一般に、医療(保険診療)で用いる薬剤の使い方は、その薬の説明書である「添付文書」に従います。
しかし、時代を経ると、病気とその治療に対するスタンスが変わり、添付文書の内容が古く感じられることもしばしば。
その際に参考になるのが「ガイドライン」で、各専門学会が公表しています。
さて、薬の副作用で後遺症が残ったという医療事故が起きた場合、その薬剤が添付文書上は対象疾患に適応がなかった、でもガイドラインには記載があった、という場合、どうなるのでしょう。
法律違反になるのか、それともその時の標準治療として認められるのか・・・臨床現場での悩みです。
この点に関して、医療問題専門弁護士さんの書いた記事を見つけました。
結論から申し上げると、
・医師は添付文書に記載された注意義務を必ず順守しなければならないものではないが、それに反する措置を取った場合には、その合理的理由を明らかにする必要がある。
・医療機関の主張する理由が当時の医療水準に照らして合理性を有していれば、過失は認められず、医療機関において合理的理由が説明できないのであれば、過失が認められることになる。
・添付文書と異なった使用方法であったとしても、“特段の合理的な理由”があれば、医師の過失は推定されない、その使用方法が診療ガイドラインの推奨に則していた場合には、“特段の合理的な理由”があることの有力な根拠になり得る。
ということのようです。
私が困っているのが漢方の使い方です。
例えば麻黄湯。
この薬は、「乳児の鼻閉」に適応があります。かぜ気味で鼻がズコズコ・フガフガつらそうなときに、この漢方薬を練って口の中になすりつけ、その直後におっぱいで飲み込ませると鼻づまりが改善するのです。
ところが困ったことに、麻黄湯の添付文書には「小児に対する安全性は確立されていない」とも記載されています。
???
「乳児の鼻閉」に適応があるのに「小児に対する安全性は確立されていない」とはどういうこと?
使っていいの、それともいけないの?
→ 製薬会社のMRさんに何回質問してもうやむやな返事しかもらえません。
二つ目の記事にあるように「添付文書は、製造業者や輸入販売業者が責任を問われないようにするために、わずかでも危険性があれば使用上の注意事項に記載しており、それに従っていると、重症患者や緊急を要する患者等に処方する薬がなくなってしまう」
という現実があります。
現場に責任を丸投げしているのですね。
大きなストレスです。
■ 添付文書とガイドラインで異なる記載、どちらを優先?
(2019/7/10:日経メディカル)
桑原 博道 淺野 陽介(仁邦法律事務所)
医薬品の使用が関係する医療訴訟で、医師の過失などを判断する材料として医薬品の添付文書が重視されることはご存じかと思います。
実際、この点については有名な最高裁判例があり、「医師が医薬品を使用するに当たって添付文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される」としています(1996年1月23日判決)。
この最高裁判例について少し解説しますと、一般の医療訴訟では、医師の過失を証明する責任は原告(患者側)にあり、医師の過失が推定されることはありません。しかし、添付文書と異なった使用をした場合には、そうした使用について「特段の合理的理由」がない限り、医師の過失が推定されるという判断が示されたわけです。
ただし、「特段の合理的理由」があれば医師の過失は推定されないため、医師側としては「特段の合理的理由」があるかどうかが重要になります。医薬品の使用が関係する医療訴訟では、この考え方が現在の裁判実務を支配しています。
◇ 禁忌だったにもかかわらず過失を否定
他方、学会などが関わって多くの診療ガイドラインが作成されていますが、中には医薬品の使用に関する添付文書の記載と診療ガイドラインの記載とが異なっている場合もあります。では、こうした場合、どちらを優先すべきでしょうか。
この点について、裁判例を3つ紹介します。
1つ目の裁判例は、脳出血急性期の患者に対し、カルシウム拮抗薬のペルジピン(一般名ニカルジピン)の静脈内注射をしたものの、当時(2005年9月)のペルジピンの添付文書では、頭蓋内出血で止血が完成していないと推定される患者や、脳卒中急性期で頭蓋内圧が亢進している患者については、使用が禁忌であったという事例です。
2013年11月13日岡山地裁判決は、このケースにおける投与は2005年9月時点の添付文書上、禁忌だったとした上で、こうした禁忌事項には科学的根拠がなく、海外のガイドラインと矛盾しているとしました。さらに、国内の使用状況とも合致せず、ペルジピンに代わる脳出血急性期に安全で有効な降圧薬がないという理由で、2008年に日本脳神経外科学会から見直しの要求がなされ、2009年7月にはペルジピンの添付文書から本件禁忌事項が削除された点を指摘。これらの事情からすると、本事例で添付文書の記載に従わず、ペルジピンの静脈内注射をしたことについては「特段の合理的理由」があり、過失は認められないとしました(結論も請求棄却)。
◇ 「ガイドラインで推奨、保険適応なし」の場合は?
