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がんになってもぽじぽじいこか

2012年6月食道がん発見、53歳でした。始めての体験で体当たりの治療とリハビリ。見つけたものも意外にあり!

地の果てから一時帰国の友より連絡!

2013-12-08 18:42:19 | 家族、友人
いやなことばかりじゃないよ
落ち込まないように心がけていたが、気分はブルーになりがちだった。
いろいろある。

花があってよかったよ。
何もないなかで頑張ってた時代もあったな、と自然の美しさに感謝。


嬉しい電話が
「もしもし~」
懐かしい声。
「Oちゃん!生きてたんだ~~~」


パラグアイに行ったまま連絡が取れなかったOちゃん
若い頃からの大切な友。
あるとき、心がつぶれてしまうほど一人になって日本を捨ててしまった。

パラグアイというところはあまり日本人はいない。
郵便は届かない。
電話は交換手に繋がることも繋がらないこともあるが通じない。

日本からの郵便なんて途中で宝物になって誰かががめてしまうんだそうだ。
(宝物になってるだけでいいかとは思う)
落雷後、電話は繋がらないままになってしまったと言っていた。
大使館に問い合わせるも、肉親以外は個人情報保護のため対応できないとのことだった。

死んじゃったのかも、と心配していた。
生きていたんだ~、元気そう。
奥深いところから嬉しかった。
古い記憶の脳の皮質から、しみじみ嬉しかった。

いつものように会話をして互いの生存確認をしあい、あおうね、と約束をした。


わたしの悩みなんか細かいと思えた
違う文化のなかで一人生きるOちゃん。

わたしにとって悩みは絶対なもので。
なかったとは言わない。
でも、大きな目で見る、違う眼で見ると強くなれる。

外国の文化に触れると、本当に色々な価値観があるんだなあと思う。
歴史も、食文化も違うし、価値観も違う。
根本は変わらない人間だが、暮らし方はいろいろ。
それに気がつかせてくれた。
ちょっと元気が出る。

やっぱ、友達は大事だ。

いつも助けてもらっている、友達には。

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休日、友人と話して気がつくことがいっぱい

2013-10-14 21:23:52 | 家族、友人
友人と話す休日
わたしの休みの日の最大イベントは友人と話すことか。
平日は働いて寝るだけかな。
連休で気持ちが仕事から離れて、ほっとしている。
こういう時間は必要です。
ほんと、日頃ご無沙汰している。


夫が抗がん治療中の友人
切らずに通院による抗がん治療をしている。
点滴の埋め込みポートを手術で作って、そこからの抗がん剤の点滴。
埋め込み用のポート手術は4時間もかかったという。
かなり長くの点滴を予想してのことだろう。
2週間ごとに4日。

わたしもそうだったが、食欲が落ちて痩せてしまい、口内炎も出来ているそうだ。


がんって大変だ
人にもよるが、わたしは抗がん治療がきつかったから、話を聞くだけでつらくなってしまった。
よく、通院でがんばっているなあ。
抗がん剤によってふらつきも多少あったように思う。

切らずに温存するかわりに、長期にわたり抗がん治療を受けるのも大変だ。

がんてなってしまうと本当に大変だとしみじみ思う。

からだがくたびれてしまうと、発想も気力も湧いて来なくなる。
精一杯笑い、元気を心がけてもどうでもよくなってくる。
だるくて考えられなくなる。

つらいよなあ。


過疎の風景を見ながら帰ってくる
気分がそう見させるのか、今日はえらく過疎が気になってしまった。
わたしが越してきた頃も、閉店した店がずいぶんあった。
加速して店がなくなってきた。
錆びたシャッターを見ているとため息が出る。

この風景のなか、わたしの子どもたちはやっしやしと歩き回り、空や海や川やいろいろなところを自分の庭の様にして育った。
いっぱい発見をして。

だから、主体の感じ方なんだよね。
わたしが過疎にとらわれず、生き生き出来ないのなら、ここにいる意味がなくなっちゃう。
老いぼれた顔でいきるのは、まわりの所為じゃない。
しっかりしろ、わたし。


