「日本の性教育は遅れている」と指摘されて久しいですが、
海外の一例として、カナダの性教育を取りあげた記事が目に留まりましたので紹介します。
この記事の中で「男の性欲」「女の性欲」という言葉が何度も出てきます。
性欲…性交渉による快感を得たいという欲望、と思われますが、
実は動物には「性交渉による快感」は存在しないことになっているのです。
知ってました?
チンパンジーは繁殖期になると、
メスのおしり(外性器)が赤く目立つようになります。
「性交、OKですよ〜」
というサインですね。
それを見たオス(ボスざる?)が近づいてきます。
行為に及ぶかと思いきや、なんとメスの外性器に指を入れるのです。
そこの状態(温度?湿度?)を確認し、
「まさに今この時」
と判断して初めて性交に及ぶとのこと。
「まだ準備不足」
と判断すれば性交に至りません。
つまり、動物にとっては純粋に「性交=繁殖行為」であり、
そこに快楽や快感は存在しません。
ライオンがハーレムをつくり、
一頭のオスが複数のメスに種付けするというシチュエーションがあります。
男性にとっては憧れの風景…と思いきや、
なんとオスは3日間に200回も性交を行うらしいんです。
…人のオスにできる?〜死んでしまう。
ではなぜ、人の性交渉には快感が与えられたのでしょう。
これがために、悩んだり、犯罪が起きたりしています。
先日NHKのドキュメンタリーで「性」を科学的に扱っていました。
・ヒトは2足歩行をはじめたことで骨盤が小さくなり、子どもを未熟な状態で産まざるを得なくなった。
・そのため子育てに手がかかり、女性だけでは無理なので、“絆”を発明し、“快感”が与えられ、男性とカップルで子育てするようになった。
・この“絆”こそが“愛”の原型である。
というような内容でした。
前置きが長くなりましたが、「カナダの性教育」の記事に話を戻します。
<ポイント>
・カナダの女子中学校の性教育では2年生でまず「自分が初めてセックスをするとしたらどんなシチュエーションか」を考える授業をする。3年生ではコンドームの使い方を実際に模型に着用する授業や、マスターベーションについての説明もある。
・セックスはあくまでも、恋愛などの相手との関係性の流れの中にあり、コミュニケーションの一貫である、ということを先に教わる。
・日本の性教育では性感染症や妊娠の危険や避妊については教えてくれるけど、じゃあそもそもその原因となるセックスというものが一体どういう場面で始まってしまうのか、それってどんな状況かについて教えないし、考える機会もない。
記事はこちら;
■ 中2で「初めてのセックスはどんな状況か」を考えさせる
…日本と全然違うカナダの性教育最初に「相手とのコミュニケーションの一環である」ことを学ぶ
田房 永子:漫画家
(2022/11/11:PRESIDENT Online)より一部抜粋;
海外の学校ではどのような性教育が行われているのでしょうか。漫画家の田房永子さんは「ある女性がカナダの中学校の性教育で、『初めてのセックスはどんなシチュエーションかを考えてくる』という宿題を出されたという話に衝撃を受けた」といいます――。
▶ 「男性の性欲は女性のそれとは比べものにならない」のか
日本の小中高では、第二次性徴として女性には「生理」があり男性には「射精」がある、と性教育でならうのが一般的だと思います。
生理は生殖にまつわることで、射精は生殖にまつわりながら性欲と切り離せない機能。それを男女の“対”として教わることで、暗に「女性には性欲がない、もしくは男性に比べてわざわざ教えるほどでもないくらい弱い」かのような印象が刷り込まれているように思います。
それにより男女がお互いの無理解は深まり、溝を複雑化させているんじゃないか。私はそう思ってきました。
男性のように射精とセットになっていないだけで、生理と別のところにちゃんと性欲は存在しているし、「男性のほうが女性より性欲強い」とかそんな簡単じゃなくないか?
状況とか体調とかによってぜんぜん変わるし、個人差も相当ありますよね?
どうも教科書で習ってきたことと、実際の出来事のつじつまが合わなすぎるんですよね。どう思います?
・・・
私にとってはその「男の性欲は女のそれとは比べ物になりませんよ」というコメントで会話が終了してしまうことこそが「生理と射精セットにして教えることによって女性の性欲ないことになってる問題」そのものなわけです。
▶ カナダの性教育に受けた衝撃
その会場にお客さんとして来ていた、ちゃんまりさんという女性が話してくれたカナダの性教育に衝撃を受けました。
日本の性教育ではまず、男女の体の違いや第二次性徴、精子と卵子と精子の受精についてを習います。だけど、ちゃんまりさんが通っていたカナダの女子中学校の性教育では2年生でまず「自分が初めてセックスをするとしたらどんなシチュエーションか」を考える授業をするんだそうです。
セックスはあくまでも、恋愛などの相手との関係性の流れの中にあり、コミュニケーションの一貫である、ということを先に教わるんだって。
▶ 中2の宿題「初めてのセックスのシチュエーションを考える」
一番最初に出た課題が「自分の初めてのセックスはどんなシチュエーションか考えてくる」というもので、それが宿題で出され、ちゃんまりさんは寮の食堂で考えていたそうです。小学校までは日本にいたちゃんまりさん、「セックスというものは男性が誘ってくるもの」という前提で課題を記入していたら、寮母さんがそれを見てこう言ってきたんだそうです。
「女性側から誘うこともあるよ」
ちゃんまりさんは「ええー! そうなんだ! 女性にも性欲があっていいんだ」とビックリした、というお話でした。
私は聞いていてブワーッと鳥肌が立ちました。それ、それだよ、それやねん、それですねん!
