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United Minds (Strikes Back)

2013年に解散した電子音楽ユニット、SpiSunのWeblog“United Minds”跡地

『江』ここまでの感想 〔by ラウド〕

2011-02-28 22:15:00 | History
基本的に、世間の尻馬に乗って得意げに何かを批判するのは得意ではない。
そして、何かを「好きだ」と書くのはとても簡単な事だけど、「嫌いだ」と書くのは、僕にとってはとても勇気のいる事だ。


だけど、ここまで今年の大河ドラマを観た感想は、こう書かざるを得ない。
酷いよ、このドラマ。


ひとまず、話題になっているキャストと実在の人物の年齢差に関しては置いておくとしよう。
一番の問題は、主人公である江があまりにも歴史の転換点に顔を出しすぎている点だ。
主人公だから、確かにそうかもしれない。だが、稚児ともいえる年齢の女児が、ここまで奔放な物言いをし、好き勝手な行動をしていいものなのだろうか。
はっきりいって、ファンタジーの世界である。これがライトノベルやアニメならばまだ納得できるのかもしれないが、これは公営放送が威信をかけて送る大河ドラマではなかったか?

ドラマだからそれくらいは仕方ない、という意見もあろう。だが、ドラマだろうが何であろうが、そこに織田信長や羽柴秀吉や明智光秀という名前の登場人物がいる以上、歴史上の同名人物を意識せずにいられようか。
例えドラマでも、そういった実在の武将達と江との絡み方にリアリティと説得力がなければ、そこに納得がいかないと思う人がいるのは当然ではないだろうか。
そこで独自に突き進みすぎるから、結局時代背景も、そこに生きていた人物の機微すら描けなくなる。

…これ、確か最近も似たような内容を書いた気がするなぁ。
ただ、やりすぎなのだ。主人公とはいえ、あまりにも周囲からの影響や尽力を無視しすぎなのだ。
(中略)
僕だって子供ではない、福山龍馬が目立たなければ大河ドラマとしてまずいのはわかるし、ドラマとしての完成度を重視するのは当然だと思っている。
だ が、ドラマだからこそ言いたいのだ。福山雅治氏が演じていたのは、あの歴史上に残る偉人「坂本龍馬」ではなかったか?そこに「坂本龍馬」と名の付いた登場 人物がいる限り、史実上の坂本龍馬と比較し照らし合わせてしまう、これは歴史好きでなくても止むを得ない事ではないだろうか。

『龍馬伝』感想 〔by ラウド〕

結局、この点はもうどうしようもないのかもしれない。
日向英実総局長は「子役時代が1回で終わったことや『史実と違うのではないか』との指摘もあるが、おおむね評判は良さそう」と話した。会見では「史実とあまりにも違う」との質問が出たが、日向総局長は「ドラマですからね」と苦笑いした。

「江」史実との違い指摘されるもNHKは手応え(スポーツ報知)

ドラマを創る立場の人が、この点に関して後ろめたく思っていないのならば、もうどうしようもない事だ。


単純に、脚本にも問題があると思う。
女性の持つ強さを描いていこうというのはわかるが、どうもこのドラマにおける三姉妹とお市はそれを履き違えているように思えてならない。彼女達は、ただ奔放に、身勝手に生きようとしているようにしか見えない。

秀吉を必要以上に小物に描写しようとしている点も、不満どころか不快だ。
北大路欣也の家康がどっしりと控えているところから察するに、秀吉と家康の差をはっきりと付けて持ち上げようという意図が見え見えである。

その秀吉がダダをこねている場面を早回しにしてみたりする演出や、打ち込みや歪んだギターの音を前面に押し出した音楽も個人的には全く受け付けない。


唯一評価したいのは、これまでヒールとして描かれることが多かった信長の新解釈(というか、これが最近の主流にもなりつつあるらしいが)と、豊川悦司の演技だ。彼の演じる信長は、実に堂々としていて余裕があって、大いに納得した。
本能寺の変がもう少し後なら、このドラマを楽しめる期間もわずかながら長くなったのだろうが…。



今から『坂の上の雲』が恋しくて仕方がない。
好みではなかった『篤姫』や『天地人』ですらその時間に自室にいれば観る気になったのに、今回は自主的にテレビを付けようという気にすらならない…。