もう少し、外に出よう
古い建造物など、大好きだから、少し出かけよう。
そんな遠くにいかなくても、近くの郷土資料館なんかでもいいや。
公園により、ゆっくり大きなそれを歩き回って帰ってきた。
すごく気分が落ち着いた。


そうだ、アルゼンチンばばあにならないと
公園でふと思った。
よしもとばなな「アルゼンチンばばあ」を思い出した。

古い洋館に住む、子どもたちがアルゼンチンばばあと呼ぶ奇妙な女性。
アルゼンチンばばあが見えると子どもたちは走って逃げる。
父親の再婚相手がこのアルゼンチンばばあで、彼女のやさしさ、素晴らしさに、父親というフィルタを通して気がつく。

そんなようなお話なんだが(ひどい書き方でわれながらひえ~です)
地域とは違う生き方をする女性。
それでいいんだ。
真似っ子ばっかりしても仕方ないし、
大事なのは自分して、人生にとって大切なものをちゃんと見えないものも視ていくことかな。

アルゼンチンばばあは息子の本棚にまだあるだろうか。
もう一回読もう。

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友達百人出来るかな(童謡)超えてる。幸せ文体。

2013-10-12 19:13:19 | 家族、友人
わたしにブーケ!
宅急便で届いた。
すごい箱に入って箱入り娘ちゃん。



わたしがぼうっと寝てばかりいてメールにも気がつかず、
陣中見舞いに来る予定だった友人が花を贈ってくれた。
チョコも立派な箱にテープでくっついていた。


花って
朝こどもが雑草の花を見つけて摘んできてくれたりする。

花って、そのシュチュエーションを贈ってくれてるんだよね。

きれい、すてき。
あげたい。
好きな人に。

友人も花屋にいった風景が眼に浮かぶ。
やさしさごと伝わるから嬉しい。

そんな風に人に花を頂くって幸せ限りない。

わたしも花を買う時は言いようもない幸せ、贅沢感に酔いしれる。
自分用には安い花しか買わないけど、造花なんて絶対要らない。
生花は生きている。

花ってすごくない?

逆立ちしている。
性器を広げ、口は地面に広げている。

こんな悟りを開いたのは、生け花の勉強をいっぱいした頃かな。

おかげさまで家元2級教授というお許しを頂けました。
金がかかるので今は○○流からはなれ自分のためだけに花してます

なかなか上手にいかなくて四苦八苦していた時に
「花は足でいけなさい」と言われた。
足で歩いて花を知れと。
「花は犬じゃなく猫でいけろ」とも。
犬はお手、お手、上下運動。
猫のように忍び寄って手首を曲げながらいけろ。
あらゆる角度からいけろ。

偉い先生の言葉はスンバらしい実践。

わたしの気付きもそれに近い重要さだと思っているんだが、まだ未公開。
花は性器だから人を誘惑するようにいけなさい。

いつか言ってみたいものだ。


幸せな今日
一年生になったら~
このうたを卒園児にプレゼントしたな。

百人ってその年のこどもには法外な把握できる最大限の数字。

がん2年生になったらわたしなんかのブログも200人300人が見てくれてる。
すごいなあ。
ありがとう、支えてくれて。

わたしが発信した日記が。
こんながんになって、少数派だよね。
なのにすごくない?

市で講演会やったって動員したってこれだけ集まらないよ。

すごく生きる力をもらっているな。

わたしっていいなあ、幸せだなあ。

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娘来る、心からの休日

2013-08-02 23:52:43 | 家族、友人
がんのおかげで家族がよく会うようになった
そんなことないよ、と子どもたちはいうだろう。

でもいいんです。
こどもは大事よん。
彼らのおかげで私の人生は大きく広がりをもった。
自分一人じゃない、他を抱えて生きていくことに無我夢中だった気がする。
また、こどもは感動を持っている。
それに感化され、私も感動をもらいながら生きて来れた。
苦しいことも多かったけど、超える力もついていったと思う。

