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中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

玉音放送

2015年08月14日 | 中華街(大通り)

 終戦当時、放送協会の報道部長だった高橋武治氏が、雑誌『放送』昭和21年6月号に『終戦玉音放送までの一週間』と題して当時の打ち明け話を書いています。

 今日はその内容をご紹介しましょう。

 高橋部長が「ポツダム宣言を受諾する」という極秘情報を知ったのは8月10日(金)朝でした。

 それを裏付けるように、この日の午後4時30分、下村内閣情報局総裁がポツダム宣言受諾を匂わせる以下の談話を発表しました。

 「国体の護持こそが今次戦争の最後の一線であり、国民はこれに対する政府の措置を信頼せよ」。

 このたびの戦争は間もなく敗戦という形で決着するが、天皇制だけは守り抜くので国民は安心してほしい…そういうことなのでしょうね。 
 
 ところが、その同じ10日午後6時過ぎ、陸軍大臣布告が発表されました。
 全陸軍将兵に告ぐというタイトルで、「だんこ神州護持の聖戦を戦い抜かん。草を食み、土を齧り、野に伏すとも断じて戦うところ、死中自ら活あるを信ずる」というのがその内容でした。

 高橋報道部長はクーデターを予感したといいます。


 8月14日(火)午後3時、放送協会の大橋会長をはじめとする放送局関係者と内閣情報局係官は、天皇陛下自らの終戦の詔書を録音するため、極秘裏に宮内省へ向かいました。
 
 夜12時近く、宮内省の御座所において無事に録音が終了し、録音盤は正副4面作られ、宮内省の庶務課長が保管することになりました。


 大きな仕事を終えた放送協会の会長や係員が、退出のため宮内省を退去し坂下門に差しかかったその時、軍隊によりストップをかけられてしまいます。

 陸軍及び参謀本部の一部青年将校は録音盤を奪取することによって聖断を翻すことを企図し、これを拒んだ近衛師団長を射殺、偽の師団命令を発して、禁衛守護の宮護部隊をその指揮下に置いていたのでした。

 ここで自働車は向きを変えられ、大橋会長以下放送協会の係員たちは宮内省奥の衛兵所に連行されてしまいました。
 そして、そこには既に内閣情報局の下村総裁と関係係員も集められており、やがて宮内省の総務局長や庶務課長も引っ張られてきました。

 反乱将校は躍起になって録音盤のありかをを追求します。しかし、誰もが沈黙。

 業を煮やした指揮者らしき一大尉が国内局長を引きづりだし、着剣した兵士十数名と共に宮内省へ引き返しました。
 録音現場に案内せよというのです。

 一方、放送協会では、録音は夜中にまで及ぶと考えていたので、戻ってこない会長以下の職員たちは宮内省に泊まっているものと単純に思い込んでいました。
 そのため15日午前2時頃、宿直当番だけ残して全員が仮宿舎である第一ホテルに引き上げました。
 
 みんなが寝静まっている午前5時30分ころ、コツ、コツとドアを叩く音が。

 扉を開けると、そこには放送協会の若い職員が立っており、つい先ほど放送会館で起きたことを報告します。

 4時半頃、中尉に率いられた一個小隊の武装兵が放送会館を占拠したというのです。
 そして彼らは次のような軍命令を突き付けてきたそうです。

 ①本日5時からの放送を一切禁止する。
 ②職員の外出を禁止する。
 ③在館職員を一室に集めおく。

 そのため、朝5時のニュースは放送できませんでした。
 しかも、その頃、畑中と名乗る中佐と2人の尉官が決起趣意書の放送をさせろという要求を突き付けていました。

 ちょうどその時、空襲警報が発令され、放送協会側はこれを盾に、東部軍管区司令部の許可なく一切の放送はできないと拒んだのでした。

 そこで畑中中佐は電話で東部軍と折衝します。しかし、司令部の拒否にあい、仕方なく放送会館を退去、反乱軍もいつの間にか正規軍と入れ替わっていたということです。

 このような波乱を乗り越えて、15日正午にあの放送が流れたのでした。

 本文テキスト

 ※冒頭の写真は詔勅のコピーのコピーのまたコピーのようです。ずいぶん前に仕事で知り合ったお爺さんから頂いたものです。当時80歳近い人でしたので、おそらく戦争に行っていたのでしょう。これを貰った時に、もっとちゃんと話を聞いておけばよかったと、今さらながら後悔しています。