『龍馬伝』感想 〔by ラウド〕

2010-12-28 01:07:17 | History
またまたお久しぶりです。サインイン自体も一ヶ月ぶりくらいかもしれない。
来年は回数は少なくとも、もう少しコンスタントに更新していこうと思います。
気力の面できついのは来年も同じでしょうが…もうちょっと何とかしたい。



そしてこの『龍馬伝』の感想も、なんと4月以来。コンスタントに更新するはずがこのザマ。
それは僕のこの作品へ対するモチベーションの変化も影響しているのだが…。
今回はパートごとの感想を非常に簡単にだが述べていこうと思う。


二部:武市&以蔵シークエンスの長さ

土佐でのパートを描く前に、もっと龍馬の同志の動きを描いて欲しかった。
直接的に維新に関わってくるのは武市でも以蔵でもない。長州や薩摩や幕府の動きを単独で描いても良かったはず。
必要以上にここの部分が冗長過ぎ、無理矢理引き伸ばしているように感じてしまうのである。

賛否両論あった武田鉄矢の勝海舟だが、個人的には愛が伝わってきて嫌いではない。
特に登場回の龍馬への演説は素晴らしいの一言で、思わず落涙してしまうくらい魂がこもっていた。


三部~四部:スーパーヒーロー?坂本龍馬

残念ながら、結局このドラマの行方は危惧していた方向へとシフトしてしまった。
例えば、僕が坂本龍馬という人物の事を一切知らずにこのドラマを観ていたら、「とんでもない天才が日本にいたのか!」と諸手を挙げて龍馬を絶賛したに違いない。そして、事によっては「龍馬のような男が何故現代の日本にはいないのだ!」などと憤ったりもしていたかもしれない。
それくらい、このドラマの中の龍馬は凄すぎた。幕末を、その場その場の機転と閃きで思うがままに変えていく天才的なクリエイターであり、不世出の策士でもある。
勿論、それは否定しない。僕が生まれて初めて好きになった日本の偉人は坂本龍馬その人であり、その尊敬の念は今も全く変わっていない。グローバルな視点を持ち続けたこと、出来うる限り戦闘を回避しようとした事、身分の差を無くそうと低い出自から昇り龍のように活躍した事。こんな人物を好きでないわけがない。

ただ、やりすぎなのだ。主人公とはいえ、あまりにも周囲からの影響や尽力を無視しすぎなのだ。
友人Fから聞いた話だが、このドラマの龍馬を「詐欺師」と称した方がいらっしゃったらしい。残念ながら、そう言われても仕方がない面があるし、むしろこのドラマだけにおいてはその言葉に共感せざるを得ない。
龍馬は周旋家で、歴史的にも「薩長同盟と大政奉還の最後の仕上げを担当した」というのが定説となっている。つまりそういった派手な部分をまとめる才があった事は間違いが無いし、そういった人間に好かれる、信用されるという点で唯一無二の存在だった事に異論はないのだが、それにしても「土台」の部分をすっ飛ばし過ぎである。
だから、龍馬が突然閃いた事を次々に実現させたように見えてしまう。どのアイデアにも先人がいたはずなのに、龍馬が全て手綱を握っていたことになってしまっているのだ。これは少しまずい。「詐欺師」と評した人も、そういった点を気にしての発言だったのではなかろうか。
船中八策において、今までの仲間達からの影響を活かしたという感動的な逸話が披露されたが、申し訳ないが僕は「何を今更…」と醒めた目で見ていた。

Twitterにて、この点に関してやんわりと#ryomadenタグをつけて呟いた事がある。リプライは頂かなかったが、多くの人が僕の呟きに否定的な意見を述べていらっしゃったのがわかった。
それを要約すれば、「ドラマとして面白ければ問題ない」という事だった。
僕だって子供ではない、福山龍馬が目立たなければ大河ドラマとしてまずいのはわかるし、ドラマとしての完成度を重視するのは当然だと思っている。
だが、ドラマだからこそ言いたいのだ。福山雅治氏が演じていたのは、あの歴史上に残る偉人「坂本龍馬」ではなかったか?そこに「坂本龍馬」と名の付いた登場人物がいる限り、史実上の坂本龍馬と比較し照らし合わせてしまう、これは歴史好きでなくても止むを得ない事ではないだろうか。