にぎやかで楽しい日々が帰って来たような一日。


皆でわいわいご飯を食べに出かける
うなぎ食べよう!ということに決定。

焼くのをじっくり待ちながらおしゃべり。
刺身盛り合わせをつつく。



じゃ~~ん!うな重来ました。



あまりのうなぎの多さにいつも感激する。


ひしめき合ってる感がいい。


楽しく眠れそう
テレビで天空の城ラピュタを見る。

なんだか、昔のよう、いい夢が見られそう。


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思いがけない陣中見舞い、人のあたたかさに感謝

2013-05-07 19:59:33 | 家族、友人
仕事から帰ったら友達がきた
もう、20年の付き合いになる、普段は会うこともあまりない友達。
(仕事が忙しいせいです、クルマで30分の距離がなかなか)
私のがん闘病を知らなくってゴメンネ、ととんできてくれた。

元気そう、と言ってくれる。

病気をした人にとってこの言葉はあたたかい。
おしゃべりな人だが、この人は根掘り葉掘り聞くことがない。
笑顔でよかった、よかったと私の回復した部分ばかりみてくれる。

こういう言葉は本当により元気になる。

スンバらしいお見舞いの品々
まずは、そらまめ


そら豆って茹でずに生のまま冷凍して保存して、食べる際に茹でるといいそうです。
まあ、なんてすてきな旬の手作り野菜。
夏みかんは不細工ですが、すごく甘い品種、私は河野みかんだといい、友人は河名みかんだという。
減酸品種でみずみずしくとてもおいしい。

そら豆むきながら色々二人で話す。

そして、トマト

畑で赤くなってからもいだもの。

ひらめ

私のために焼いてくれたんだ。
大きなヒラメの真ん中辺。

すてきだ、すてきすぎる。

身も心も元気になるって感じがする。

こころに届く雑談
昔、この友人と、高校生のお嬢さんとお昼を頂いてバイバイして、その夜、お嬢さんがなくなった。
非の打ち所のないお嬢さんで、ジョギング中なくなってしまった。

どうしようもなく苦しいことを抱えてきた友人。
彼女の涙もいっぱいみた。
今も苦しいけど、笑顔でお嬢さんのことを話す。
過去のことではない。今のことだ、彼女にとって。
そんな痛みを知っている彼女。
ひと言一言がいきていることを考えさせてくれる。

明日は約束されているもんじゃなく、今日今いることがすばらしいことなんだよ、という。
そら豆は上向くでしょ、そしたらもぐの、
しばらくするとまた下向くの、それはもう遅い、種にする。
会話はそんな風に続く。
そら豆、お嬢さんがなくなってからもう10回くらい収穫したんだったと彼女を思う。
普通に言える雑談じゃないことをずっとずっと大事にこころに思い、優しい言葉で言えるまでになった人生。

そんなものに深く共感し、今の大事さにあたたかく感じ入った。
そして温かなハートご飯を頂く。
元気になろう。

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優しすぎる程優しい子ども

2013-03-16 23:15:41 | 家族、友人
息子帰省する
通院の運転手をしたりしてもらうことになっていて、息子帰省する。
うれしいものですね。
アウトレットで待ち合わせて買い物をしたりする。
若いんだなあと思う。
感性が若々しいし、住んでいる世界の情報が若い人なのだ。
私のその頃をふと思い浮かべる。
私のほうが健全ではなく、我が育児はよかったと安心してみたりする。

やさしくなった子どもたち
はたでみたら、なんてやさしい子ども、あるいは親離れしない子どもに見えるだろう。
いつも思う。
カバンは持ってくれる、気遣ってくれる。
実に、やさしい。

だって、私ががんになって、ショックを与えたから。
どれだけしんどい思いをしたのか、よくわかる。

ふたりともほんとうにやさしくなった。
文句も言わないし、つんけんもしないようになった。
これでもか、というように出来ることをしてくれる。

心の中がわかる。
つらい気持ち、不安さ、痛み。
ごめん、だよね。

子どものために汚いばあさんになり、小さくなってから消えたい
そう思う。

1~2歳の子どもが何かに執着していっときも手放せないものがあったりする。
汚らしく見えるタオルだったりすることが多い。
取り上げると心の傷になる。
でもぼろぼろの繊維になって消えてなくなれば子どもの心は納得する。