2つ目の裁判例は、妊娠高血圧症候群(PIH)の管理目的で入院していた妊婦がHELLP症候群を発症し、子癇発作を併発したのに対し、硫酸マグネシウムを投与しなかったことの過失が問われた事例です。診療ガイドラインでは、重症のPIHの妊婦に対して分娩後に硫酸マグネシウムを予防投与することが推奨されていましたが、こうした投与について保険適応はありませんでした。
こちらの事例について2009年12月16日名古屋地裁判決は、子癇発作の予防措置として硫酸マグネシウムの投与が有効との報告があることや、PIH管理ガイドラインの2009年版においても、保険適応はないものの副作用に注意しつつ、重症PIHの妊婦の分娩後に予防投与することが推奨されている点を指摘。一方で、上記の各報告やガイドラインにおいても、全ての子癇発作が予防できるとまではされておらず、子癇の予防目的での投与としては保険適応がないことを考えると、標準的な予防法であるとみるのは困難であるとし、予防措置として硫酸マグネシウムを投与しなかったからといって過失は認められないとしました(他の点で過失が認められ、結論は約8400万円の賠償命令)。
3つ目の裁判例は、関節リウマチ患者に対するリウマトレックス(一般名メトトレキサート)の投与中に発熱や咳嗽、呼吸困難が認められたのに対し、その時点でリウマトレックスの投与を中止しなかったことの過失が問われた事例です。添付文書には、投与開始後に発熱、咳嗽、呼吸困難などの異常が認められた場合には、速やかに検査をし、リウマトレックスの投与を中止するとされていました。また、関節リウマチ治療におけるメトトレキサート(MTX)ガイドラインにおいても、急に発熱、咳嗽、息切れ、呼吸困難が見られた場合には投与を中止することが記載されていました。
こちらの事例について、2015年10月22日さいたま地裁判決は、添付文書や診療ガイドラインに投与中止の記載があり、さらには同様に記載する文献や論文も多くあるので、合理的な理由がない限りはリウマトレックスの投与を中止すべきであるとの判断を示しました。
裁判で医師側は、(1)リウマチの治療の必要性を整形外科に確認し、必要性を肯定する回答を得た、(2)リウマトレックスを中止するとリウマチ性の肺炎を悪化させる可能性がある――ことを、「合理的な理由」として挙げました。しかし裁判所は、(1)については、本件で整形外科の医師がリウマチ治療のためにリウマトレックスの投与継続の必要性があると回答したとは言えず、(2)については、被告(病院側)の意見書作成医が、リウマトレックスはリウマチの関節症状には奏功するが肺症状に奏功するというエビデンスがないと証言していると指摘。投与を中止しなかったことに合理的理由があるとはいえず、過失が認められるとしました(死亡と過失との因果関係は否定され、「死亡時点でなお生存していた相当程度の可能性がある」という「相当程度の可能性」の理論により660万円の賠償命令)。
◇ 添付文書とも診療ガイドラインとも異なる場合は…
これらの裁判例から、次のことが分かります。まず、添付文書と異なった使用方法であったとしても、「特段の合理的な理由」があれば、医師の過失は推定されないわけですが、その使用方法が診療ガイドラインの推奨に則していた場合には、「特段の合理的な理由」があることの有力な根拠になり得るということです。
1つ目の裁判例は、このパターンに該当しますが、事案発生後の事情として、添付文書の記載が変更になったことも裁判所の判断に影響を及ぼしたと言えそうです。ちなみに、この事例で添付文書の変更が行われたのは、学会からの具体的な根拠に基づく見直し要求が背景にあったようです。疑問に思われる添付文書の記載に対しては、学会として見直しを要求することが有用なようです。
次に、診療ガイドラインで推奨される治療を行わなかったとしても、保険適応がなければ過失が認められない場合があるということです。2つ目の裁判例は、そうした判断を示したものですが、判決では、診療ガイドラインで全ての子癇発作が予防できるとまではされていないことを指摘していますので、診療ガイドラインで推奨される治療を行わない場合には、推奨の意味合いも含めて考慮した方がよさそうです。