最も割を食ったのが、上川隆也氏が熱演した中岡慎太郎であった事は間違いない。
お前がファンだから、出番が少なかったのが不満なのだろう?と言われるかもしれないが、坂本龍馬を主人公にしたドラマであそこまで中岡が絡んでこないのでは、当然不満しか残らない。
多くの視聴者にとって、このドラマにおける中岡は常に「わかってない人」(by yuz君)という印象しか残らなかったのではなかろうか。
制作者の方の話では、中岡を龍馬と意見の上で対立するライバルとして描きたかったらしい。別にそれは問題ないと思うのだが、どうも中岡の著書『時勢論』の一節「富国強兵と云ふものは、戦の一字にあり」にこだわりすぎてしまったように思える。
二言目には「武力倒幕、武力倒幕」。単なる好戦的な男にしか思われていないだろう。それに比べて、何と龍馬が開明的なことか。
ここで中岡の功績を挙げるのはあまりフェアではないのでそれはやめておくが、少なくともこのドラマにおいて中岡は薩長同盟にも薩土盟約にも大政奉還にも、全く関わっていない。断言してもいい、少なくとも中岡はこういった時代の大きな転換点において、龍馬を「凄い奴じゃ、龍馬は!」と讃え追随していたに過ぎない。
最近は研究が進んで、中岡の功績も再評価されつつある。少し期待していたのだが…。


総まとめ:幕末万歳


僕が大河ドラマを一年間欠かさず観たのは、『風林火山』以来だが、完成度であの作品に及んだとは思えない。
舞台が日本が近代国家として歩み始めようという未曾有のターニングポイントである幕末であり、その時代を類稀な先見性で一筋の流星の如く駆け抜けた坂本龍馬。どう描こうが面白くならないわけがないのである。
そういう点で、龍馬一人をスーパーヒーローにするのではなく、多くの志士達の才能の中で切磋琢磨していく姿を観たかったのだが、そういうドラマではなかったのが個人的には残念である。
龍馬の物語を、苦境に陥った現在の日本を活気付けるヒントにしたいのならば、一人のカリスマに引っ張られるよりも、もっと草莽崛起の精神を訴えた方が良かったと思う。
ドラマとしての完成度は、どう考えても『坂の上の雲』の方が上。こっちは観ている人は少ないようだけど…。

とはいえ、一年間とても楽しく観させてもらったのは事実。
上川慎太郎は勿論、伊勢谷晋作も素晴らしく、毎週日曜20:00から(録画や再放送を観る事も多かったけど)は幕末ワールドに浸らせてもらった事を感謝したい。
特に二部の途中までは本当に面白かった。スタッフ・キャストの皆さん、お疲れ様でした。

あと、もう戦国時代の大河ドラマは飽きた。再来年の平清盛に期待。
それよりも、『坂の上の雲』完結編が楽しみだけど。

単なる四月日記 Vol.2 〔by ラウド〕

2010-05-19 21:50:17 | History
単なる四月日記 Vol.1 〔by ラウド〕の続き。



理知光寺跡
いつか来たことがあるような既視感のある坂道を登っていくと、そこに護良親王の墓地があった。


春の日差しに緑が映えて鮮やかこの上ない。
我々以外にここに来ていた方の話によれば、ここはきちんと宮内庁が管理しているらしい。
武家政権の中心地とはいえ、そういった事実が更なる重みを感じさせてくれる。
写真ではわかりにくいが、階段は長くとても急であった。


頂上は厳しい崖になっている。この風景があまりにも我が故郷との共通点を感じさせたので、思わず写真を撮ってしまった。一緒に馬論やyuz君がいても何の違和感もない風景である。


護良親王を手厚く葬ったのは、元々ここに存在した理智光寺の僧らしい。
理智光寺は、そもそも鎌倉三大将軍源実朝の供養の為に建てられたとも聞く。いずれにせよ、悲運の中で亡くなった重要人物を弔う役目を果たしていたという事になる。

しつこいようだが、この周辺ののどかな住宅地の風景は、我がふるさとを嫌でも思い起こさせるものだった。
これも繰り返しになるが、品の良さと歴史的な重要性、更に歴史そのものを大事にする姿勢で圧倒的に負けているのだが。
とはいえ、自分が見慣れた(ように思える)風景の中に重要な歴史が息づき無理なく同居しているこの地は、ある意味で小学生の頃から歴史の舞台に憧れてきた僕にとってはある意味で理想の場所なのかもしれない。
そんな理想の地がこうして実在するという事実に、自分の置かれた現実との間に奇妙なギャップを感じてしまう。うまく言葉で説明できないのがもどかしいが、ここで見た風景がしばらく頭の中にちらつき続け、数日はふわふわとした気分で過ごしてしまった。
鎌倉は奥が深い。


