日々のできごと。生物準備室より

理科教育、生物教育に関して考えたことをぼちぼち更新。たまに授業実践報告をします。

「ヒト」を身近に感じるための工夫をさぐる3冊

2016-05-31 02:43:57 | 最近読んだ本

数見隆生・吉田茂・鎌田雅子・橋本由美子・佐藤洋子『生きているってどんなこと?子どもたちと考える「生」「いのち」「死」』

 この実践記録は、小学校教諭や養護教諭による、子どもたちの実感の伴う「いのちの学び」を取り戻すための授業の記録である。その第一章では「体温」や「からだのあな」といった身近な器官を新しい視点から教材化し、ヒトのからだの働きの精巧さ、しくみのすごさを友だちや自分のからだの中に発見して「生」=「生きているからだ」を実感させている。

 著者の一人である吉田が小学3年生対象に実施した「いのちとしての体温を考える」授業では、「生きている証拠探し」の学習として、呼吸、体温、脈拍といったバイタルサインを見つけ出させた後、実際に自分や友だちのからだに触れてからだのあたたかさを感じ取らせている。部位によって温度が異なることや、自分と友だちのあたたかさを比較する体験を通して、子どもたちはからだの構造としくみに関して多くの気づきを得ていく。

 

どんなときにからだがあたたかくなったと感じたかを聞くと、「一生懸命考えたときに、頭があつくなった」「お風呂にはいったとき」「からだを動かした時にあたたかくなったよ」というような発表がされました。

—からだを動かすには、何を使うの。
「筋肉を動かす」
「足の筋肉を動かす」
—筋肉を使うと熱が生まれる。ほんとうにそうかどうか、筋肉をつかって遊んでみよう。
ということで、思いっきり遊ばせました。子どもたちは、大喜びで体育館中を走り回りました。

 

一番あたたかかったのは、おでこです。しんぞうがはやくドキドキしていました。走る前のしんぞうは、ふつうの音でドキドキしていました。なんではしるとしんぞうがはやくなるのかなあ、ふしぎに思いました。ぼくは、たいいくがおわったら、あつくて水を二かいものんでしまいました


 生きている証拠である体温を感じさせた後、子どもたちとのやり取りを通して、自然な流れで熱を発生させている筋肉に着目させている。さらに運動して速くなった心臓の鼓動を体感させ、生きているときはどこか動いているからあたたかさが生まれることを実感として子どもたちに持たせているのである。子どもたちはこの授業を通して、これまであまり気にしてこなかった、または、疑問に思ってもそのままにしていた自分のからだで起こっている現象に向き合い、体温に対する新たな見方や考え方ができるようになった。からだは自律性体温調節により常に一定の体温で維持されている。小学3年生がこの恒常性の細かなメカニズムを理解する必要性は全くないが、体温を感じることから始まったこの取り組みの中で、子どもたちは当事者意識をもって取り組んでいたに違いない。

 

久保敏彦『教室に“学びのライブ”がやってきた!仮面・イメージ・表現のレッスン』

 都立武蔵高校の「保健」の授業の中で、高校生たちが生きた「からだ」と「言葉」をよみがえらせる「レッスン=学び」を活写した実践記録である。その中で久保は、仮面(ペルソナ)を用いた授業を展開している。パーソナリティーはラテン語のペルソナに由来しており、もともとはギリシャ劇で使う仮面のことである。

 

「あの悲しそうな仮面をつけると、だれもが悲しく見えてしまうから、不思議だった。あの目でみつめられると、凍ってしまいそうになる。面というのは、普通の人の顔よりも、感情があらわれていると思う。(略)」

「おなじ面でもつける人が違えば、お面の表情も違う気がした。それで違うお面でもつける人がおなじなら、おなじ表情をしているように思われた。お面のしたの素顔が、お面の表情ににじみでているのではないかと感じた。」

 

仮面をつけて演じることにより、仮面が人にのりうつり、面のなかからは今まで自分が感じていた世界とは全く異なる世界が見えることを生徒たちは体感していく。そして仮面がひとの内面をえがきだしていることに気づいていく。さらに生徒たちはペルソナづくりを通して自分のこころと身体と対話し、内面の変化を感じていく。

 

「(略)日常生活のなかでは、あるひとつの仮面をかぶっていて、プレゼンテーションのときに仮面をかぶったときの状態が、仮面を脱いだ状態なのかも知れない。(略)人は内と外、裏と表というように、相反する『自分』を持っている。でも、どちらかの『自分』は、呼び起こされるのを待つべく、ひっそりと眠っている。その『自分』を外に出すには、もうひとつの『顔』が必要なのだ。その『顔』がペルソナではないか。(略)」

