小児アレルギー科医の視線

医療・医学関連本の感想やネット情報を書き留めました(本棚2)。

「イギリスの医療は問いかける」

2009年06月22日 06時44分27秒 | 小児医療
副題 ー「良きバランス」へ向けた戦略ー
森 臨太郎 著、医学書院、2008年発行

日本の医療行政が迷走を続けています。
何が問題でどう変えればいいのか?
そんな疑問に海外での臨床経験のみならずイギリスの医療行政にも関わった経験のある小児科医が「外から見た日本の医療」という視点で答えた本です。

新聞・マスコミは医療の質を比較するのに数字をよく使います。
しかし、各国の医療システムが随分異なるので数字による単純比較は必ずしも真実を伝えないのかな、とこの本を読んで感じました。

<イギリスと日本の医療の違い>

■ イギリスでは「内科」「小児科」「外科」と同じレベルの専門科として「家庭医」「救急科」が存在する。
「家庭医」は日本の「開業医」と同じような役割を担っているが、成り立ちが違う。医師になり一定の研修後に「家庭医コース」を選択して研修を積み、資格を取って初めて「家庭医」として働くことができる。
日本のように勤務医時代は内科医として働いていた医師が開業するときに「内科・消化器科・小児科」などと専門外を標榜することはあり得ない。さらに「家庭医」は国家公務員であり、地域に何人と人数が決まっているので過剰・過疎はあり得ない。日本のように自由に開業できるわけではない。
 なお、イギリスでは医学校を卒業したらそのまま医師登録ができる。医師国家試験というものはない。

■ イギリスでは患者が医師を選択できない。
 いかなる病気でもその地域の「家庭医」(国家公務員)をまず受診しなければならない。専門科を受診したくてもできない。家庭医が必要と判断すれば紹介状を書き、そこで初めて専門科の診療を受けることができる(しかしアトピー性皮膚炎患者がアレルギー専門医の診察を受けるには予約して3ヶ月待ちと聞いたことがある)。当然、ドクターショッピングなどあり得ない。
 救急疾患は例外で、大病院がそれを担う。真の救急疾患には迅速な対応と集中治療が施されるが、軽症例はトリアージによりひたすら待たされる(ロンドンで救急外来に行くくらいなら、ユーロトンネルを通って電車でパリに行った方が早く見てもらえるというジョークがある)。
 近年「NHS Direct」と「NHS Walk-in Care」という2つのサービスが導入された(国営です!)。
① NHS Direct:24時間の電話サービスで、ちょっと心配なことがあれば、電話でベテランの看護師さんに相談に乗ってもらえる。
② NHS Walk-in Care:大きな病院にくっついた形で行われる外来。予約なしで看護師に診察してもらい、多少の薬の処方や傷の手当てくらいならしてもらえる。
(・・・日本もこのシステムを導入すれば小児科医の負担が減って医療崩壊に歯止めがかかるのになあ)

■ イギリスでは中小病院が存在しない。
 日本のように「市」単位で総合病院は存在しない。県レベルの広さに5個くらいの大病院があるのみ。そこに医師が集中している。
 これは「病院における小児科医の数の平均」に表れる。
 日本では1.8人、イギリスでは20人!
 ではイギリスには小児科医が多いのか?・・・否である。
「人口10万人当たりの小児科医の数」は日本80人、イギリス28人。
 なぜこういう数字になるのか?
 病院の数が違う。小児科のある病院の数は、
 日本:3528、イギリス:204。
 つまり、イギリスでは大病院に多数の小児科医が勤務し、中小病院に数人勤務する日本とは大きく異なる。
 近年、日本でも「医療崩壊」という名の下に中小病院小児科が消滅してきている。これは自然淘汰とも言えるかもしれない。

■ 労働条件が異なる。
 日本では労働基準法を守っている小児科医など見たことがない。労働基準法を守ったら医療そのものが成り立たなくなるというのも変な話である。一人ひとりの医師たちの超人的な頑張りで支えられてきた日本の医療の質ではあるが、医師本人の健康(肉体的にも精神的にも)が守れないのが現状である。
 医師は良心を失ってはならないが、国民は医師の良心にこれ以上頼ってはいけない。
 イギリスの医師の勤務時間は日本と比較するとかなり少ない。救急科や周産期医療ではシフト制を取っており、一次医療と二次・三次医療の棲み分けがはっきりしている。さらに現在、EUの標準勤務時間に合わせるための努力がなされており、2009年までに週48時間という目標が設定され実現に向けて努力がされている。

■ 医療にとって市場主義と社会主義はどちらがよいか?
 イギリスでは第二次世界大戦後社会主義的医療となった。医療を国営としNHS(National Health Service)を設置し、NHSの財源を税金とし、医療の無料化を実現した。
 その後競争のない社会主義的医療は制度疲弊を起こしはじめ、効率・サービスの質が低下した。
 1979年に首相となったサッチャー女史は「新自由主義」を唱え、医療を民営化しようとした。しかし国民の抵抗に遭い、市場主義原理の導入にとどまった。
 1997年に首相となったブレア氏は「第三の道」(完全な社会主義政策でもなく完全な自由主義でもない第三の道)をキーワードとしバランスの良い医療を模索した。完全な社会主義では理論的に平等に富が分配されるが、結局は効率の低下と社会の停滞、生産性の低下を招く結果になる。完全な自由主義政策では弱肉強食の世界となり、社会に格差を生み、結局は社会全体の治安や健康指標を落とすことになる。
 日本の医療制度は社会主義的だという人も多いが、その多くは個人保険中心の米国との比較である。診療報酬は統一価格であり社会主義的側面を持つが、どのような場所にも自由に開業を許され、医師の給料も自由に変えられるのは自由主義的側面であるといえる。また国民皆保険の財源は税金ではない。日本はイギリスと米国の間くらいに位置する医療制度と言える。