源頼朝の墓地
ひとまず、八幡宮方面に戻る事にした。


桜の下を、カップルを乗せた人力車が通る。なかなか綺麗な光景だった。


昨年の鎌倉行きの際にも訪れた場所だが、今回は昼間、かつ訪れる人も多い。随分と印象が違って見える。
人気の無い夕暮れ時に訪れた前回はさすがに畏怖を感じるほどの迫力があったが、この日は鎌倉の総大将も多くの人の訪れにご満悦のように思えた。


墓地の下にあった公園。武家政権の生みの親の名前が付けられた公園ってすごいよね。小学校時代の僕だったら、それだけで興奮して鼻血を出しそうだ。


紅葉山やぐら
ここからは、cloud9氏が以前鎌倉に来た際に見つけられなかった、北条氏の“腹切りやぐら”を目指す事にした。
この日も完全に逆方向に進んでしまうものの、日暮れ前に彼の地へ接近する事に成功。


途中の滑川沿いに色づく木々が美しかった。


しかし辿り着いた所は、やぐらはやぐらでも“紅葉山やぐら”という場所だった。
調べてみてもなかなか決定的な情報が得られないが、どうやら鎌倉幕府の持ち物だったという説が一般的らしい。
NHK大河ドラマ『北条時宗』放送を気に、現在の姿へ整備されたとも聞く。


東勝寺跡
一旦来た道を戻り、先ほどは左に曲がった道を、今度は右に進む。
いよいよ今回の旅のハイライトの地に辿り着いた。


東勝寺合戦。後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の為の戦争、元弘の乱の最後の戦い。
かつてこの地にあった東勝寺に於いて、日本発の武家政権である鎌倉幕府、並びに北条執権家は終焉を迎えた。


伝承によれば、滅び行く北条家はこの地で一族郎党全員が自決したという。
『阿部一族』を思い起こさせるような壮絶な最後である。
一つの時代が多くの命と共に散っていった事を実感し、しばし黙祷。
ちょうどいいタイミングで陽が傾いてきたところで、今回の旅も終わったのだった。



個人的には、鎌倉末期~南北朝末期というのは知っているつもりで殆ど何も知らない時代であった。まさに空白地帯という感。
今回の旅は、その辺を重点的に巡ったわけだが、これは明らかに僕がプランを考えていたら思い付かない順路であったと思う。鎌倉の新たな一面を堪能させて頂いた、cloud9氏に深い感謝を。
しかし鎌倉はやはり置くが深い。まだまだ見るべき所があるようだと実感した。

単なる四月日記 Vol.1 〔by ラウド〕

2010-04-19 23:10:18 | History
日曜の試合の精神的ショックを飲み込んで我慢したせいか、目が腫れてなかなか治らない。
今月初めにcloud9氏と共に行った鎌倉のことをまだ書いていなかったので、写真を見ながら振り返ってみたいと思う。


鎌倉には既に今年3度目。全て自分の趣味で来ているので、いかにこの街に惹かれているか自分でもよくわかる。
今回は元職場の先輩であり、音楽的な師匠でもあるcloud9さんとの旅という事で、若輩者の僕は氏に全てを委ね、お任せすることにした。
音楽だけでなく、歴史への造詣も深いcloud9氏である。こういう街歩きではいつも誰かをリードする立場なので、たまには知識のある人についていくだけというのも面白かった。

