多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

御嶽信仰

2012年06月19日 | 神社
武蔵御嶽神社追記

御嶽信仰

青梅市の武蔵御嶽神社を発祥として関東一円に広がった信仰。

御岳山は修験道の中心として栄えた山で、
創建伝説はいろいろあるが、
天平8年(735)行基が蔵王権現を勧進してから御嶽山蔵王大権現といわれ、
修験道の霊山となった。

多摩地区に多くある御嶽神社はここのご分霊を祀ったもの。

それらは江戸時代以前、蔵王権現と言われており、
明治の神仏分離により御嶽神社と改められた。

なお、長野県の木曽御嶽山ももと蔵王権現を祀っており、
修験道の聖地として古来御嶽講(おんたけこう)によって信奉されているが、
一応両者は別物であるらしい?


【青梅市 武蔵御嶽神社参道にある御嶽講の碑】



南関東を中心に広がっている御嶽講の信奉者によって碑が多く建てられている。



【武蔵御嶽神社御師馬場家住宅】



馬場家は甲斐武田氏の遺臣の家柄で代々御師を務めていた。

このような御師によって御嶽講が組織され、
下の御札などを人々に配布したりして信仰を広めた。

御師邸は大概参拝者のための宿泊施設を兼ねている。

参道の周囲には古風な造りの旧御師邸が多く残り、
現在も民宿を営んでいる。
 

【武蔵御嶽神社の眷属 大口真神(おおくちまのかみ)の御札】



伝説によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国遠征のおり、
御岳山において窮地にたった尊を救ったのが狼との事。

以来狼が御嶽信仰の神使として祀られている。

この御札は「おいぬさま」と言われる扉守札で
、倉などの戸に添付すると盗難除の効果があるという。

青梅市「武蔵御嶽神社」

2012年06月19日 | 神社
武蔵御嶽神社 

鎮座地 御岳176

祭神 櫛真智命 (くしまちのみこと) 大己貴命 (おおなむちのみこと)
    少彦名命 (すくなひこなのみこと) 安閑天皇 (あんかんてんのう)
    日本武尊 (やまとたけるのみこと)

旧格式 東京府社

例大祭 5月8日(日の出祭り)

解説 
伝説によると、日本武尊が東征の際御嶽山上に武具を蔵したため、
武蔵国と言われるようになったという。

天平8年(736)行基が東国鎮護のため蔵王権現を勧請し、
以後御嶽山蔵王大権現として広く関東全土の人々に信仰される事となった。

文暦元年(1234)東国巡歴中の大中臣国兼が夢のお告げで御嶽山に登り、
蔵王権現像を奉納し社殿を再興して後、
修験道の霊場として知られるようになった。

江戸時代には江戸城鎮護のため、それまで南向きだった社殿を東向きに改め、
徳川将軍家より代々30石を賜った。


時代ごとに武将の信仰厚く、
建久2年(1191)畠山重忠よって奉納された国宝赤糸威大鎧や、
同じく国宝金覆輪円門螺鈿鏡鞍など、
国宝・重文級の奉納品を多数蔵している。

なお、「延喜式・神名帳」に記載のある、
大麻止乃豆乃天神社を当社に比定する説もある。


武蔵御嶽神社の御神木ケヤキ


目通り幹周り 8.2m
樹高 30m
樹齢 700年
指定 国指定天然記念物
記事  日本武尊が東征の際、この地を訪れた頃から生えていたという。
    通称「神代ケヤキ」


武蔵御嶽神社の狛犬・神使



・奉納年 昭和60年(1985)
・石工 北村西望 
・右 阿形
・左 吽形
・記事 ブロンズ製。同一の物が武蔵野市井の頭公園にある。
    御嶽神社の神使は狼。



・奉納年 寛保3年(1743) 
・右 阿形
・左 吽形
・記事 旧本殿前にある。



 
・記事 摂社皇御孫社の狛猪。イノシシの神使は多摩ではこれのみ。
    近年作り直されたらしい。