■ 日本の開業医とイギリスの家庭医の違い
①イギリスの家庭医は家庭医としての研修が必須であるが、日本の開業医はそのような研修を受けていない。
②イギリスの家庭医は国家公務員であり給料は一定である。ポストの数も限られている。
③イギリスの家庭医は余分な検査・投薬が行われない。収入に結びつかないからである。一方日本の開業医は借金をして土地を買い医院を建てて開業するので「商売」的側面がある。検査・投薬によりある程度「儲ける」ことができるシステムである。

<日本の医療への処方箋>

■ 日本の医療費は対GDPにおいて先進7カ国で最低である。最小限のお金しか払わないのであれば、それに値するサービスしか受けられないのはこれまたものの道理である。
 すべての機能が揃っている大きな病院が自宅近くにあり、ふだんの診療から入院加療が必要な高度な医療まで診てもらえれば、それがベストかもしれない。そのためには当然、医療費を上げなければならず、国民の財政的負担も大きくせざるを得ない。

■ 完全な医療費の無料化は避けるべきである。医療の無料化が進んだ部分は過剰医療が顕著である。
 例えば、老人医療が無料化されて、どれだけ余分な薬が処方されたか、小児医療が無料化されて、どれだけ非常識な時間帯に非常識な理由で救急外来を受診する例が増えたか、医療従事者の間ではよく知られていることである。夜中の2時に受診しても朝の10時に受診しても、同じ値段で同じ質の医療が受けられるのであれば、自分の行きたい時間に行くのが当たり前であるが、提供する医療に要する費用は何倍も違う。

■ 小児救急で当直をしていると、休みなく夜が明けるまで診療を続けることになるが、これを「宿直」扱いとしている病院は多い。宿直というのは学校の先生の宿直と同じで、不測の事態のために一晩そこに泊まっている当番のことである。その時間帯ずっと仕事をしていることを想定して給料は設定されていない。
 医師の労働条件に関しては、労働基準法の中にいくつもの抜け穴が許されていることであり、全くざるのようになっている。改善なくして医療崩壊を止めることはできない。
 

以上読んできて、日本の医療行政の大きな失敗は「家庭医科」と「救急科」を育ててこなかったことに尽きるような気がしてきました。現実に困っているのはこの2点でしょう?
 イギリスも一時医療費が先進国の中で日本と同じく低い部類でしたが、両国を比較するとだいぶ内容が違うことに気づきます。イギリスは不必要な診療を排除するシステムを構築して医療費を抑制しましたが、日本は患者側の希望を優先してフリーアクセスはそのままに、単価(診療報酬)を抑えて医療費を抑制する方向、つまり薄利多売状態へ持っていったのです。その結果が現在の「医療崩壊」ですね。
 小児救急医療を救う処方箋として、まず「NHS Direct」レベルの24時間電話相談サービスを是非実現していただきたい。そこで必要と判断された患者さんのみが病院を受診するようになれば小児科医の負担は1/3に減ることでしょう。
 小児科医を増やす必要はありません。現在、大学医学部の定員を増やしていますが、労働条件を改善しなければザルに水を流すだけで何の解決にもなりません。

<余談> WHOのシンボルマークに蛇がいる理由・・・ギリシャ神話に出てくるアポロンとコロニスの子、アスクレピオスは死者でさえ蘇らせたといわれ、医学の象徴となっており、そのためアスクレピオスの持つ蛇の巻きついた杖は多くの医学校の紋章に使われているそうです(WHOも)。
 
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「麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか」

2009年06月07日 12時16分53秒 | 感染症
岩田健太郎著、亜紀書房、2009年発行。

著者は新進気鋭の感染症学者です。
現在騒いでいる新型インフルエンザへの政府の対応は端で見ていてもやきもきするレベルでしたが、岩田先生がブレインになって少し落ち着いてきたとの噂もあります。

小児科の開業医を受診する患者さんの約8割は風邪を含めた感染症です。
しかし、医学生時代の講義は珍しい代謝異常などの解説がメインで、感染症にあまり重きを置かれていませんでした。
なぜなんだろう?
その答えの一つがこの本に書かれていました。
それは感染症の「あいまいさ」。
「病原微生物に触れたからといって感染するとは限らない。感染したとしても必ずしも発症しない。発病したとしても極めて大きな個人差がある」ということ。
一方、先天性代謝異常疾患では発症の確率が数字で出せますし、疾患のメカニズムも解明され、治療法も明確です。

実際、感染症に関する知識は、医者になって現場で患者さんと対峙しながら勉強して知識を増やしていく要素が大きいのです。
小児科医の私自身、自分の診療内容が5年前、10年前とは少しずつ異なってきていると自覚しているくらい。
抗生物質の処方率も随分減りましたし、西洋医学では解決できない訴えには漢方薬の力を借りるようにもなりました。

され、本書は日本における矛盾に満ちた感染症治療の現場からの報告、といった内容です。
日本以外での診療経験もある著者は、日本の感染症行政の欠点も見事に指摘しています。
現場の私には「ウンウン」と頷けることばかりで「よくぞ言ってくれた!」と拍手したいところも多々あります。
一般読者の他、感染症治療に関わるすべての医師に読んでいただきたいお薦めの本です。

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