結論を言えば、その判断は大当たりだった。
自分ひとりでは絶対に行かないような場所を多く訪れ、非常に感銘を受ける事となる。



鶴岡八幡宮
まずは鎌倉の中心地へ。
とにかく倒れた大銀杏のその後が知りたかった。

変わり果てた姿になっているが、芽が生えてきているのがわかる。
場所は今までの所より左側に移されていた。


ここがもともと生えていた場所。
多くの人が階段から身を乗り出すようにカメラを構え、ちょっと危ない。
この木のために配置された警備員の方も大変気を遣っておられた。


会談から折れた根を臨む。


同じく、移された樹。


桜が咲き誇っている。程よい陽気と晴れた空。絶好のコンディションだ。
平日なのに大変な人出だった理由は、そういう事か。


鎌倉宮
ここからはcloud9氏のプランで歩いていくこととなる。
まずは、護良親王を祭った鎌倉宮へ。当然、僕では絶対に思いつかない順路である。


鎌倉政権倒幕を目指し、度重なる戦いを繰り広げ、建武政権にて征夷大将軍に任じられた後醍醐天皇の皇子、それが護良親王である。
しかし足利尊氏との対立の中で父である後醍醐天皇との関係も悪化させ、皇位簒奪の嫌疑をかけられこの地(当時は東光寺という小さな山寺だった)に幽閉される。
そして中先代の乱により、北条軍の手に奪還された鎌倉で奉じられる事を恐れた足利直義(尊氏の弟)。その命を受けた淵辺義博に殺害されるのである。
正直に言えば、この人物に関してまったく知らなかった。不勉強の窮みであるが、思えば鎌倉末期~室町初期まで(南北朝も含む)の歴史は空白地帯の如く知らないことばかりなのであった。
同時に、だからこそ今後学ぶべきテーマが増えるということでもあるのだが。cloud9氏はその“空白の時代”を埋めてくれる伝道師でもある。


やはり皇族が祀り神という事もあって、菊の御紋がそこかしこに輝いている。


護良親王はこの土牢に約9ヶ月間幽閉され、近くの叢(現在は草花が植えられている)で御首級を取られる。
両目を見開いたままの首に恐れをなした淵辺義博は、思わず御首級を投げ出して逃げたと伝わっている。 現在、その首の置かれた場所は“御構廟”として残っている。

貴重な品を展示した建物もあり、外から眺めることしかできなかったが、ここにあるものがまた凄い。
明治天皇行幸の際の肖像画、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟(“三舟”勢揃い!)、伊藤博文、東郷平八郎、乃木希典、山本五十六の書…と、錚々たる重要人物達の品々が収められていた。
明治以降の勤皇の流れにより、この護良親王ももう一度スポットを当てられ、再評価されたということなのだろうか。
まさか鎌倉でこんなものを見られるとは思っておらず、非常に興奮しつつ次の目的地を目指す。
どうやらこの近くに護良親王の墓地があるらしい。まずはそこを探してみることにする。


永福寺跡
一旦細い道に入り、更に山の奥へと入り込んでいく。
車通りが案外激しいのが気にはなるが、豊かな自然と品の良い造りの家が多く、好天とも相まって心穏やかにさせてくれる。
こういう長閑な所に来ると、つい故郷の町を思い出してしまうが…品の良さと歴史的な重要性、更に歴史そのものを大事にする姿勢で圧倒的に負けているのだった。

我々はどうやら別の方向に行っているようだった。
あわてて引き返す途中に、怪我の功名か史跡と遭遇する。


ここに、1192年(おお、“いい国作ろう鎌倉幕府”の年だ)に永福寺という寺が建立された。
頼朝が中尊寺の大長寿堂を模して造ったものらしい。鎌倉三大寺社のひとつに数えられるほど壮麗な寺だったようだ。
二階建ての寺院だったため、“二階堂”と呼ばれており、この周辺の地名にその名が残っている。
現地のパネルの説明によれば、弟である源義経と、彼を追い詰めて自害に追いやった藤原泰衡を供養するために建てさせたものらしい。
cloud9氏と「冷徹な政治家だった頼朝にも、慈悲と悔恨の念があったのかもしれない…」と頼朝の苦悩を想い、しばし立ち止まった。

…でも、後から考えれば源平合戦に勝利する原動力となった義経と、ひとまずは鎌倉へ恭順の姿勢を見せた泰衡を頼朝は情け容赦なく滅ぼしたのである。人の怨念というものがリアルに語られていた時代に、それを放置しておけるほど頼朝もリアリストではあるまい。
大方、そういった無念を抱いていった者達の魂を沈めるため、怨霊が鎌倉幕府に災いをもたらすのを防ぐため、そういった意味合いでこの寺を建てたに過ぎないのではないだろうか。
どうも意地悪な見方かもしれないが、それもまた実に頼朝らしいとも言えまいか。

