んで若宮八幡として祀ったという。
江戸時代には当地は大久保氏の領地となり、
天和2年(1682)大久保好長・忠義によって内陣額・華表額が奉納された。
(その時の改修で先の尊像が発見された)
寛政11年(1799)大久保伊賀守忠雄が社殿を修復した。
明治40年(1907)天祖神社が合祀され社名が駒留八幡神社に改められた。
鎮座地 上馬5-35
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月15日
解説
上馬引沢村の鎮守。
若宮八幡とも言われる。
ご尊像の背部の銘により
徳治3年(1308)当地の領主であった北条左近太郎入道成願が社殿を造営し経筒を収めたという事が知られている。
室町時代、世田谷城主吉良頼康が息子を相殿に祀り若宮八幡とし、
母常盤を弁財天として厳島神社に祀った。
伝説によると、頼康の側室に常盤という美女がいた。
彼女は他の側室の嫉妬から讒言にあい頼康の寵を失い自殺してしまった。
その時切り口から男児が生まれたがこの子もすぐに死んでしまった。
やがて真実を知った頼康は母子の非業の死を悼んで若宮八幡として祀ったという。
江戸時代には当地は大久保氏の領地となり、
天和2年(1682)大久保好長・忠義によって内陣額・華表額が奉納された。
(その時の改修で先の尊像が発見された)
寛政11年(1799)大久保伊賀守忠雄が社殿を修復した。
明治40年(1907)天祖神社が合祀され社名が駒留八幡神社に改められた。