最後に、3つ目の事例は添付文書とも診療ガイドラインとも異なった治療を行ったもので、そのことをもって直ちに過失を認めたものではありませんが、結論としては過失を認めています。こうした治療を行う場合には、患者の特性などの具体的事情からやむを得ないと言えるのか、慎重に議論や考察をしておいた方がよいでしょう。
■ 「添付文書に従わないと裁判で負ける」の誤解
(2019/9/24:日経メディカル)より抜粋
大島 眞一(奈良地家裁所長)
医薬品は、これに添付する文書等に用法、用量、その他使用および取り扱い上の注意などを記載しなければならないとされています(医薬品医療機器等法52条1項)。では、医師がその注意義務に反することをした場合に、過失は認められるでしょうか。
これに関する判決として、最高裁平成8年1月23日判決(民集50巻1号1頁)があります。
1 事案の概要
虫垂炎に罹患したX(当時7歳5カ月)がY病院で虫垂切除手術を受けました。手術中に血圧低下による心停止に陥り、蘇生はしたものの重大な脳機能低下症の後遺症が残りました。
Xに対し使用された麻酔薬(0.3%のペルカミンS)の副作用として、注入後に血圧低下を来す例があることは、かなり古くから知られていました。昭和30年代にはこれによる医療事故も多発したため、腰椎麻酔中は「頻回」に血圧の測定をする必要があるということ自体は臨床医の間で広く認識されていましたが、「頻回」とはどのくらいの間隔をいうのかは一致した認識があったとは言えませんでした。
そこで昭和47年から、ペルカミンSの添付文書に、麻酔薬注入後10分ないし15分までの間、2分間隔で血圧の測定をすることが注意事項として記載されるようになりました。もっとも、本件で問題となった昭和49年当時の医療現場では、必ずしも2分間隔での血圧測定は行われておらず、5分間隔で測定すればよいと考える医師もかなりいたようで、本件でも、医師は5分間隔で測定するように指示していました。
2 判決
最高裁は、次の通り述べて、患者側の請求を棄却した名古屋高裁判決を破棄し、差し戻しました。
医師が医薬品を使用するにあたって添付文書に記載された使用上の注意義務に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される。仮に当時の一般開業医が添付文書に記載された注意事項を守らず、血圧の測定は5分間隔で行うのを常識とし、そのように実践していたとしても、それは平均的医師が現に行っていた医療慣行であるというにすぎず、これに従った医療行為を行ったというだけでは、医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたことにはならない。
3 解説
医療用医薬品の投与を受ける患者の安全を確保するため、最も高度な情報を有している製造業者または輸入販売業者は、医薬品の効能や危険性を明記し、医師等に必要な情報を提供することが義務付けられています。ですから、医薬品を使用する医師には、添付文書に記載された注意事項に従って使用すべき注意義務があるといえます。
もっとも、この点については医師から根強い批判があります。「添付文書は、製造業者や輸入販売業者が責任を問われないようにするために、わずかでも危険性があれば使用上の注意事項に記載しており、それに従っていると、重症患者や緊急を要する患者等に処方する薬がなくなってしまう」「併用禁止、併用注意とされていても、いろいろな病気を併せ持っている患者には併用せざるを得ないことがある」「患者の病態や体質等に応じて、医薬品の効用と副作用を踏まえて処方するのが医師であり、添付文書が医師の判断に優先するのは不当である」――などというものです。
臨床の現場においては、特に緊急性を要する場合には、ある程度の危険を覚悟で、添付文書の内容に反して即効性のある処方をすることもあるようです。もっとも、上記最高裁判決の事案は、血圧測定を2分間隔ですべきであったのに5分間隔でしていたというもので、容易に使用上の注意義務に従うことができ、それにより不都合がなかったと考えられるケースですので、緊急性を要する場合の用法外の使用などとは性質が異なります。
◇ 医療水準に照らして「合理性」があるか
本判決は、医薬品の添付文書について一般論を展開していますが、添付文書の記載事項も様々であり、事案によって異なると解すべきです。添付文書の内容に従わず、悪しき結果が生じて裁判になると敗訴するものと思われる方もいらっしゃるようですが、必ずしもそうとは限りません。