ちなみに、現在頼朝像として知られるあの肖像画は、現在では前出の足利直義のものという説が有力だ。
これは10年前くらいから散見するので、そろそろこっちの説も市民権を得てきたようだ。
武士の模範として崇められてきた、背筋を伸ばし権威を感じさせる美男の像。まさに武家政権最初の将軍である頼朝のイメージとしてこれ以上ない肖像画であり、武士のシンボルでありアイコンとして崇められてきたこの像が、もし本当に頼朝のものでないとしたら…でももう武士はいないし、特に関係ないか。


近所の小学生からは“ススキが原”と呼ばれているらしい(確かそんな感じのあだ名だったはず)。
春の陽に野の草花が明るく映えていた。



長くなりそうなので、今日はこの辺で。

『龍馬伝』第十回~第十三回感想 〔by ラウド〕

2010-04-02 00:25:30 | History
ためちゃいかんと思いつつ、また今回も…。





第十回「引きさかれた愛」

やばい、あんまり内容を覚えていない…書かずに溜めたせいだ、どう考えてもそのせいだ。
将来を誓った加尾との別れ。そして龍馬の新たな歩み。
過去、日本では何度となく繰り返されてきた、自らの身を大儀の為に捧げるという行為。
この場合、武市の命で京都の三条家に隠密として送り込まれるのが加尾だったというわけだ。
こういうのって、日本独特のものかもしれないね。特に女性がこういう事の犠牲にされてきたという点では。
ただし、武市は龍馬と加尾の悲痛な想いに迷いが生じ、最後に加尾を送り込むことに反対する。まだ武市にも最後の情のようなものが残っていると思わせる描写だった。
だが、動き始めた車輪はもはや止めようがなかったのである。

龍馬が加尾と本当に恋仲だったかどうかはわからないが、このまま龍馬が彼女と結婚し、安穏と土佐に留まっていたら…という「if」を考えることも楽しみの一つではある。
恐らく龍馬の事だから、何かしらの形で世には出て行ったとは思うが…もしかしたら、土佐の中で藩政の改革に携わっていたかもしれない。
こういうことを書くと熱心な龍馬ファンの方には怒られるかもしれないが、恐らく龍馬がいなくとも、薩長同盟も倒幕も為っていたはずである。残念ながら、龍馬一人の思いつきや功績でこれらは為されたものではないからだ(勿論、フリーメーソン云々の不確かな言説ではない)。
とはいえ、“その後のビジョン”という点ではどうだったろう。龍馬ほど広い視野で物事を見ることが出来た人材は、この時代では勝海舟くらいしか見当たらない(残念ながら、慎太郎もその点では龍馬に及ばない)。更に、戊辰戦争などの内戦ももっと泥沼化していた可能性もある。
やはり、世に出るべくして世に出たのが龍馬という人物なのだ。
歴史とは何の関係もない話だが、福山と広末のカップルって普通の月9ドラマみたいでアレだもんなぁ。当たり前すぎるというか。


第十一回「土佐沸騰」

物語は桜田門外の変から始まる(はず)。
この事件は全国の草莽の志士達にとっては、まさにエポックメイキングな出来事だったはずで、あまりに身分の違う徳川幕府というものに、自分達のテロルが打撃を与えてしまう、確実に何かを変えてしまうことが出来るという事実は、彼らにとって大いに血湧き肉躍るものであったはずだ(その行為の是非はともかくとして)。
自分達だって、動けばこの世を変えられる。主義主張の違いだけで人を斬るための理由になりえた時代は更にケイオティックさを増していく。こうして尊皇攘夷と倒幕を旗印に、更なる動乱の火蓋が切って落とされるのだ。

龍馬といえば、加尾との別れからやけに悟ったような、常に一歩引いた視線で沸き立つ仲間達を見つめていて。
そこには、願っても自らの直線的な想いだけでは動かないものもある…という現実を知ってしまった諦観があったように感じる。
簡単に言えば、かれもこれでひとつ大人の階段を登ったのだ。H2Oの歌詞みたいでちょっと恥ずかしいが。

