日々のできごと。生物準備室より

理科教育、生物教育に関して考えたことをぼちぼち更新。たまに授業実践報告をします。

触媒。

2018-01-21 20:15:56 | 探究に関すること

F6中学校の理科の授業を見学させていただきました。

単元は「電流と磁界」
その前の章で、「オームの法則」など電流・電圧の関係を学んでいます。
ひと山越えてホッとしたのもつかの間、
次の山キター!!といった記憶のある単元です。

 

中学校理科の教科書はとても丁寧、というか道筋がはっきりしていて、
指示通りに発問・実験・考察していれば一通り学習できるように構成されています。 

と言っても、中学校教員の業務が煩雑で多忙なことを考えれば、
一通り行うことだけでも疲労困憊、
リポDCMがイメージできるぐらいなのですが。



見学させていただいた授業は「既存の授業への挑戦」でした。

 

もともと教員向けの公開授業ではなく、
保護者メインの授業公開。

そんな日常の一コマからの情報の受容は、
私の中で確実に何か作用している、
そんな感じがその場でじわじわしていました。

 

「学びの責任」。

責任、という言葉にフィット感がないのですが、
「学びの責任」が生徒に移行する時、
授業者はどのように何に葛藤するのか、ビシバシ伝わってきました。


結局は自分との闘い。

答えは自分の中にある。

他人の実践を通して、自分の中の敵を認識して対峙する。

 

 

授業終了後、授業者の要望で対話型授業検討会が始まりました。
この検討会の良さの一つに、
授業者だけでなく参加者の見方・考え方に触れることができることがあります。

授業中に起きた、ある授業者と生徒のやりとりに対して、
ある参加者は「生徒がしらっとした」と見取っていたのに対して、
私は「生徒がはっとしていた」と捉えていました。
他にもいくつか、へー、そう見るのね、ということが幾つか。

勿論、どちらが正しいかを求めることは不毛。
そもそも答えはないでしょう。

どんな解釈をするのかは授業者本人次第。
この解釈を得るまでの一連の思考のスタート?きっかけとなる場が、
この場、対話型授業検討会なんだと思います。

 この検討会が効果のある唯一の方法だと思いません。
ただ、この言葉にできないモヤモヤを一度体感すれば、
確実に体内で(脳内で?)反応が始まるはずです。

 

触媒みたいなもの、なんですかね・・・?

逆に言うと、触媒でしかない、のかも。