添付文書の「警告」や「禁忌」の場合、あるいは、今回紹介した事例のように内容が一義的で明確な場合(注射速度等の数値で規定されているもの)については、それに反すると、過失があったと推定できます。しかし、例えば添付文書の記載事項の1つである「特定の背景を有する患者に関する注意」(投与に際して他の患者と比べて特に注意が必要な場合などの記載。平成29年6月8日厚生労働省医薬・生活衛生局長通知参照)に反して投与したケースであれば、具体的な投与の状況や患者の状態を検討しないことには、当該投与につき過失があったかどうかは判断できません。
また、投与を受ける患者の個体差、病態の内容・程度は千差万別ですから、添付文書に記載された使用上の注意とは異なった取り扱いをすることに合理的理由が存する場合もあり、あるいは患者の生命を守るためにあえて危険を冒して治療行為をすることが是認される場合もあります。
したがって、裁判において過失の有無を判断する際には、医師が添付文書に反する医療行為をした理由を十分に検討する必要があるといえます。その判断要素としては、
(1)当該疾患の重大性や他に有効な治療法がないなどといった「治療の必要性」に関する事情、
(2)当該医薬品の使用に伴う副作用の内容、程度、頻度
――を総合的に考慮して判断することになると考えられます。
まとめますと、医師は添付文書に記載された注意義務を必ず順守しなければならないものではありませんが、それに反する措置を取った場合には、その合理的理由を明らかにする必要があるといえます。医療機関の主張する理由が当時の医療水準に照らして合理性を有していれば、過失は認められませんし、医療機関において合理的理由が説明できないのであれば、過失が認められることになると考えられます。
しかし、時代を経ると、病気とその治療に対するスタンスが変わり、添付文書の内容が古く感じられることもしばしば。
その際に参考になるのが「ガイドライン」で、各専門学会が公表しています。
さて、薬の副作用で後遺症が残ったという医療事故が起きた場合、その薬剤が添付文書上は対象疾患に適応がなかった、でもガイドラインには記載があった、という場合、どうなるのでしょう。
法律違反になるのか、それともその時の標準治療として認められるのか・・・臨床現場での悩みです。
この点に関して、医療問題専門弁護士さんの書いた記事を見つけました。
結論から申し上げると、
・医師は添付文書に記載された注意義務を必ず順守しなければならないものではないが、それに反する措置を取った場合には、その合理的理由を明らかにする必要がある。
・医療機関の主張する理由が当時の医療水準に照らして合理性を有していれば、過失は認められず、医療機関において合理的理由が説明できないのであれば、過失が認められることになる。
・添付文書と異なった使用方法であったとしても、“特段の合理的な理由”があれば、医師の過失は推定されない、その使用方法が診療ガイドラインの推奨に則していた場合には、“特段の合理的な理由”があることの有力な根拠になり得る。
ということのようです。
私が困っているのが漢方の使い方です。
例えば麻黄湯。
この薬は、「乳児の鼻閉」に適応があります。かぜ気味で鼻がズコズコ・フガフガつらそうなときに、この漢方薬を練って口の中になすりつけ、その直後におっぱいで飲み込ませると鼻づまりが改善するのです。
ところが困ったことに、麻黄湯の添付文書には「小児に対する安全性は確立されていない」とも記載されています。
???
「乳児の鼻閉」に適応があるのに「小児に対する安全性は確立されていない」とはどういうこと?
使っていいの、それともいけないの?
→ 製薬会社のMRさんに何回質問してもうやむやな返事しかもらえません。
二つ目の記事にあるように「添付文書は、製造業者や輸入販売業者が責任を問われないようにするために、わずかでも危険性があれば使用上の注意事項に記載しており、それに従っていると、重症患者や緊急を要する患者等に処方する薬がなくなってしまう」
という現実があります。
現場に責任を丸投げしているのですね。
大きなストレスです。
■ 添付文書とガイドラインで異なる記載、どちらを優先?