 

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9 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
近衛さんの自殺 (馬の骨)
2015-08-14 23:33:38
荻外荘の近衛さんが自殺したらしいと聞いたので、
すっ飛んで駈けて行った。
なだらかな南斜面の芝生の切れ目の壕に飛び込んで見ていると、
南側の戸という戸が全部開けられていて進駐軍のMPが大勢土足で布団のまわりに突っ立ていた。
真夏のカンカン照りの暑い日だった。
返信する
あれ~ (酔華)
2015-08-15 07:18:26
>馬の骨さん
近衛文麿が自殺したのは終戦の年の12月じゃなかったんですかね。
返信する
訂正 (馬の骨)
2015-08-15 07:46:35
誤・・真夏のカンカン照りの暑い日だった。
正・・真夏の様にカンカン照りの暑い日だった。
返信する
畑中中佐は (吉継)
2015-08-15 11:44:14
宮城事件の関係者ですよね、当時米軍中心の連合軍に降伏するよりソ連に降伏しようとした勢力もあり日本政府や軍も一致団結とは行かず心有る田中司令官等がご苦労されたと秘話を読みました。ドラマや映画とはまた違いがありもし万が一ソ連に降伏していたらと背筋が寒くなります。
返信する
今日は観ます。 (冬桃)
2015-08-15 12:46:44
日本の戦争映画はあまり好きではないのですが
今日はBSプレミアムで「日本のいちばん長い日」を
放映するので観るつもりです。
最近、リメイクされましたが、これは三船敏郎主演。
返信する
放送 (酔華)
2015-08-15 22:26:34
>吉継さん
玉音放送は録音を流すか、生放送にするか、
意見が分かれていたようです。
生放送で天皇がいたら、どうなっていたか。。。
返信する
テレビ (酔華)
2015-08-15 22:37:34
>冬桃さん
うちにはBSがないので観られません…
だから代わりに映画ではなくドキュメンタリーを観ています。
11日から放送ライブラリーで毎日、
「テレビが伝える戦争の記憶と記録」というのをやっていましたが、
全部見のがしました・・・
返信する
ニューテアトル (MK)
2015-08-20 14:29:39
フランス公営放送の教育チャンネルARTE制作の「天皇と軍隊」というドキュメンタリー(監督は仏在住日本人)が昨日の日経夕刊で紹介されていまして、「国体の護持」なるものや「憲法一条と九条の相関関係』等が切りこまれているとのことで、横浜ニューテアトルで上映してるとのこと。

戦争に負けたのになんであの人まだおる?(*)というのは子供の頃の自分にとって長年の疑問だったことで、フランス革命以降貴族制自体を弾劾している(*2)国なら余計そう思うだろうと思って、どう切り込んでるのかなと興味を持ちました。

http://echoechanges-echoechanges.blogspot.jp/2015/06/88.html

*たぶん、今の天皇夫婦の戦争への姿勢はそのことへの贖罪なのだろうと思っています。

*2以前NHKで「現代のフランス貴族」という内容のドキュメンタリーを見たのだが革命記念日等で「貴族siね、首チョンぎられたぞざまみろ」というような歌を学校などで皆で合唱する国なので貴族は住みづらい。税制も厳しいので、貴族の末裔は一般市民より貧しい人が多い。しかしアメリカ人や日本人観光客がありがたがるので、その人たち向けの観光業に活路を見出す人も多い等、の内容でした。
そういや横浜日仏学院の昔の校長先生にフランス語を習っていたころ、仲良しの生徒に「実は私は貴族の出なのだけど・・・。これは他のフランス人には絶対内緒だよ。いじめられるからね・・・。」と言われて驚いたことを覚えています。(その先生、別に出自を知られていなくても、日仏を禁煙にしたことで、先生方のバッシングを受けていて、気の優しい人だから強烈な自己主張の多い教師や「フランス人化」してエゴの強い生徒らにいびられていたのですけどね・・・)
返信する
映画 (酔華)
2015-08-21 06:57:57
>MKさん
情報、ありがとうございます。
「天皇と軍隊」、観に行きます。
上映期間が延長されたようなので、
行きやすくなりました。
返信する

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