御嶽神社
鎮座地 犬目町925
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 村社
別当寺 安養寺
例大祭 4月8日
解説
犬目村の鎮守。
慶応2年(1866)火災により社殿を焼失し翌年再建された。
鎮座地 犬目町925
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 村社
別当寺 安養寺
例大祭 4月8日
解説
犬目村の鎮守。
慶応2年(1866)火災により社殿を焼失し翌年再建された。
黒沢熊野神社
鎮座地 川口町2229?
祭神 伊奘諾命(いざなぎのみこと)?
旧格式 なし
別当寺 円福寺
例大祭
解説
黒沢地区の人々によって祀られた祠。
現在では鳥居をくぐって参道の階段を登っていったところに小祠(写真)があるだけだが、
江戸時代には朱印地9石7斗を賜っており、
かつての規模はもっと大きかったであろうと「新編武蔵国風土記稿」に記載がある。
創建年は不明だが、
別当寺の円福寺は承久4年(1222)源実朝の菩提を弔うために開山したというので、
当社の創建もその頃と思われる。
鎮座地 川口町2229?
祭神 伊奘諾命(いざなぎのみこと)?
旧格式 なし
別当寺 円福寺
例大祭
解説
黒沢地区の人々によって祀られた祠。
現在では鳥居をくぐって参道の階段を登っていったところに小祠(写真)があるだけだが、
江戸時代には朱印地9石7斗を賜っており、
かつての規模はもっと大きかったであろうと「新編武蔵国風土記稿」に記載がある。
創建年は不明だが、
別当寺の円福寺は承久4年(1222)源実朝の菩提を弔うために開山したというので、
当社の創建もその頃と思われる。
熊野八雲合社
鎮座地 上川町3089
祭神 高皇産霊尊 (たかみむすびのみこと)
建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)
格式 村社
別当寺 円福寺 八雲神社は永法寺
例大祭 9月2日
解説
川口次郎太夫が川口郷の鎮守として紀伊国熊野本宮のご分霊を遷したという。
明徳元年(1390)再建。
明治20年 (1897)黒沢の熊野神社に三和田の八雲神社が合祀され、
明治42年(1909)八雲神社の旧地に遷された。
市史などでは熊野神社となっているが、
写真の扁額に熊野八雲合社とあるので社名はそのようにした。
鎮座地 上川町3089
祭神 高皇産霊尊 (たかみむすびのみこと)
建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)
格式 村社
別当寺 円福寺 八雲神社は永法寺
例大祭 9月2日
解説
川口次郎太夫が川口郷の鎮守として紀伊国熊野本宮のご分霊を遷したという。
明徳元年(1390)再建。
明治20年 (1897)黒沢の熊野神社に三和田の八雲神社が合祀され、
明治42年(1909)八雲神社の旧地に遷された。
市史などでは熊野神社となっているが、
写真の扁額に熊野八雲合社とあるので社名はそのようにした。
熊野神社
鎮座地 川口町3073
祭神 伊奘册命(いざなみのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 長福寺
例大祭 9月19日
解説
かつて黒沢長福寺の鳥栖観音院内に熊野権現社として祀られていたという。
安政4年(1857)現在地に遷された。
鎮座地 川口町3073
祭神 伊奘册命(いざなみのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 長福寺
例大祭 9月19日
解説
かつて黒沢長福寺の鳥栖観音院内に熊野権現社として祀られていたという。
安政4年(1857)現在地に遷された。
琴平神社 美山町977
祭神 金山彦命(かなやまひこのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 4月第二日曜
解説
北条氏照の重臣の屋敷があったという山入字御屋敷の巽の神として祀られた。
あるいは文化2年(1805)創建という。
例大祭では日枝神社と交代で一年おきに獅子舞が奉納される。
祭神 金山彦命(かなやまひこのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 4月第二日曜
解説
北条氏照の重臣の屋敷があったという山入字御屋敷の巽の神として祀られた。
あるいは文化2年(1805)創建という。
例大祭では日枝神社と交代で一年おきに獅子舞が奉納される。
川口日枝神社
鎮座地 川口町1153
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
旧格式 村社
別当寺 法蓮寺
例大祭 4月1日
解説
嘉元年間(1303~5)以前に近江日吉大社西本宮のご分霊を遷したという。
天文4年(1535)社殿再建。
鎮座地 川口町1153
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
旧格式 村社
別当寺 法蓮寺
例大祭 4月1日
解説
嘉元年間(1303~5)以前に近江日吉大社西本宮のご分霊を遷したという。
天文4年(1535)社殿再建。
甲神社
鎮座地 犬目町354?