(2019/7/10:日経メディカル)
桑原 博道 淺野 陽介(仁邦法律事務所)
医薬品の使用が関係する医療訴訟で、医師の過失などを判断する材料として医薬品の添付文書が重視されることはご存じかと思います。
実際、この点については有名な最高裁判例があり、「医師が医薬品を使用するに当たって添付文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される」としています(1996年1月23日判決)。
この最高裁判例について少し解説しますと、一般の医療訴訟では、医師の過失を証明する責任は原告(患者側)にあり、医師の過失が推定されることはありません。しかし、添付文書と異なった使用をした場合には、そうした使用について「特段の合理的理由」がない限り、医師の過失が推定されるという判断が示されたわけです。
ただし、「特段の合理的理由」があれば医師の過失は推定されないため、医師側としては「特段の合理的理由」があるかどうかが重要になります。医薬品の使用が関係する医療訴訟では、この考え方が現在の裁判実務を支配しています。
◇ 禁忌だったにもかかわらず過失を否定
他方、学会などが関わって多くの診療ガイドラインが作成されていますが、中には医薬品の使用に関する添付文書の記載と診療ガイドラインの記載とが異なっている場合もあります。では、こうした場合、どちらを優先すべきでしょうか。
この点について、裁判例を3つ紹介します。
1つ目の裁判例は、脳出血急性期の患者に対し、カルシウム拮抗薬のペルジピン(一般名ニカルジピン)の静脈内注射をしたものの、当時(2005年9月)のペルジピンの添付文書では、頭蓋内出血で止血が完成していないと推定される患者や、脳卒中急性期で頭蓋内圧が亢進している患者については、使用が禁忌であったという事例です。
2013年11月13日岡山地裁判決は、このケースにおける投与は2005年9月時点の添付文書上、禁忌だったとした上で、こうした禁忌事項には科学的根拠がなく、海外のガイドラインと矛盾しているとしました。さらに、国内の使用状況とも合致せず、ペルジピンに代わる脳出血急性期に安全で有効な降圧薬がないという理由で、2008年に日本脳神経外科学会から見直しの要求がなされ、2009年7月にはペルジピンの添付文書から本件禁忌事項が削除された点を指摘。これらの事情からすると、本事例で添付文書の記載に従わず、ペルジピンの静脈内注射をしたことについては「特段の合理的理由」があり、過失は認められないとしました(結論も請求棄却)。
◇ 「ガイドラインで推奨、保険適応なし」の場合は?
2つ目の裁判例は、妊娠高血圧症候群(PIH)の管理目的で入院していた妊婦がHELLP症候群を発症し、子癇発作を併発したのに対し、硫酸マグネシウムを投与しなかったことの過失が問われた事例です。診療ガイドラインでは、重症のPIHの妊婦に対して分娩後に硫酸マグネシウムを予防投与することが推奨されていましたが、こうした投与について保険適応はありませんでした。
こちらの事例について2009年12月16日名古屋地裁判決は、子癇発作の予防措置として硫酸マグネシウムの投与が有効との報告があることや、PIH管理ガイドラインの2009年版においても、保険適応はないものの副作用に注意しつつ、重症PIHの妊婦の分娩後に予防投与することが推奨されている点を指摘。一方で、上記の各報告やガイドラインにおいても、全ての子癇発作が予防できるとまではされておらず、子癇の予防目的での投与としては保険適応がないことを考えると、標準的な予防法であるとみるのは困難であるとし、予防措置として硫酸マグネシウムを投与しなかったからといって過失は認められないとしました(他の点で過失が認められ、結論は約8400万円の賠償命令)。
3つ目の裁判例は、関節リウマチ患者に対するリウマトレックス(一般名メトトレキサート)の投与中に発熱や咳嗽、呼吸困難が認められたのに対し、その時点でリウマトレックスの投与を中止しなかったことの過失が問われた事例です。添付文書には、投与開始後に発熱、咳嗽、呼吸困難などの異常が認められた場合には、速やかに検査をし、リウマトレックスの投与を中止するとされていました。また、関節リウマチ治療におけるメトトレキサート(MTX)ガイドラインにおいても、急に発熱、咳嗽、息切れ、呼吸困難が見られた場合には投与を中止することが記載されていました。