郷士と上士の争いに広がりそうな刃傷事件にも、捨て身という悲壮感すらなく、刀すら持たずに上士が待ち受ける吉田東洋邸へひとりひょいひょいと乗り込んでいく。
東洋に「おまん、変わったのう」と言われたのも、登城を命じられるほど目をかけられたのも、こういった龍馬の“視点”の的確さと冷静さに惹かれたからのものだ…と僕は解釈した。勿論、一人で乗り込んできた豪胆さも含めて。
攘夷にこだわり、時勢を判断できていない武市などは、東洋にとっては「無能」でしかないのだ。感情論だけで土佐を変えることは出来ない。この時代の流れを見誤らないためには何をすればいいか?というのが、東洋には明確にわかっているから。
だから、視点を誤った者へ対しての東洋の態度は非常に冷ややかだ。

自体が収束を見てもおさまらない郷士達は、武市の大号令の下、土佐勤皇党を結成。
一生懸命郷士達の中を目を凝らして探したけど、上川さんはいなかったですね。さすがにこんなところで登場させないか。

しかし東洋役の田中泯氏が見るたびにとんでもない役者だと思う。なんなんですかあの迫力は。説得力がありすぎてシビれる。
実際の東洋も写真を見る限り、いかにも“いごっそう”という感じだが、あの姿よりも年季が入っている分、画面に映るだけで緊張感が漂うのがいい。最高です。
確か、テレビ東京の『龍馬がゆく』だと萩原流行氏がやったんだっけか…なんだか、色んな意味で完全に違う人物という感じがする。


第十二回「暗殺指令」

一応は土佐勤皇党に名を連ねた龍馬。だが、彼には彼なりに思惑があった。それは、我を失って暴走しそうになる武市を自らが止める為。
武市もそれには感付いていて、「長州の久坂玄瑞にあって、攘夷とは何たるかを学びに行きたい」という龍馬の申し出に大喜びし、紹介状を書くのであった。
よくぞその気になってくれた!ってなもんだろう。私も馬論や友人Fがジェフの試合に行きたい、と言った時は同じ気持ちでしたよ、ええ。スケールの違いはこの際気にしない。

で、久坂玄瑞である。もうね…待ってました!と思わず画面に向かって叫んでしまったくらい。
そうそう、まさにこういうイメージでしょう、久坂は。熱いけど猪突猛進ではない、一途だけど視野が広い。なんていったって、吉田松陰をして「長州一の俊才」とまで言わしめた人物ですぜ。あの役者さんのちょっと純朴そうな佇まいも、完全にイメージどおりで嬉しかった。こんな久坂を待ってたんだ。
そもそもなんだったのよ、『新選組!』の久坂は…確かに新撰組を“イイモノ”のしなきゃならないから、薩長が“ワルモノ”にならなければいけないというのはわかるんだけど…久坂はなに考えてるかわからないような怪しい奴じゃないし、簡単に暴発するテロリストでもないっつーの。あれは本当に残念だった。

今回の久坂は的確な論客でもある。龍馬の「攘夷とは?」という問いに、これ以上ないくらいわかりやすい回答。
松蔭譲りの熱弁に、ドラマという事を忘れて思わず唸ってしまった。
そういえば、松蔭はドラマ内では既に処刑後だったんですね。生瀬松蔭があの一回で見納めとは…あと一回くらいは観たかったなぁ。

一方、武市は動けない勤皇党に苛立つ若い郷士達の暴発を止めるのに必死。
党を作ったはいいが、動くための大義名分がない。ただ尊皇攘夷といっても、軽挙妄動だけは避けねばならぬ。
土佐という括りに捉われていてはだめだ、という事を要潤演じる沢村惣之丞が竜馬に説く事になる。これは重要。なんといっても龍馬に脱藩を提案したのが彼だ からね。

武市がいくら抑えても、彼に従っているはずの郷士たちは暴発寸前。仕方なく吉田東洋に攘夷を説きに出るが、東洋は既に武市の話を聞くつもりすらなかった。
全員の前で東洋と後藤象二郎にボッコボコに蹴り回され、身も心もズタズタにされた武市。上からも下からも板ばさみで、進退窮まった状況。
そして、内なる暗黒面に唆され、彼はある“決意”をする事になる…。

弥太郎はといえば、美人の嫁さんをもらってひたすらウハウハしていた。羨ましいなおい。
マイコさんという方が弥太郎の妻・喜勢を演じているが、こんな貧乏な家に嫁いでくるくせにえらくソフィスティケイテッドされたお顔立ちですね。さすがにモデルさんだけある。
こんな綺麗な子が、いずれ弥太郎の妾の子まで育てて…いや、なんでもないです。