祭神 ?
旧格式 なし
別当寺 安養寺
解説
兜神社ともいわれている。
社名は、天正18年(1590)八王子城攻めの際に、
豊臣方の兵士が木に兜を掛けて敵の目をごまかした事に由来するという。
鎮座地 犬目町354?
祭神 ?
旧格式 なし
別当寺 安養寺
解説
兜神社ともいわれている。
社名は、天正18年(1590)八王子城攻めの際に、
豊臣方の兵士が木に兜を掛けて敵の目をごまかした事に由来するという。
今熊神社
鎮座地 上川町19
祭神 建速須佐男命 (たけはやすさのおのみこと)
月夜見命 (つきよみのみこと)
旧格式 村社
別当寺 正福寺
例大祭 8月最終土日
解説
安閑天皇の妃が行方不明になり、
当社に祈願したところ無事戻ったという。
この伝説から今熊山は、尋ね人や失物捜しに霊験ありとして「呼ばわり山」と言われている。
また、紀伊国熊野本宮の御分霊を遷し今熊野宮と称したともいう。
貞治3年(1364)正福寺訪印重圓が寺の守護神として再建し今熊野大権現といわれ、
明治になって現在の社名に変更された。
なお正確には、写真の社殿は遥拝所で背後の山がご神体である。
鎮座地 上川町19
祭神 建速須佐男命 (たけはやすさのおのみこと)
月夜見命 (つきよみのみこと)
旧格式 村社
別当寺 正福寺
例大祭 8月最終土日
解説
安閑天皇の妃が行方不明になり、
当社に祈願したところ無事戻ったという。
この伝説から今熊山は、尋ね人や失物捜しに霊験ありとして「呼ばわり山」と言われている。
また、紀伊国熊野本宮の御分霊を遷し今熊野宮と称したともいう。
貞治3年(1364)正福寺訪印重圓が寺の守護神として再建し今熊野大権現といわれ、
明治になって現在の社名に変更された。
なお正確には、写真の社殿は遥拝所で背後の山がご神体である。
法蓮寺八幡社
鎮座地 川口町2474
祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 法蓮寺
例大祭 9月15日
解説
貞享4年(1687)法蓮寺24世覚阿によって寺の鎮守社として創建された。
その後宝暦6年(1709)享保20年(1735)文政8年(1825)の再建の記録がある。
付近にもう1社八幡神社があるが同様の祠か?
鎮座地 川口町2474
祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 法蓮寺
例大祭 9月15日
解説
貞享4年(1687)法蓮寺24世覚阿によって寺の鎮守社として創建された。
その後宝暦6年(1709)享保20年(1735)文政8年(1825)の再建の記録がある。
付近にもう1社八幡神社があるが同様の祠か?
堀口神明社
鎮座地 川口町1984
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 9月3日
解説
堀口地区の人々によって祀られた祠。
樹齢800年といわれるご神木があったが、
昭和41年(1966)の台風で倒れたため伐採されてしまった。
鎮座地 川口町1984
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 9月3日
解説
堀口地区の人々によって祀られた祠。
樹齢800年といわれるご神木があったが、
昭和41年(1966)の台風で倒れたため伐採されてしまった。