こちらの事例について、2015年10月22日さいたま地裁判決は、添付文書や診療ガイドラインに投与中止の記載があり、さらには同様に記載する文献や論文も多くあるので、合理的な理由がない限りはリウマトレックスの投与を中止すべきであるとの判断を示しました。
裁判で医師側は、(1)リウマチの治療の必要性を整形外科に確認し、必要性を肯定する回答を得た、(2)リウマトレックスを中止するとリウマチ性の肺炎を悪化させる可能性がある――ことを、「合理的な理由」として挙げました。しかし裁判所は、(1)については、本件で整形外科の医師がリウマチ治療のためにリウマトレックスの投与継続の必要性があると回答したとは言えず、(2)については、被告(病院側)の意見書作成医が、リウマトレックスはリウマチの関節症状には奏功するが肺症状に奏功するというエビデンスがないと証言していると指摘。投与を中止しなかったことに合理的理由があるとはいえず、過失が認められるとしました(死亡と過失との因果関係は否定され、「死亡時点でなお生存していた相当程度の可能性がある」という「相当程度の可能性」の理論により660万円の賠償命令)。
◇ 添付文書とも診療ガイドラインとも異なる場合は…
これらの裁判例から、次のことが分かります。まず、添付文書と異なった使用方法であったとしても、「特段の合理的な理由」があれば、医師の過失は推定されないわけですが、その使用方法が診療ガイドラインの推奨に則していた場合には、「特段の合理的な理由」があることの有力な根拠になり得るということです。
1つ目の裁判例は、このパターンに該当しますが、事案発生後の事情として、添付文書の記載が変更になったことも裁判所の判断に影響を及ぼしたと言えそうです。ちなみに、この事例で添付文書の変更が行われたのは、学会からの具体的な根拠に基づく見直し要求が背景にあったようです。疑問に思われる添付文書の記載に対しては、学会として見直しを要求することが有用なようです。
次に、診療ガイドラインで推奨される治療を行わなかったとしても、保険適応がなければ過失が認められない場合があるということです。2つ目の裁判例は、そうした判断を示したものですが、判決では、診療ガイドラインで全ての子癇発作が予防できるとまではされていないことを指摘していますので、診療ガイドラインで推奨される治療を行わない場合には、推奨の意味合いも含めて考慮した方がよさそうです。
最後に、3つ目の事例は添付文書とも診療ガイドラインとも異なった治療を行ったもので、そのことをもって直ちに過失を認めたものではありませんが、結論としては過失を認めています。こうした治療を行う場合には、患者の特性などの具体的事情からやむを得ないと言えるのか、慎重に議論や考察をしておいた方がよいでしょう。
■ 「添付文書に従わないと裁判で負ける」の誤解
(2019/9/24:日経メディカル)より抜粋
大島 眞一(奈良地家裁所長)
医薬品は、これに添付する文書等に用法、用量、その他使用および取り扱い上の注意などを記載しなければならないとされています(医薬品医療機器等法52条1項)。では、医師がその注意義務に反することをした場合に、過失は認められるでしょうか。
これに関する判決として、最高裁平成8年1月23日判決(民集50巻1号1頁)があります。
1 事案の概要
虫垂炎に罹患したX(当時7歳5カ月)がY病院で虫垂切除手術を受けました。手術中に血圧低下による心停止に陥り、蘇生はしたものの重大な脳機能低下症の後遺症が残りました。
Xに対し使用された麻酔薬(0.3%のペルカミンS)の副作用として、注入後に血圧低下を来す例があることは、かなり古くから知られていました。昭和30年代にはこれによる医療事故も多発したため、腰椎麻酔中は「頻回」に血圧の測定をする必要があるということ自体は臨床医の間で広く認識されていましたが、「頻回」とはどのくらいの間隔をいうのかは一致した認識があったとは言えませんでした。
そこで昭和47年から、ペルカミンSの添付文書に、麻酔薬注入後10分ないし15分までの間、2分間隔で血圧の測定をすることが注意事項として記載されるようになりました。もっとも、本件で問題となった昭和49年当時の医療現場では、必ずしも2分間隔での血圧測定は行われておらず、5分間隔で測定すればよいと考える医師もかなりいたようで、本件でも、医師は5分間隔で測定するように指示していました。