半分くらいはボロになっている。
もう半分はじっくりボロになって
「ぼろ」と思われ、小さな小さな存在になってから死にたいなあ。
長生きしたいと子をみて思う。
がんばるべ。

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がんフレンドがいる

2013-01-03 17:02:36 | 家族、友人
自慢できるラッキーはどのくらいだろうか。
一億当たったらこれはもう言えないと思う。
私たちの賃金を大きく超えすぎる額を当てたら、本人も戸惑うし、周りは働かなくていいね、と勝手に色々思うだろう。
わ~、よかったね~って言ってもらえるのはせいぜい自販機のもう一本あたり。
最近では運が落ちているのか年末の福引きも全て最下位で、ラッキーは期待しない。

その反対の聞いてほしいアンラッキーも、意外とない。

人間の日常って許容範囲狭いのかもしれない。

っつうか、言えない事ってあると思う。
言えたらもう悩みじゃないと常日頃思う。

一時期、大事な友人を立て続けにがんでなくした。
一緒にうちでご飯食べたりお茶飲んだりしていた仲良しだった。
親しい付き合いをしていた向いのおばさんもがんでなくなった。
わたしは我が家の床下に放射性物質でも埋まっているのではないかと本気で危惧した。
その後、また親しい大好きな友人にがんが見つかった。
続けてまた知人にばたばたがんが見つかった。
幸い、みな今では元気にそれなりの暮らしを営んでいる。

友人の立て続けのがんによる他界はわたしのトラウマになっている。
死の前日まであっていたこともあって、
また、幼い子を残しての死であったりして無念でならずたまらないのだ。

克服した友人たちにもあうのにしばらくの時間がかかった。
治療中はばい菌を持ち込む事がはばかられて電話しかしなかった。
引っ掻き回すのが心配と自分では思っていたが、怖かったのかもしれない、がんという病気が。
だんだんあちらに行ってしまう姿を見るのはもうまっぴらだったのかもしれない。

やはりがんは怖かったのだ。

がんがわかって、わたしはすぐに自分の病状をを伝えた。
最上級の暖かさで受け止めてくれて、本当に心強かった。
経験者は、一歩先を歩んでいる。乗り越えている。
そういう人がいてくれて、ありがたい。
一人抱えるのはつらい。
同じ思いをしている人と繋がっておれるのは勇気100倍。

入院してみると病棟は妙な気楽さがあった。
周囲はみな消化器のがん患者。
気楽に会話し合う。
若い人は真剣に勉強している。
「人参ジュースいいのよね」
「でも、おいしい?続きそう?」
「サプリだけよりいいでしょ」
「ストレスでなったよね~、いつなったかわかるもん、わたし」
会話がシュールに次から次に続く。
そしてみな、詩人なのだ。
本当にそうだと思えることを言う。
「がんになる人は頑張りすぎるんだよ。まずは自分の体にごめんなさいって言う事だよね」
本当にその通りだ。
「復帰を予測するのは希望的わがまましか言えないよね。いい加減な事言うと周りはあてにしちゃって振り回すことになるよね」
若いのに本当に素晴らしい、全く、御意。
「パジャマ、すっぴんの世界で言う事は偏ってるよね、世間では通じないよね」
はい、同感です。それを悩んでました。
がんになるとこんなに詩人になってしまうのか。同じ患者に対して。
ここだけ通じる世間とはちょっと共有で嫌いブラックを通り過ぎた世界があった。
わたしは助けられた。

がんフレンドはずっと今でもわたしの元気のもとであり続ける。
もちろんがんじゃない友達もいっぱい大事だけれどがんフレンドは病気を克服し合うパワーの源だと思う。
気楽に言えるってことが素晴らしい。