 

 久保の実践の特徴は、一貫してからだを文化として認識していること、生徒たちを表現者として育てようとしている事である。生物としての「ヒト」だけでなく歴史や文化の中で育まれる「ひと」として、からだの感覚や所作を文化として認識し表現する営みが授業で起こっている。ペルソナを通した活動から、生徒たちは「ヒト」のみならず「ひと」としての当事者意識持っていたのではないかと考える。


藤原和博『世界でいちばん受けたい授業2』小学館 2002年

 のちに都内初の民間人校長となる藤原が、足立区立第十一中学校で実施した[よのなか]科の実践記録である。[よのなか]科とは、中学3年生に生きた社会科を学んでもらうために、ハンバーガー店の店長になって出店計画をたててみたり、法定で裁かれる少年の弁護人になってみたり、シミュレーションやロールプレイングというゲーム手法を応用して、身近なものから[よのなか]との関わり方を学んでいく授業である。女装家(三橋順子さん)をゲストとして招いた「差異と差別を考える」授業では、生徒それぞれが「あなたの男女度チェック」を行い、クラスメートの男らしさ・女らしさを分析、自分の中のマイノリティ性に気づかせている。

 

 私たちは、三橋さんを一種の“触媒”にして、差異があることと差別があることを生徒たちと確認した。そしてマイノリティというものについても、マジョリティとの対比として位置づけた。軽視されている歴史とか差別されているかわいそうな現状とかに一切言及せず、あくまでも、生徒たちの体験の中にあるマイノリティ性を引っ張りだす努力をした。
 
その結果、恥ずかしいと思っていた自分の中のマイノリティ性は、実は“個性”だという三橋さんのメッセージは生徒たちにストレートに伝わった。

 

 マイノリティ性は集団の中で浮かび上がる特徴であり、各自が自身のマイノリティ性をすべて認知している訳ではない。また補助的に用いる言葉が生徒を思わぬ方向へ感化することもあり、私にとっては授業での扱いを難しく感じる内容である。この実践では、『マイノリティもまた個性なのだ』と明るく導く女装家に上から下への視線はなく、同じ視線で生きる態度を生徒たちに育ませている。続いて、『どこまでイジくる?ヒトのカラダ』というテーマで、医療技術の進展によって可能になった「人間の体に手を加えて、弱点を直したり、矯正したり、機能を増強したり、入れ替えたりする行為」について議論を進めている。ここで特徴的なことは、マイノリティ克服のための行為の例が、正解か不正解か断言できないものであることである。また、『1)ファッションのため髪をそめる』『2)耳に穴をあけて、ピアスをする』から『11)妊娠中絶をする』『12)スポーツで勝つため、興奮剤を飲む』まで、抵抗感が低いと思われるものから高いと思われるものまで段階的に設定されている点も。

 

 自分か自分の家族が何らかの“弱点の補強や克服”をしたり、せざるを得なかったりする現実的な局面で、自分自身の問題として、このことが想起されるときは必ずやってくる。

 

 自分に関係があるかないか白黒はっきりする設問でないため、思考停止に陥ることは殆どないと思われる。もともとは社会科の授業がベースであるが,「ひと」である自分が集団に依存した価値観の中で自分の個性を認知し、「ひと」である自分や家族が技術進歩のスピードにどのようについていくのかを当事者として考えるための工夫が随所に見られる実践である。

 

「ヒト」を身近に感じるための工夫

 「生物に関する疑問を挙げてください」と高校生に投げかけると、圧倒的に多い回答が「ヒト」に関するものである。「ヒト」は私たち自身であり、生物担当者も「ヒト」を扱えば生徒は身近さを感じ、興味関心をもつだろうと予測する。しかし、「ヒト」には「ひと」の面があるだけに、果たしてその目的は達成できているのか疑問である。私はこの3冊の実践記録を読み、児童・生徒が「ヒト」であることを実感し、からだと向き合うことで「ひと」の内面を表現し、集団の中での「ひと」が変化することを可能なことを知った。「ヒト」が身近にあるからこそ、「ヒト」と「ひと」が身近に感じるための工夫が必要だと再認識することができた。

 

 

 

生きているってどんなこと?―子どもたちと考える「生」「いのち」「死」 (健康双書―全養サシリーズ)
クリエーター情報なし
農山漁村文化協会

 

教室に“学びのライブ”がやってきた!―仮面・イメージ・表現のレッスン
クリエーター情報なし
太郎次郎社
   
 
 
世界でいちばん受けたい授業〈2〉
クリエーター情報なし
小学館

 

   
 
 




