基本的に、世間の尻馬に乗って得意げに何かを批判するのは得意ではない。
そして、何かを「好きだ」と書くのはとても簡単な事だけど、「嫌いだ」と書くのは、僕にとってはとても勇気のいる事だ。
だけど、ここまで今年の大河ドラマを観た感想は、こう書かざるを得ない。
酷いよ、このドラマ。
ひとまず、話題になっているキャストと実在の人物の年齢差に関しては置いておくとしよう。
一番の問題は、主人公である江があまりにも歴史の転換点に顔を出しすぎている点だ。
主人公だから、確かにそうかもしれない。だが、稚児ともいえる年齢の女児が、ここまで奔放な物言いをし、好き勝手な行動をしていいものなのだろうか。
はっきりいって、ファンタジーの世界である。これがライトノベルやアニメならばまだ納得できるのかもしれないが、これは公営放送が威信をかけて送る大河ドラマではなかったか?
ドラマだからそれくらいは仕方ない、という意見もあろう。だが、ドラマだろうが何であろうが、そこに織田信長や羽柴秀吉や明智光秀という名前の登場人物がいる以上、歴史上の同名人物を意識せずにいられようか。
例えドラマでも、そういった実在の武将達と江との絡み方にリアリティと説得力がなければ、そこに納得がいかないと思う人がいるのは当然ではないだろうか。
そこで独自に突き進みすぎるから、結局時代背景も、そこに生きていた人物の機微すら描けなくなる。
…これ、確か最近も似たような内容を書いた気がするなぁ。
『龍馬伝』感想 〔by ラウド〕
結局、この点はもうどうしようもないのかもしれない。
「江」史実との違い指摘されるもNHKは手応え(スポーツ報知)
ドラマを創る立場の人が、この点に関して後ろめたく思っていないのならば、もうどうしようもない事だ。
単純に、脚本にも問題があると思う。
女性の持つ強さを描いていこうというのはわかるが、どうもこのドラマにおける三姉妹とお市はそれを履き違えているように思えてならない。彼女達は、ただ奔放に、身勝手に生きようとしているようにしか見えない。
秀吉を必要以上に小物に描写しようとしている点も、不満どころか不快だ。
北大路欣也の家康がどっしりと控えているところから察するに、秀吉と家康の差をはっきりと付けて持ち上げようという意図が見え見えである。
その秀吉がダダをこねている場面を早回しにしてみたりする演出や、打ち込みや歪んだギターの音を前面に押し出した音楽も個人的には全く受け付けない。
唯一評価したいのは、これまでヒールとして描かれることが多かった信長の新解釈(というか、これが最近の主流にもなりつつあるらしいが)と、豊川悦司の演技だ。彼の演じる信長は、実に堂々としていて余裕があって、大いに納得した。
本能寺の変がもう少し後なら、このドラマを楽しめる期間もわずかながら長くなったのだろうが…。
今から『坂の上の雲』が恋しくて仕方がない。
好みではなかった『篤姫』や『天地人』ですらその時間に自室にいれば観る気になったのに、今回は自主的にテレビを付けようという気にすらならない…。
そして、何かを「好きだ」と書くのはとても簡単な事だけど、「嫌いだ」と書くのは、僕にとってはとても勇気のいる事だ。
だけど、ここまで今年の大河ドラマを観た感想は、こう書かざるを得ない。
酷いよ、このドラマ。
ひとまず、話題になっているキャストと実在の人物の年齢差に関しては置いておくとしよう。
一番の問題は、主人公である江があまりにも歴史の転換点に顔を出しすぎている点だ。
主人公だから、確かにそうかもしれない。だが、稚児ともいえる年齢の女児が、ここまで奔放な物言いをし、好き勝手な行動をしていいものなのだろうか。
はっきりいって、ファンタジーの世界である。これがライトノベルやアニメならばまだ納得できるのかもしれないが、これは公営放送が威信をかけて送る大河ドラマではなかったか?
ドラマだからそれくらいは仕方ない、という意見もあろう。だが、ドラマだろうが何であろうが、そこに織田信長や羽柴秀吉や明智光秀という名前の登場人物がいる以上、歴史上の同名人物を意識せずにいられようか。
例えドラマでも、そういった実在の武将達と江との絡み方にリアリティと説得力がなければ、そこに納得がいかないと思う人がいるのは当然ではないだろうか。
そこで独自に突き進みすぎるから、結局時代背景も、そこに生きていた人物の機微すら描けなくなる。
…これ、確か最近も似たような内容を書いた気がするなぁ。
ただ、やりすぎなのだ。主人公とはいえ、あまりにも周囲からの影響や尽力を無視しすぎなのだ。
(中略)
僕だって子供ではない、福山龍馬が目立たなければ大河ドラマとしてまずいのはわかるし、ドラマとしての完成度を重視するのは当然だと思っている。
だ が、ドラマだからこそ言いたいのだ。福山雅治氏が演じていたのは、あの歴史上に残る偉人「坂本龍馬」ではなかったか?そこに「坂本龍馬」と名の付いた登場 人物がいる限り、史実上の坂本龍馬と比較し照らし合わせてしまう、これは歴史好きでなくても止むを得ない事ではないだろうか。
『龍馬伝』感想 〔by ラウド〕
結局、この点はもうどうしようもないのかもしれない。
日向英実総局長は「子役時代が1回で終わったことや『史実と違うのではないか』との指摘もあるが、おおむね評判は良さそう」と話した。会見では「史実とあまりにも違う」との質問が出たが、日向総局長は「ドラマですからね」と苦笑いした。
「江」史実との違い指摘されるもNHKは手応え(スポーツ報知)
ドラマを創る立場の人が、この点に関して後ろめたく思っていないのならば、もうどうしようもない事だ。
単純に、脚本にも問題があると思う。
女性の持つ強さを描いていこうというのはわかるが、どうもこのドラマにおける三姉妹とお市はそれを履き違えているように思えてならない。彼女達は、ただ奔放に、身勝手に生きようとしているようにしか見えない。
秀吉を必要以上に小物に描写しようとしている点も、不満どころか不快だ。
北大路欣也の家康がどっしりと控えているところから察するに、秀吉と家康の差をはっきりと付けて持ち上げようという意図が見え見えである。
その秀吉がダダをこねている場面を早回しにしてみたりする演出や、打ち込みや歪んだギターの音を前面に押し出した音楽も個人的には全く受け付けない。
唯一評価したいのは、これまでヒールとして描かれることが多かった信長の新解釈(というか、これが最近の主流にもなりつつあるらしいが)と、豊川悦司の演技だ。彼の演じる信長は、実に堂々としていて余裕があって、大いに納得した。
本能寺の変がもう少し後なら、このドラマを楽しめる期間もわずかながら長くなったのだろうが…。
今から『坂の上の雲』が恋しくて仕方がない。
好みではなかった『篤姫』や『天地人』ですらその時間に自室にいれば観る気になったのに、今回は自主的にテレビを付けようという気にすらならない…。