2 判決
最高裁は、次の通り述べて、患者側の請求を棄却した名古屋高裁判決を破棄し、差し戻しました。
医師が医薬品を使用するにあたって添付文書に記載された使用上の注意義務に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される。仮に当時の一般開業医が添付文書に記載された注意事項を守らず、血圧の測定は5分間隔で行うのを常識とし、そのように実践していたとしても、それは平均的医師が現に行っていた医療慣行であるというにすぎず、これに従った医療行為を行ったというだけでは、医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたことにはならない。
3 解説
医療用医薬品の投与を受ける患者の安全を確保するため、最も高度な情報を有している製造業者または輸入販売業者は、医薬品の効能や危険性を明記し、医師等に必要な情報を提供することが義務付けられています。ですから、医薬品を使用する医師には、添付文書に記載された注意事項に従って使用すべき注意義務があるといえます。
もっとも、この点については医師から根強い批判があります。「添付文書は、製造業者や輸入販売業者が責任を問われないようにするために、わずかでも危険性があれば使用上の注意事項に記載しており、それに従っていると、重症患者や緊急を要する患者等に処方する薬がなくなってしまう」「併用禁止、併用注意とされていても、いろいろな病気を併せ持っている患者には併用せざるを得ないことがある」「患者の病態や体質等に応じて、医薬品の効用と副作用を踏まえて処方するのが医師であり、添付文書が医師の判断に優先するのは不当である」――などというものです。
臨床の現場においては、特に緊急性を要する場合には、ある程度の危険を覚悟で、添付文書の内容に反して即効性のある処方をすることもあるようです。もっとも、上記最高裁判決の事案は、血圧測定を2分間隔ですべきであったのに5分間隔でしていたというもので、容易に使用上の注意義務に従うことができ、それにより不都合がなかったと考えられるケースですので、緊急性を要する場合の用法外の使用などとは性質が異なります。
◇ 医療水準に照らして「合理性」があるか
本判決は、医薬品の添付文書について一般論を展開していますが、添付文書の記載事項も様々であり、事案によって異なると解すべきです。添付文書の内容に従わず、悪しき結果が生じて裁判になると敗訴するものと思われる方もいらっしゃるようですが、必ずしもそうとは限りません。
添付文書の「警告」や「禁忌」の場合、あるいは、今回紹介した事例のように内容が一義的で明確な場合(注射速度等の数値で規定されているもの)については、それに反すると、過失があったと推定できます。しかし、例えば添付文書の記載事項の1つである「特定の背景を有する患者に関する注意」(投与に際して他の患者と比べて特に注意が必要な場合などの記載。平成29年6月8日厚生労働省医薬・生活衛生局長通知参照)に反して投与したケースであれば、具体的な投与の状況や患者の状態を検討しないことには、当該投与につき過失があったかどうかは判断できません。
また、投与を受ける患者の個体差、病態の内容・程度は千差万別ですから、添付文書に記載された使用上の注意とは異なった取り扱いをすることに合理的理由が存する場合もあり、あるいは患者の生命を守るためにあえて危険を冒して治療行為をすることが是認される場合もあります。
したがって、裁判において過失の有無を判断する際には、医師が添付文書に反する医療行為をした理由を十分に検討する必要があるといえます。その判断要素としては、
(1)当該疾患の重大性や他に有効な治療法がないなどといった「治療の必要性」に関する事情、
(2)当該医薬品の使用に伴う副作用の内容、程度、頻度
――を総合的に考慮して判断することになると考えられます。
まとめますと、医師は添付文書に記載された注意義務を必ず順守しなければならないものではありませんが、それに反する措置を取った場合には、その合理的理由を明らかにする必要があるといえます。医療機関の主張する理由が当時の医療水準に照らして合理性を有していれば、過失は認められませんし、医療機関において合理的理由が説明できないのであれば、過失が認められることになると考えられます。