スペシャリストとレジェンドの授業を見学しました。

2016-05-28 18:43:38 | ワークショップ・研修に関すること

都立K高校の生物の授業を見学させていただきました。

学びの語源が真似ること?だとしたら、
同じような環境でしか学びは成立しません。
「凄いね、でも○○だからできるんだよね」に陥らないように、
テーマ設定を
1)学習者の特徴
2)ファシリテーターとしての担当者の視点で見学させていただきました。



1)のきっかけは勤務校の同僚(若手)に、
異動するなら近隣の高校がいい、
進学校はできれば避けたい、
できれば今の地区の素直な生徒さんたちと接していたい、
進学校の生徒さんは怖いイメージがあるから、

という話を聞いたことにあります。

分かるような分からないような・・・
確かに近隣の学校を異動し続ける同僚は少なくありません。


また、K高の生徒さんは「教師の勢力資源」として
何を基にしているのかにも興味がありました。
(早稲田大学の河村先生が分類したもので、高校の場合は教師の人間的魅力、教師役割の魅力、罰・強制性の3種類)


見学を通して「怖い」のイメージが何となく分かりました。
あくまでも勤務校と比べた個人的な感想ですが、
人なつっこさや気遣いに差を感じました。
何か少しシビアかも知れない、このクラス。
このくらいの緊張感が保たれなければ、大学受験では闘えないのかも知れません。


たまたま近くで見学していたグループでの話題が、
「DNAの複製と転写の差が良く分からない」というものでした。

複製と転写の混同は、
以前、K高校で質問紙調査をさせていただいた時にも、
少数ながらも起こっていた誤理解です。

B社のTさんもそのグループのそばで見学されており、共に会話に入りました。
どこまでOKなのか探りながら、少し誘導的な言葉掛けをしたところ、
グループの一人が、見事に複製と転写の物語を語っていました。
細かいメカニズムに捕われ、必然性や大まかな流れを見失っていたようです。

理解がはやいね、やっぱり凄いなぁ、と声をかけたところ、
「K高生がすごいんじゃないんです。一年生の時に、このあたりの詳しい内容まで勉強しているから、当たり前なんです。既に知識としてはあるので。」とのこと。

愚問と分かりつつ、
知識を積み重ねる作業、暗記とかって苦に感じること無いの?と重ねたところ、
お互いに顔を見合わせて、えっ?という表情。

ま、当然のことだよね、と話すと、

「自分で読んでいても、問題を解いていても段々楽しくなってくるんです。だから苦ではないですよ。」

そーだよね、やっぱり愚問だったよね・・・。

自己効力感がある生徒は強いナリ・・・。

彼らが1年次の生物担当者の話になったので、
どんな先生のどんな授業が好きなのか聞いてみたところ、
教師役割の魅力よりも教師の人間的魅力についてのエピソードを聞かせていただきました。

「研修」とは「研究・修養」のことだから、修養の部分も必要だよね・・・と再確認。

そのグループのみなさんとの会話の中で
「K校では自由が認められるけれど、社会に出たら自由は認められない」
という話が印象的でした。
Tさんからのアドバイスも腑に落ちていないようでした。
そして、どちらかというと悲観的な口調での語りでした。
高校生が抱える不安は、多岐にわたっているようで、
実は「自由」に絡む共通項も多いのではないかと何となく思いました。

 

2)K高生の授業を通して、
勤務校での自分の授業をどう組み立てようか考えながら見学しました。
インストラクションの方法、課題の提示法、評価方法・・・
そして安心できる場作りの妄想です。

似たような集団よりも差がはっきり分かる集団を観察した方が、
学習者集団の強みや弱みがクリアになって、
妄想しやすいような気がしました。

最近、履修している授業の多くで、
ヴィゴツキーのZPDが出てきます。
この理論も学習者の現状把握あってのものなので、
妄想材料は自分で調達すべし。

クックパッドに全信頼を寄せることは危険です、はい。

 

 

教師のためのソーシャル・スキル―子どもとの人間関係を深める技術
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誠信書房

実践記録レビューの課題用

2016-05-23 17:04:22 | 最近読んだ本

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教室に“学びのライブ”がやってきた!―仮面・イメージ・表現のレッスン
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太郎次郎社
実況・料理生物学 (阪大リーブル030)
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大阪大学出版会
世界でいちばん受けたい授業〈2〉
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生きているってどんなこと?―子どもたちと考える「生」「いのち」「死」 (健康双書―全養サシリーズ)
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最新「授業書」方式による保健の授業

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人生で大切なことはすべて家庭科で学べる ふくしまの男性教員による授業
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文芸社
理科教育法入門: 科学のたのしさ伝えたい
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仮説社