奇しくも、叔父の東洋に贔屓されまくる龍馬へ嫉妬した後藤も、武市と同じ事を考えていた。それがこの回のタイトルなんですね。
弥太郎に龍馬暗殺を命じたところでこの回は終わるが、武市も後藤もブチ切れたまま終了という、なんだかNHKらしからぬトランス状態であった。


第十三回「さらば土佐よ」

第一部「Season1 Ryoma the Dreamer」はこれにて完。大激動の回。
いきなり龍馬は弥太郎に暗殺されかける。ここで死んでいたら日本史は…とまたそんなことを語りたくなるが、さっき書いたので繰り返す必要もない。
しかし、暗殺を命じた後藤が一番龍馬が生きたことによって得したんじゃないかと思うんだが…まぁいいか。

東洋への更なる直談判、そして武市との埋めがたい相違…閉塞感しか感じない土佐を龍馬が出て行くのは、こうして観ていると当然のように思える。
ここで竜馬の脱藩という行為に動揺しつつも、結局は黙って送り出す坂本家の絆がまた泣ける。
またここでちょっと涙が滲んできてしまった。この大河は家族ドラマでもあるのだね。
でも、確か僕の記憶が正しければ坂本家の姉が連座の罪を問われて姉の一人が(病弱な人、だったはず。名前はお栄だったか?)自害したような…今回はその人自体が出てきていないので、なんとも言えませんが。
AKBの子が龍馬をいつものように呼びに行くと、既にそこには龍馬の姿はなく…という演出が良かった。そのために何度も彼女が龍馬を起こしにいくシーンをその前に繰り返したのですな、納得。

龍馬去りし土佐では、いよいよ暴力で異なる意見の者を排除する流れが渦巻き始めた。
吉田東洋暗殺。当然、武市の手引きによるものではあるが、本人はそ知らぬ顔。何も知らず微笑む妻・富の笑顔が悲しい。
「わしを、吉田東洋と知っての振る舞いかぁ!!」「おんしらぁ!武市の手の者かぁ!?」
自他共に認める天才、東洋の激しくも悲しき最期。あまりの迫力の演技にまたちょっと目が潤む。
雷雨の中、苦悶の表情を浮かべながらの「たぁけちぃいいい!!」の絶叫には鬼気迫るものがあった。
東洋が死ぬのも残念だが、田中泯氏の演技をこれで観られなくなるのが残念だ。あのおっかない視線も、このドラマではこれで見納めだ。
そういう意味では、生瀬松蔭といい田中東洋といい、熱の入った実力派の脇役の使い方が実に贅沢である。
でも、そういう大河って間違いなく“当たり”なのだ。『秀吉』しかり、『風林火山』しかり。

薄暗く照らし出された龍馬の部屋のカットで第一部が終わる。
主のいない、音も無い一室は一体何を暗示するのか…。
来週から、激動の第二部が幕を開ける。龍馬の青春時代を楽しみたい。




今年のスタートと共に始まった『龍馬伝』。こうして一部が終わったわけだが、ここまでの感想としては「予想を遥かに超えて良い作品」という一言しか出てこない。
特に、今日書いたこの4話のテンションは極上だった。第十二話の予告編で東洋暗殺のシーンが一瞬映ったとき、「あああ、来週が待ちきれない!!」と興奮したほどだ。

福山龍馬に関しては、回を重ねるごとに見慣れてきて違和感が無い。もっと良くなるだろう。
彼の容姿やイメージだけで批判する人は、是非一度『龍馬伝』を観てほしいな。少なくとも、彼がいかに龍馬に対して真摯かは嫌でも伝わるはずだから。
弥太郎は「汚すぎる」とクレームが入ったという話も聞くけど、逆に好感が持てるけどなぁ。汚いって意味なら『秀吉』の時の竹中秀吉には到底敵わないけどね。
武市は「やはり大森南朋、役者だな」の一言。この先どれだけ彼の瞳が狂気を増していくのか、もっともっと観ていたい。

一番印象に残ったのは、もちろん生瀬勝久氏の吉田松陰、僅差で田中泯氏の吉田東洋。やべきょうすけの久坂玄瑞も忘れちゃいけないね。

今後、高杉や慎太郎も出てくるのだ。楽しみとしか言いようが無い。
そういえば、新撰組は出てくるんですかね?あんまりそっちを丁寧に描こうとすると、観てる方が混乱すると思うけど。