▶ 性欲にもいろいろな感情や欲求がある
日本の性教育では性感染症や妊娠の危険や避妊については教えてくれるけど、じゃあそもそもその原因となるセックスというものが一体どういう場面で始まってしまうのか、それってどんな状況かについて教えないし、考える機会もない。そういうことを教えてくれる教員にあたらないかぎり。
ちゃんまりさんは「日本では性欲=エロティックなものってことになっているけど、本当は性欲の中には『さみしい』であったりいろいろな感情や欲求が入ってるはず」と話してくれました。
本当にそうだと思う!
エッチなものを見たり触れたりした時に体から湧いてくる欲求を「性欲」と呼ぶとしたら、誰かと性的接触を交わらせたいという欲求は「性行為欲」って感じで、またちょっと違くない? と私も思ってた!
「性行為欲」の中には、相手に対して「性欲」をしっかり感じて行う、というだけではなくて、さみしい、つらい、みたいな感情がもとになって行動に移す時もあるだろう。「友達がもう経験済みだから自分もやらなきゃ」という焦りだったり、「相手の欲求に応えてあげたい」とか「応えないといけない空気」とか。時には自暴自棄な状況なこともあるだろうし、相手にマウントをとりたくて性行為を誘うとか。
それは男性でも女性でも、相手の性別も関係なく、セックスというものをする時の動機とか衝動って、「性欲=エロい気持ち」という一つだけでは本来片付かないくらいいろいろあるんじゃないだろうか。
ちゃんまりさんが通っていたカナダの女子校では、そのコミュニケーションとしてセックスを考える授業を2年生で行い、3年生ではコンドームの使い方を実際に模型に着用する授業や、マスターベーションについての説明もあったそうです。
ちゃんまりさんはWEBラジオでその話をしているので、詳しく知りたい方はぜひ聴いてみてください。(ちゃんまりとめいのMellowing Coke!)
▶ 相手の性別、性的同意の基準…考えるきっかけに
「自分が初めてセックスをする状況って一体どんな感じか?」を中学生で考えるってすごい。そこで「セックスすることがぜんぜん想像できないな」と思う人もいるだろうし、相手の性別とかも自分で認識することができるし、自分の性的同意の基準みたいなものを、漠然とでも想定することができる。実際にセックスすることになった時「これは違う」とか分かりやすいんじゃないかと思う。
実際に日本の学校でそういう授業をするなんて、先生たちの負担が大きいし今すぐは難しすぎると思うけど、自分1人でも「自分が初めてセックスをする時ってどんなシチュエーションだろう」と想定してみることは、男子にとっても女子にとっても必要だから、大人がその機会を設けてあげるのはいいことだと思いました。
▶ 女性にも「我慢できない」があるのではないか
性のお悩み相談で「彼がコンドームをしてくれない」という質問をよく見ます。回答は「避妊してくれない相手とはすんな」の一択なわけですが、こういう時、男性が避妊してくれないのと同じくらい、女性側が「我慢できない」状況になってしまうケースも危険性がある。男性のほうが「ゴムないからやばいよ」って言ってるのに、女性が「いいから」みたいなこと。
しかし「女性側の性欲が高まってしまった時に、性感染症と妊娠の危険性をどう回避すればいいのか」っていう質問はあまり見たことがありません。
それも、生理と射精がワンセット性教育からの、暗に漂う「女性の性欲はない」認識からの、つまり「女性側が性感染症と妊娠の危険から自分の身を守れなくなるほど性欲が高ぶることはない」というような前提があるおかげで、女性側はそういうケースを表立って言いづらい空気っていうのはあると思う。
・・・
日本の性教育やセックスにまつわる話って、男性だけに性欲があって、女性はいつでも受け身で常に自分の身を守ることを第一にしているものだ、という現実とは違う設定が土台になりすぎてる。それによって話さなければいけないことが言えなかったり、現実に起こることを「ない」ことにしなきゃいけなかったりする。
男性は「性欲があります」ってことを自ら言わなくても、「ある」という前提で世の中が回っている。それによって困っている男性もいると思うけど、その存在は無視されている。 一方、女性は「ない、弱い、薄い」という前提で世の中が回っている。そのくらい隠されているほうが助かる女性も多い。でも私は窮屈さを感じてきた。
・・・
性教育やなんかでは、女性は男性の猛り狂う性欲から自分の身を守らなければならない、みたいなところばかり教わっているから、いつも自分の性欲を否定されているような気持ちになる男性もいるのかな、と思います。ぜんぜん違うかもですが。
性欲が高ぶっちゃう時があるとかないとかは男女ともに個人差であり、状況にもより、でも男女の身体のつくりや機能はまったく違う部分があって、妊娠に至っては女性が心身に受ける深刻さはそれこそ男性のそれとは比べものになりません。だからそこは当然ちゃんと教わらなきゃいけない。だけどセックスって楽しいものでもある。自分の性欲と相手の性欲が合致した時ってめちゃくちゃうれしいし、愛があふれることもある。
反面、性暴力になってしまうこともある。その被害がどういうものなのか、どういうことをしたら加害になってしまうのか。それを理解するためにも、その「どういうセックスを自分は望んでいるか」という自分の欲求について思いをはせることって大切じゃないだろうかって思います。
余談ですが、女性が性行為の際にエクスタシーに達し、体がピクつくことを経験された方がいらっしゃると思います。
あのピクつきは男性の射精と同じ生理現象なんだそうです。
つまり、外性器は違うけれど、感受性は変わらないということ。