
チャイナアンティーク + アジアン雑貨の「tef-tef」が改築中だ。 昨日、たまたま通りかかったらこんなものが! レンガである。 ![]() かなりの数だ。 ![]() 「金福楼」側の縁。 ![]() レンガ積みがあったことは明らか。 明治から大正にかけて、中華街の建物の多くはレンガ建築だった。 しかし大正12年の大地震でほとんどが倒壊。 そして震災復興。今度はレンガ積みを諦め、木造建築にしたところが多かった。 ところが木造にしたことが災いする。昭和29年5月29日の横浜大空襲の焼夷弾で廃墟と化すのだ。 戦後は鉄筋コンクリートにする店も少しはあったようだが、大半は再び木造で再開する。 そして最近、それらが老朽化し建て直しするところが増えてきたようだ。 そういう工事現場では必ずレンガが出土する。 先日もNTTの新築現場でレンガ積みが出土している。 これらは、もしかしたら居留地時代の遺構なのかもしれないが、なんら調査されることもなく淡々と工事が進められていく。 これでいいのか!と思い、市役所に訊ねてみたら、この辺から出土するものは文化財でもなんでもないのだと。 そう、150年ほど前、関内・関外一帯は海や新田だった。 だから、このエリアで何が発掘されようと、それは文化財ではないということらしい。 う~む。 ![]() 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ ![]() |
赤レンガパークの税関跡をモニュメントみたいにして発掘された!ってなってますが、あそこがフェンスに覆われてたときに、中で侵入して遊んでた人は・・ずっと前からしってましたよね・・。
何をもって文化財とするのか、横浜市の意識が分かりましたよ。
ひどいですね。
150年くらいでは駄目なんでしょうか。
数百年、数千年ないと駄目なんでしょうか。
他にもいっぱいあります。私だけが知っている…
いろんな人の心意気で街はできているんですよね。
横浜市に対して残してくれなんて言わないし、所詮無理なことでしょうが、せめて個人的に写真を撮って後世に残したいと思っています。
ただの産廃になってしまうなんて、もったいない・・・
もったいないですよね。
ほしいという人、多いはずです。
売ってもいいのになあ、と思います。
ちなみに私、赤レンガ倉庫を改修して今のようにするとき、工事現場に入り込み、工事業者が「捨てる」って言ってたレンガをもらってきました。
今、それを見ながら一人で「ウフフ」なんて感慨に浸っています。
使われていたレンガをもらったことがあります。
いったいどれだけの人が、この床敷のレンガの
上を歩いて洋行したのか、また大いなる野望を
持って、極東の小さな国に降り立ったのか、
そんなことを考えると、ちょっとロマンが
あります。
横浜では工事現場に行くと、たいていレンガがあります。
それを1個ずつもらって、集めるといいのですが、
なかなかできない。
市電の敷石なんかは道路で再利用しているので、
レンガもなんとかすればいいのにね、
といつも思っています。